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映画嫌いを治すために意識したこと5つ

こんにちは、映画を見るのが苦手だった涼井です。
集中力が続かない…見たら楽しめるのに、見始めるまでが億劫…
10年ほど続いていた「映画が見たいのに見れない」という不思議なジレンマから最近抜け出しました。
抜け出すまでの経緯と具体的に何を意識したのか書き記しておこうと思います。
同じ状態の人がいたら読んでみてください。

映画を嫌いにさせる人間と離れる

突然「人間」の話になりましたが、私に苦手意識を持ったきっかけは、映画鑑賞と読書が趣味の同級生に「そんなくだらない作品しか見てないの?」「そんなのこの先の人生の役に立たないよ」と一方的に見下されたことです。

それまで私はジブリ映画も好きだし、邦画洋画関係なく有名なものはちょこちょこ見ていて、別に自分が映画が苦手な意識はなかったのですが…

・一度見たアニメや本、映画の筋をちゃんと覚えていない
・見てきた作品の数が少ない
・有名タイトルや人生に学びのない娯楽映画ばかり見ている

以上の3点が愚かしいと攻撃してきたのです。
そして自分はいかに今まで見た映画の筋を覚え、学んできたか、マニアックで人生の学びになる映画を見ているかを延々と語るのでした。

映画が好きなら黙って見ていればいいし、私に構っていないでもっと話が合う映画付きの仲間と語らえばいいのに、他人を見下したがる性格が祟って映画好きの仲間に入れてもらえず、私を使って憂さ晴らしをしていました。

今の私なら「馬が合わないし、いちいち失礼だし、めんどくさ!」とさっさと離れるのですが、当時の私は自分がどう感じるかより他人がどう感じるかを優先する自意識過剰・自信皆無のいじめられっ子だったので、まんまとモラハラ映画マニアと高校3年間ベッタリ過ごしていたのです。

私のような経験は間抜けすぎて稀だと思いますが、最近見た映画が面白かったと話したら、『あんな映画つまんないよ』『幼稚な脚本だよね』とか作品と自分の感想にケチをつけられたという経験がある人もいるのではないでしょうか?

彼女が鼻息荒く自分が選んだ映画を勧めてくるので、彼女への嫌悪感=映画への嫌悪感であると長年錯覚していたような気がします。
彼女と縁を切ってから、自然に見たい映画があれば映画館に足を運び始めました。

また、普段からネガティブな発言が多く、一緒に映画を見た後に「あそこが面白くなかった」とか「もっと違うことにお金を使えばよかった」とか済んだことに愚痴を言い始めるような人もいます。
そういう人と一緒に映画を見てしまうと、その映画が本当につまらなかったような気がしてしまいます。

映画に限らず、自分の逐一ケチをつけてくる人や、ネガティブ発言が多い人と付き合う必要はないです。
人生も映画も楽しむためにあるのです。

つまらない映画は途中で見るのをやめる

『映画は長いから見るのが苦手』『映画館で退屈になってしまう』という人は多いと思います。

今は映画なんて見なくても娯楽や学びはたくさんあるし、本当に子供の頃から長い映像を見続けるのが苦手な人は見なくてもいいです。
ただ、どんなに映画が好きな人でも「つまらなくても一度見始めたものは最後まで見なければいけない」と思って見るのは苦痛だし、その経験を繰り返すと「映画=長くてつまらない」と脳が無意識に記憶してしまいます。

私は「面白い映画には自然に見入っているので結果ジュースをあまり飲まず、トイレに立つ必要もない」という当たり前な事実に気がつき、自分への「集中力がない」セルフイメージが改善されました。
集中力は確かにないけど、面白い映画なら普通に最初から最後まで観れる。

娯楽に義務感は不要なので、つまらなかったらさっさと停止ボタンを押します。
私は映画館にはよほど気になる映画しか見に行かないので、まだ途中で席を立ったことはありません。

名作と呼ばれているものから見る

多くの人が名作と認めている作品は当然ながらハズレが少ないです。
間違いなさそうな作品から見て、「つまらない映画を見てしまった」時間が生まれるリスクを減らしています。

私は先日超有名な「STAND BY ME 」をアマゾンプライムビデオで生まれて初めて見ました。
見る前は「きっと少年たちの爽やかな友情物語で、根暗な自分には合わないかもなー」とあまり期待せずに見始めましたが、公開されてから30年経っても名作だと呼ばれているだけあって、映画を見ながらやっていた作業の手を止めて見入ってしまい、結局感動してこのノートを書いています。
そして別に爽やかでもなかった。

期待せずに見る

全ての映画が名作ではないので、普通につまらない映画もたくさん存在します。
つまらないという感覚も人それぞれです。

「暇だしオススメに出たから見るかぁ」「時間余ったし、ちょうど上映してるから見るかぁ」くらいの気持ちで見ると、自分が今まで見なかったジャンルも結構楽しめました。

「この監督とキャストなら絶対面白いはずだ!話題にもなってるし!」という強い意気込みで見始めると途中で見るのをやめたり、席を立つのが億劫になってしまいます。

何かしながら見る

私は簡単な作業(イラスト、アクセサリーの組み立て、化粧)をしながら映画を見ることが多いです。

手が止まるかどうかで映画への集中度も測れるので、「あんまり画面見てないし、やっぱり別のを見よう」「お菓子食べてばっかりだし、やっぱりラジオを聴こう」など、切り替えやすいです。
映画=最初から最後まで他所見せずに集中して見なきゃダメというわけではありません。
ながら見をするときは、よそ見していても声で内容が把握できる吹き替え版を選びます。

「退屈な時間」を減らす努力=私の場合は映画鑑賞

そもそも、なぜ私が映画が苦手なのに見ようとしたのかというと、退屈だったからです。
そして私は「退屈」は人生の敵だと思っています。
自分から進んでぼーっと空を眺めるとか、何もせずそよ風に吹かれたりして「心地良い時間」を過ごすのは素晴らしい休息だと思います。

問題なのは、何かしたいのにエネルギーが足りない、最初のエンジンがかからない時。
私であれば、週末に絵を描いたり、アクセサリーを作りたいと思っているのに、体をベッドから起こすのが億劫でダラダラYoutubeを見たり、読み飽きた漫画を読み返してしまって、「2時間も空き時間あったのにそんなに楽しくなかったな…」と後悔してしまうことがよくありました。

映画を流しながら取り掛かると作業に楽に取り掛かれるし、作業に夢中になったら映画を止めて、映画に夢中になったら作業を止めて、どっちにしろ貴重な休日を楽しく過ごせます。

映画好きの人には怒られるかもしれませんが、私は自分が最も嫌う「退屈な時間」を解消する「ツール」として映画を生活に取り入れています。

長くなりましたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
もし私のように「映画が苦手だが映画が見たい」という不思議なジレンマに取り憑かれている方がいたら、参考にしてみてください。

それではさようなら。

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