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おうち観劇①ツイキャス朗読劇「Millefeuille Pie Like (fragile)Mind」

というわけで、きのうの記事で言った通りさいきんおうちで楽しんだエンタメの思い出などを書いていこうと思います。
(エンタメって書いたけどほぼほぼ演劇に帰着するコンテンツばかりなのでとりあえず「おうち観劇」としました。合わなくなったらまた変えます)

メイド服でよむ物語
「Millefeuille Pie Like (fragile)Mind」

【出演】星秀美・ふくいきよか
【脚本】田島聖也(まるかど企画)
【観劇日】5月2日(土)14:00〜 ver.花
【配役】葉:星秀美 / カレン:ふくいきよか
【料金】1000円(音声のみ配信回)
【視聴方法】ツイキャスプレミアム

観劇に至るまで

2017年の舞台『幾重ものアイ、なお深く』(Y's ExP.)でお芝居を拝見して以来twitterをフォローしていたふくいさんの告知ツイートで公演情報を知る。主催の星さんの初告知が4/28で公演が5/2。
この時点ではほうほうオンライン朗読…えっ四日後に本番?? すぐやんすごいな!! というびっくりどまり。

ところが月末に公開されたキャストさんがおひとりずつ喋っている短い宣伝動画をなにげなく見てみたらですね、ふくいさんがいままで見た舞台ともまた違ったお声をされていてまたそれがとても可愛らしくて……腰の重いくらげにしては珍しく「あ、見たい」と購入ページをクリックしてましたね。

ただ二日間の公演で、二役を交互に演じそれぞれ二公演ずつ、かつ初日は音声のみ、千穐楽は映像付きと全く同じ形態の公演はひとつもない仕様。役の前情報としては多重人格のメイドさんの「主人格」か「眼鏡のほう」というだけ。
じゃあふくいさんの眼鏡画像可愛かったから『花ver.』の配役で、せっかく朗読劇なので情報を絞って楽しんでみたいなと音声だけの日を選択。このためにツイキャスのアプリを入れ(ブラウザではプレミアムのチケットがうまく買えなかった……)、いざ本番。

配信の仕様と脚本の相性

いわゆる「コラボ配信」だとか通常の「動画配信」を殆ど観たことがないので、こちらと向こう(観客と演者)だけでなく向こう同士(演者同士)でも通信にタイムラグがあるらしいというぼんやりとした知識があるだけの状態で前説、そして本番を視聴。
ツイキャスも殆ど利用したことがなかったので、序盤は「配信が終了しました」の表示が画面に出るたびに焦る。星さんときよかさんが交互にツイキャスにログインして朗読をするので、入れ替わりの度に毎度5秒くらいどちらも入っていない瞬間ができちゃうんですね。それを理解するまでちょっとそわそわしてしまった……
途中からだんだん仕組みを理解してきたので、それならいっそと思って途中から目を閉じて聴くようにしたら没入感が増したので、これが結果オーライということ。

この「ツイキャスに演者が交互にログインする」というのが、「多重人格者であるひとりの身体に人格が交互にログインする」という作中の風景と重なるんですね。さらに人格同士は直接会話ができないという物語上の制約のお陰で、タイムラグが発生する役者間の対話が一切なくても自然に話が進んでいくというのが非常に上手い作りだなと感じました。天才か。

ミルフィーユ、あるいは木漏れ日の世界

ここからは公演直後にtwitterで書いた分をまとめ直しつつ本編の感想を。

登場するのは、メイド喫茶で働いている「葉」と、葉のなかの人格のひとり(ほかの人格は現在ほとんど出てくることが無い)である「カレン」。
序盤のカレンのモノローグで祖母が亡くなった10歳の頃から葉を守ってきた人格ということが回想され、この子はおばあちゃんの生まれ変わり的に葉を庇護する存在なのかなという雰囲気で物語は進んでいく。実際カレンは、普段は葉に見せないよう封印している「葉」が傷つけられていた過去の思い出の中で、ひとり何度も探し物をしている。
この、葉のために昏い記憶へ手を伸ばすカレンのシーンが、その先に暖かい思い出があるとわかっていても毎度きついんだけど好きなシーンでもある。人の業。

ver.花のカレンはふくいきよかさん。こちらしか聴けていないんだけど、怯えながらもだいじな「葉」のために踏みとどまってギリギリのところで震える声も、苦しむ呼吸ひとつとっても、ぐっと惹き込まれるよいお芝居でした……おかしいな言い方が悪趣味になってしまう……
もちろん日常のパートでの、「葉」を守るという明確な意志をもって行動していること、「葉」とのLINEでのやりとりでの少しお茶目なところ、ただの大人しいだけの人格ではなくて非常に魅力的な女の子でした。お気づきでしょうがわたしカレンのことめちゃくちゃ気に入ってる。

