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2022.05.02/僕らはボーナスで生きている


朝5時。兄のスマホのアラーム機能が鳴る。「ピピピピピ」という控えめな電子音に、「こんなんで毎朝起きれるのか」と心配になる。本人は高血圧なので早起きが辛くない、らしい。(あくまで家族内の憶測で本人から聞いたことはない) 私はむしろ低血圧なので、早起きが苦痛でしょうがない。その点については、羨ましいことこの上ない。

5時半。再び兄のスマホが鳴る。スヌーズ機能だ。暗証番号がわからず、とりあえずいろんなボタンを押して止めることに成功して、再び眠りに着く。

なぜ兄のスマホを持っているかというと、昨夜、意識が戻った兄を想定して、病院に持って行っていたのだ。まったく意味をなさなかったけれど、もはや形見のように感じて、自分のカバンに入れっぱなしだった。

7時半。ようやく一度目を覚ますも、目がパンパンに腫れておりいつもより視界が狭い。目の違和感を堪えつつ、自分のスマホでネットサーフィンをする。「脳幹出血」「脳幹出血 生還」「脳幹出血 死亡率」……何度かワードを変えて調べても、絶望が増すだけなのでやめた。昨夜から涙は絶え間なく流れ続けて、ずっと頭が痛い。飲み物を飲むために起きるのもしんどい。食欲は当たり前にない。

しだいに兄の人生について考え始める。彼は幸せだったのか。最後に話したのはいつだったか。同じ家に暮らしているとはいえ、お互いに1人が好きなことと無口なのも手伝い、顔をしっかり見ることも会話することもほとんどない。生活リズムも違うし、基本的に自分の部屋に篭っている。

記憶を辿れば、2週間ほど前、急遽仕事終わりに飲みに行く日があって、そのときに兄に車で送って行ってもらったことを思い出した。時間は21時、しかも突然の「送って!」に嫌な顔ひとつせず送ってくれた。しかも私が降りるときに、「気をつけてね」と声をかけてくれた。何が気をつけてだ、お前が気をつけろよ、ほんとうに、ばかやろう、と思って涙が出た。

かつて「命」をテーマにした話題で二つ、心の底から頷いた話がある。

一つはお笑い芸人「霜降り明星」のせいやさんがラジオで、自身の妹さんが出産した瞬間のムービーを見て、気づきを得たことについて語っていた話だ。

せいや:人間って、何で生きてんねやとか、何で産まれてきたんやみたいな哲学があるじゃないですか?

粗品:はい。

せいや:俺も思う。何のために生きてんねやとか。何のために生まれてきたんやろうって。これ、意味がないんやと思ったな。それを見て。この、産まれた瞬間に、周りの人間、全員が笑顔になるんですよ。周りの人をすっごい幸せにして……粗品さんも俺も、忘れているだけで。産まれた瞬間って全員を笑顔にしているわけよ。

粗品:うん。

せいや:そのボーナスで生きているだけで、全員がそれだけで、産まれたことだけで、使命を果たしてるんちゃうかなと思う。だから、さんまさんの『生きてるだけで丸儲け』って、マジでそうやなって思った。

粗品:はいはいはい。

せいや:産まれたから、あとの人生がどうとかじゃなくて。産まれただけで、みんなを幸せにして。あとは、そのご褒美で、みんなこう、人生っていうのを楽しんだら。だから何も悩まんでも、全部、ご褒美。産まれただけで、使命は果たしてるねん……って思ったな。
https://news.yahoo.co.jp/articles/
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もう一つは、歌手の宇多田ヒカルさんの、かつてのインスタライブでの問答だ。

視聴者から「なぜ人は誰かと別れる時に痛みを感じるのか」と質問を受けた。宇多田さんはその答えに、「もともと痛みがあって、その人の存在が痛み止めになっていたから」と語った。

関係が終わる時とか、誰かと別れる時に、もし辛いな、って感じるのなら、その心の痛みってのは初めから存在していて、その関係自体が痛み止めみたいな役割を果たしていたのかなって、もう既に抱えていた辛さを紛らわせてくれたってことなんじゃないかな。そうした支えを失う時に、痛みを感じるんだと思う。どれほど依存しないように、頼りすぎいないように、って考えてていてもね。薬物みたいになってしまうのかもね、心の痛みが元々あったのなら。


この言葉たちに今、だいぶ救われている。他にもグリーフケアや仏教の話を読み漁って、なんとか気持ちを持ち直すことに必死になっていたら、あっという間に昼過ぎになった。

14時に家族3人で家を出発し、兄が入院しているZ病院へ向かう。入院の正式な手続きや、準備一式を持ち込むためだ。詳細な説明を聞く母と、入院道具を持ち込む父と私の二手に分かれる。しかし病院あるあるだろうけど、案内する人たちの説明がみんなあやふやで、なかなか兄のいるところへ辿り着けない。いろんな棟の受付を3回ほどたらい回されて、ようやく着いたのは昨夜訪れた救急病棟のICUだった。そこの受付でも説明もなく長い間待たされたことに、父が苛立ちだす。気持ちはわかるけども。

看護師さんの説明を聞く。やはり意識の回復は難しいらしい。ICUのあちこちに「面会謝絶」とビラが貼られている通り、ここでも顔を見ることはできなかった。それは今後も変わらず、何かあれば電話するとのことだった。何かって。何かとは、そういうことだろう。一目、顔くらいは一瞬見れるんじゃないかと思ったが、いよいよそれも叶わないらしい。本当に次に会えるのは葬式かもな、と帰路に着いた。

両親は市役所へ「高度療養費制度」の申請をしに行くと言って、私とは別行動になった。かく言う私は、この一連の出来事にいてもたってもいられず、海が見たくなり沼津の南のほう、内浦へと向かった。内浦のコンビニでアイスを食べながら、海を眺めた。

なんだか思った以上に人が多く、居心地が悪くなった。そうだ、世はGWだった。もう少し下って西浦へ行こう、いやさらに大瀬崎へ。いやいやさらにもっと。戸田まで行くと帰るのしんどいか、と思い手前の井田へ。新緑が眩しく、ひとけのなさと引き換えに鳥やカエルが大合唱していた。海の音も居心地がいい。こんなところで宿泊できたら素敵だろうな、などと旅の妄想をする。

井田の明神池


明神池そばにあったゆるかわ地図


ひとしきり散歩をして、何事もなかったかのように家へ帰った。

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