29年前のスケッチブック
阪神・淡路大震災から29年。
あの頃私はまだ大学生で、その日に提出しなきゃならないレポートがあって、早朝までワープロで(パソコンじゃないよ、ワープロだよ)ポチポチとレポートを書いていました。
地震が起こった時、母は飛び起きて寝たきりだった父の元へ駆けつけました。動けない父にとって地震は、健常者の私たちとは比べ物にならないほど恐ろしい体験だったに違いありません。
実際、私たちの地域はガスこそ止まったけれど、すぐに電気は復旧し、水も止まらなかったので、それほど大きな被害はありませんでした。
ただ地震を機に父の容体が悪化し入院となったことで家族の生活は一変しました。交代で泊まり込んだ病室は、地震の影響で暖房がきかなくて…夜ものすごく寒かったのを覚えています。
その頃は携帯電話もなくて(そう、まだポケベル世代だった)病院にいる間やることもなくて、コリコリとスケッチブックに絵を描いたりしていました。(絵を描く趣味などなかったので、ほんとやることがなかったんだと思う)
翌月2月のはじめ、父は亡くなりました。発症して10年、ずっと続くかのようにさえ思えた長い闘病生活が、パタンと幕を閉じたのです。私のスケッチブックの最後のページは、亡くなった父の横顔となりました。
震災を思い出す時、記憶のページは父の最後の横顔で終わります。
能登半島の地震で明けた2024年。
寒い寒いあの地方で、多くの方がどんな想いをされているのか。
終わったようで終わらない29年前の記憶。
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