音楽は皮膚が聴いている

杏林予防医学研究所で学んだ2日間。

まごはやさしいお食事、
たっぷりいただきました!

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その中でも「音楽」の講座は、
細胞が震える体験でした。

目には見えない
音楽の素晴らしさや
耳には聴こえない
超高周波の力を学び

音楽を耳でなく細胞で聴く
という感覚が蘇る時間となりました。

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《尊敬する山田先生!素晴らしいテキストの重みにも感激でした》



私は小さい頃から
ピアノを習っていて、
ピアノの先生のすすめや
母の希望もあり、音楽大学に入りました。

もちろんピアノを弾くことは好きだったし、そこに没頭する喜びも感じていたけれど…

基本的にクラシック音楽を演奏することも、聴くことも、私にとっては勉強であり、やるべきことでした。

むしろ高校時代は反動のように、ロックミュージックに夢中になり、R.E.M、ガンズ・アンド・ローゼズ、ニルヴァーナなどのアメリカンロックや、オアシス、ブラー、ザ・ストーン・ローゼズなどのブリティッシュバンドばかり聴いていました。

そんな私がクラシック音楽に本当に感動したのは、なんと大学に入ってからでした。(遅すぎるデビュー…)

ある授業でモーツァルト交響曲第41番「ジュピター」を聴いた時、雷で打たれたような感覚を覚えました。細胞がザワッとして、感動のあまり鳥肌が立ちました。
(まさに山田先生のおっしゃるように聴覚ではなく皮膚が聴いていたのだと思います)
今でもなぜか、その瞬間の何でもない教室の風景がシャッターをきったように脳裏に焼き付いてます。

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《シューマンのパピヨンに想いを馳せる。音大生の時は若いブラームスのイケメンぶりにときめいたものです。》


恥ずかしながら、それまで私のモーツァルトの印象と言えば教科書的なもので、ちゃんと腰を据えて交響曲を聴いたことすらありませんでした。

おそらく私の目覚まし時計の音楽がモーツァルト交響曲40番だったことが原因ではないかと…(^^;;)

その目覚まし時計は父からのプレゼントでしたが、毎朝起こされるあの「タラランタラランタラランラン♫」のフレーズが、私にモーツァルトに対する苦手意識を植え付けたのだと、思い込んでいます笑きっとピアノをしている私のために選んでくれたのだとおもうのですが
(父よ、お許しください)

そんな思い込みで、私はモーツァルトのあの素晴らしい後期三大交響曲を自ら進んで聴くこともなく音大生になったわけです。

ジュピターに感激してからは、ようやくピアノ曲以外の管弦楽やオペラも聴くようになりました。卒業した年には兵庫県の朝来市で開催された(その名もジュピターホールだった!)「モーツァルトの世界展」を企画監修された教授のアシスタントを務めたこともあり、モーツァルトの生涯についても色々学んだという経緯もあります。

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《モーツァルトのレクイエム。映画を思い出しますよね。》


しかし大人になってからは、夢中で音楽を聴く、ということもなくなって…BGMや情報としてなんとなく流れている、というものになっていました。

音楽は記憶とも深く結びついています。

昔、音楽が他の芸術と比べて
素晴らしいのは、
そこに留まらないからだ、
と教わったことがあります。

生まれては消えていく音が、
幾重も重なり、波が引くように
遠い彼方へ消えていく。

それは生命活動そのものと重なります。
生命も誕生と破壊の繰り返しで
一瞬も留まっていません。

だから音楽は私たちの細胞を震わせ
場を震わせ、
私たちは肉体を越える感覚を
味わうのだと、今回感じました。

今朝は久しぶりにモーツァルトを聴きたくなって
レクイエムをかけてみましたが
うーん、やはり音環境が…
レコードプレーヤーが欲しいなぁ。。。

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