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1026_日記

社会人3年目。
「社会と自分が契約を結ぶ」ってことの本質がわからず
「何のために生きて何のために働くのか」って意味がわからず
考えることをサボって流れ流されて3年。

初めに、肉体のほうにガタがきた。
新卒1年目には客先で真っ青になってぶっ倒れ、
2年目には夜間急患にお世話になり、
「生活って何を大事にするってことなんだっけ?」
って涙も胃液も鼻水も垂れ流した状態で
駅員のおじさんに手を握ってもらいながら、ぼんやり考えていた。

大学時代から比較的ハードなサークル活動やゼミナールをしていて、
整備されていない環境で
積極的に動くことは得意だと思っていた。
冗談交じりに「社畜体質なんだよね~」と笑えていたことが懐かしい。
誰にも褒められたもんじゃないのに勝手に奴隷根性を発揮して、
何がしたいんだ????って自分でも思う。
私は誰の奴隷なのか、それすらわからない。

今年、家族の大病が発覚して
さらに私は自分の限界に近づいた。
「IT 2」にあったような気がするけど
個室トイレの中に水が流れ込んできて、みるみるうちに水位があがって
天井の空気をかろうじて吸えているような状態。
課題の所在もわからなくて、追い詰められて、
母と外食に行ったときも、ふと会話が途切れたタイミングでボロボロと涙をこぼしてしまった。
生理がしんじられないくらい重くて、予約したお店にも行けなくて
気分転換に散歩に行っても、声を出すのもだるい。
数十メートルおきに腰かけて休憩しないと倒れてしまいそうだった。
日曜の夜は会社に行きたくなくて息苦しさで眠れなくなるから
音楽を聴こうとおもったけど、好きなバンドもアイドルも歌手の声にも励まされたくなくて煩わしくて聞けなかった。
クラシックだったらと思って聞いたら少し楽になった。「モルダウ」とか「幻想交響曲」とか「新世界より」とか。

好きな人やモノがたくさんあって、見たいものも聞きたいものも行きたいところも見せたいものも伝えたいこともあるのに、何もできなくてこのまま死んでしまうんじゃないかと思っていた。
「消えたい」と口をついて出ることがあっても死にたくはないのに、それでもなぜかそう思った。

自分は何が楽しくて、何が嫌いで、何に好かれたくて何と闘いたいのか。
好きな季節や色やにおいが何かということすら答えられないことに気づいて
がっかりした。ショックだった。
とにかく私の世界の輪郭はぼやけて、ただ歩くだけただ見るだけただ聞くだけで、美しさも汚さも感じられる心にもう一度会いたかった。

何をどうしたらいいか分からなかったけれど、
感性と理性のそのどちらも欲しいと思った。
好きなものを言語化する力が欲しかったし、自分の真ん中においておける思想を獲得したかった。
余りにも柔らかいところに土足で人を招いてしまったことを心の底から後悔したから次誰がきても、ぶん殴れるような武器が欲しかった。

誰かに話を聞いてもらうという選択肢がなかったのは
私の高すぎるプライドと交友関係の希薄さと
結局、人に救い上げられてどうにかなるもんじゃないという諦念によるものだった。

辛くてしんどくて死ぬかもしれないくらい心がお終いになっちゃったとき、
自然と、「現代思想」や「近代哲学」を勉強しようと思った。
自分の悩み、昔の頭いい人達が通過してくれてるって考えたら
この苦しさも「まじおもろ」って思えるんじゃないか。

構造主義とニヒリズムとフェミニズムと世界五大宗教。
私の今のテーマはこれらである。
自分を救うことができる人間がこの世に私しかいないのであれば
私は賢くなるしかない。自分を救うために知恵を身に付けて
思想を養って「お前、いいから冷静に生きろ!!!」自分の頬を張れるまで。

以上

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