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2022.05.22/お下がり

兄の荷物を片す前に大掃除をしている。ガラクタばかりだった和室をきれいにし、ずっと私の部屋にあった仏壇が和室へ移動した(今使っている部屋はもともと祖母の部屋だったので、祖母亡き後はずっと仏壇が置かれていた)。

和室には父方の先祖数代の仏壇と、母方の祖父母の仏壇がある。どうやら仏壇が同じ部屋に二つあるのは良くないらしい(ネット情報)。けど、しらん、そんなこと知らん。時代にも人情にも合理性にも合っていない意味不明なマナー全部いらん。

兄も私も、大人になってからはそれぞれゲーム機を買っていたから、我が家には今、PS4とニンテンドースイッチが2台ずつあることになる。しかも知らない間に兄はPS5を手に入れていた。言えよ。さらにスイッチはスマッシュブラザーズパッケージ版だ。わたしがおさがりでもらい、自分のスイッチは母にあげることにした。

データの引っ越し

下の子の宿命だけれど、子供のころはほとんど兄のお下がりが身の回りのものを占めていた。今日も押し入れを掃除していたら、出てきた色鉛筆セットの外箱に、わたしの子供ながらの字で自分の名前が書いてあったが、中の色鉛筆は一本ずつ、母の字で兄の名前が書かれていた。そういうものが、ひとつひとつ、兄が生きていたことを証明してくれる。今回の掃除は、その証明を捨てていく作業でもあるけれど。

思い出を振り返るために、リビングに入ってすぐのテーブルに、兄の幼少期のアルバムを積んである。子供のころの無邪気な兄がたしかにそこにいた。私もなんにも知らない顔をしてそこにいた。

スマホに痕跡がほとんどない兄が、直近で自分の写真を撮っているはずもなく、葬儀には運転免許証の写真をどうにか引き伸ばして使うことになった。明日はお通夜だ。また頭痛くなるくらい泣くんだろうな。受け入れられているようで、まだ全然受け入れられていないもんな。

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