もうおひとかた、星さんはこれが初めて拝聴するお芝居でした。新しい住環境や他の人格たちによってトラウマから遠ざけられて鈍くあることで精神の自衛している(のだと思われる、多分)葉の、普段の明るい様子と、防衛本能が働いてスッと色を失う瞬間のギャップがとてもよかった。
カレンのこれまでの努力を無駄にしない形で、この葉の頑張りが、カレンの心を救うことに繋がっていったのがすごくよかった。決して自分を曲げてたり、あるいは無理に立ち向かうのではなく、ただ一歩踏み出して頑張ったということが。

こうして終盤、カレンも庇護されるべき「葉」のひとりである、というのに帰結したのがこの話のすきなところ。人格が相互に助け合う、ということそのものが『誰かのために』であると同時に『自分を愛する』の両立となるのが、多重人格という設定の上手い活かし方だなぁと。

告知から本編まで人格の重なりをミルフィーユに例えていたけど(タイトルでもあるので)、ラストのたくさんの『葉』(人格)がいるという辺りからは、直接見ると目の焼けてしまう太陽を幾重もの重なりで和らげて木漏れ日に変えるようなそういうイメージも受けたりした。だから滅多に表に出ない人格たちも、そこに居るだけで葉を守っているような、そんな。
まあ実際に阻んで塞き止めているのは光ではなく過去の黒い手であり闇なんだけど。いま立ち向かっている世界は光のほうかもしれない。

あと、多重人格を物語で扱うとどうしても多かれ少なかれその原因となった事象をどう描くかっていうところがあって、フィクションではあってもその塩梅難しいなって思うし身構えてしまったりするんだけど、わりとそこが引っ掛からずに聴けてほっとしたところある。

この辺に関してはツイートしたときにたまたま作者の田島さんから返信を頂けて、大切にしていたところだと教えてもらえたのでちゃんと受け取ることができてよかったなぁと思いました。もともとわたしの演劇の楽しみ方が、

事前情報でわーきゃー騒いで → 観劇して → ダイレクトに感じたこと深読みしたことをtwitterに書きなぐって → 作者さんや演者さんの裏話に膝を打つ

みたいな流れになりがちなので、短い期間のしかも劇場に足を運べない公演でもちょっとその片鱗を味わうことができてうれしかったです。公演感という意味では、すべて演者さんが自宅で用意できるデジタルグッズを用いたオンライン物販があったのもよかった。カレンちゃんにお嬢様って呼んでもらえる動画をお迎えしました……(カレンは人前に出ない人格なのでそれは解釈違いです!っていうわたしとわたしは概念としての観客だからいいんですーだいじょうぶなんですーカレンちゃんの声をお手元にのこしたいんですーというわたしとの葛藤がありましたが余裕で後者が勝ちました)
演者さんも、舞台に立った時と同じような消耗をしてるみたいなツイートをされていたので。

細かい掛け合いはないし、声帯的にはふたりとも「葉」という同一人物なのだから一人芝居でもやろうと思えば成立させられた作品だと思う。けれど、敢えて二人で演じることで個々の人格への愛着が湧いたし、帰着するさきは「わたし」であるけれどそれぞれの立場で「わたし」を生き「わたし」を守っているんだなぁと感じられたのもよかったなと思いました。
違う顔でも同一人物だったり、ただの箱が椅子にもプレゼントBOXにも化ける、そういう演劇の共同幻想を共有するたのしみありますよね。それ。

織り重なったわたしが
一人になってはじめて知った

あまくて優しい口どけの
苦くて手ごわい つくりかた

そして公演告知の文章の一部が上記だったわけですが、「苦くて手ごわい つくりかた」の意図するところが、葉の苦手な製菓そのものだけでなく、過去の辛い記憶に潜ってレシピを得ていたカレンの頑張りを示してるって気づいたときの「いやそれ苦くて手ごわいどころの話じゃない!!」っていうなんともいえない気持ちがね……二段構えでよい文章ですよね。

この『ミルマイ』は、演じる方を変えて毎週連続で公演をする新企画がいま動いているようなので、好きな役者さんが参加される機会があればまた観て(聴いて)みたい作品だなと思いました。


余談:劇場に至るまでの道程(物理)ってけっこうたいせつなんだなぁとおもったはなし

ギリギリまで家に居られる……というか、開演しても場所はおうちなのであまり緊張感がなく、開演前にお風呂に入ったら結構時間がギリギリでドライヤーをする時間がなく、実は頭が生乾きのまま開演時間を迎えました。自然乾燥しました。
通常の観劇ではありえない状態なのでちょっとおもしろかったです。
(時間の配分もっと考えようね)