第8話・隠蔽の毒味を手に入れたジャンヌ
「いいか、ジャンヌ。君は経験値についてどう理解している?」
ゴードはキャベツと豚ひき肉の包煮をほおばりながらジャンヌに問いかけた。
「経験値は、戦いや訓練によって得られる成果の値です。その値が一定に蓄積すると、レベルが上がります」
「ほぉ。教科書どおりなのか?セイトン。ウッドバルトではこれが経験値の概念なのか?」
ゴードはパンを引きちぎった。パンで余ったソースをこそぎ落とすように、上手に皿を綺麗にする。ジャンヌはゴードの見た目の豪快さに反して、実はとても繊細で神経質なのではと、感じていた。
「経験値については、まだ正確には教えていないわよ。溜まる子もいれば、そうでない子もいるし。レベルが上がる子も、上がらない子もいるんだし」
セイトンは、口ごもり気味に答えた。いつもと雰囲気が違う、今日の先生はどこか様子がおとなしい、ジャンヌはセイトンの変化を見逃さなかった。
「ジャンヌ、経験値とは自らを成長させる自覚行為だ。どれだけ敵を倒しても、どれだけ訓練しても自覚がなければ、自分の中で積みあがらない」
ジャンヌは熱心にゴードの話に耳を傾ける。【エクスペリエンスの指輪】を所持しておきながら、経験値については考えてこともなかったからだ。
「自己の成長を自覚する、そこで初めて経験値が溜まるというものだ。だがな、【ソウルイーターの穴】いや【エクスペリエンスの指輪】は無自覚に経験値を蓄積してくれる秘匿財宝であり、呪われた道具、呪具体。それゆえに、指輪が成長を認識すれば、主に経験値というものを還元するという仕組みなんだよ」
「つまり、指輪と主との相性次第で、蓄積できる経験値も変わるってことね」
セイトンがやけに真剣なまなざしで、ゴードを見据えていった。
「そのとおり、そして指輪は主の魂を徐々に乗っ取っていく。呪具体の体は主の身体のこと。身体を呪う道具ってことだ。説明終わりッ」
ジャンヌは左手小指に填められた【理性の指輪】をまじまじと見ながら
「だから、この【理性の指輪】で自身をコントロールすればいいってことですね」
ウッドバルトのにぎやかな食堂のなかで、ひときわジャンヌの声が響く。
「まぁ、そんなとこかな。とりあえず、溜まってるスキルポイントを何かに消費する方がいいぞ」
「師匠かスキルの書があればね」
セイトンが皮肉めいた笑みをこぼしながら言った。
「ジャンヌ、よければこのスキルいらないか?」
ゴードは年季の入った古びたリュックから【スキルの書】を取り出した。
「これはな、【隠蔽の毒味】って言ってな、毒が無効になるスキルなんだが、みんな欲しがらなくてな」
「みんなが嫌がるスキルなんていりませんよ」
ジャンヌは不平そうな顔で言った。
「みんなが欲しがらないのは、かなりのスキルポイントを消費するからだぞ。セイトンクラスでもこのスキルを手に入れたら、他は諦めなきゃならないくらいだ」
ゴードは引き合いに出したセイトンの顔色を窺った。セイトンは引きつった笑いで、皿の肉をフォークで刺した。
「あのね!私だって、このスキル欲しいわよ。でもこれは、単独で戦える人じゃないと意味ないでしょ」
セイトンの語気が荒い。興奮気味に言い放った。
「どういうことですか?」
「この【隠蔽の毒味】ってのは、毒を永続的に無効化するってスキルだ。だから僧侶系の毒抜き魔法はいらない。知ってるか?毒沼に入るだろ、毒抜き魔法かけながらなんてしてたら、魔力いくつあっても足りねぇ。だから…」
「だから、戦闘時にヤバいなーってなったら毒抜き魔法かけるのよ」
セイトンが立ち上がって、ゴードのかわりに言った。そして、そのまま続けた。
「敵から毒系の魔法、属性が毒の武器で攻撃されたりすると、まぁ毒に侵されるでしょ。僧侶系だからってすぐ毒抜き魔法かけてられないのよ」
「どうしてですか?」
ジャンヌはさっぱりわからないという表情で質問した。
「毒抜きしても次から次へと毒攻撃されちゃぁ意味ないでしょ。それよりも、先に敵を倒した方が効率がいいのよ」
「その【隠蔽の毒味】を僕に習得させてくれるんですか?」
ジャンヌも椅子の背から体を起こして、ゴードに詰め寄った。
「あ、ああ。慌てんなって、君さえよければって話だ。どうだ?」
「はい、習得させてください」
「よしわかった。これを持ちなさい」
ゴードは【隠蔽の毒味】をジャンヌに手渡し、手のひらで印を結ぶ。スキルの書の習得方法はひとつではないが、ゴードは先代の盗賊王アルガンからこのスキル継承習得技を学んだ。
一通り印を結び終えた頃、ジャンヌが持っていたスキルの書がジリジリと角から蒼白く燃えて、そして消えた。
「おめでとう、これで君は毒無効のスキルを手に入れた。永遠にな」
ジャンヌは腕を回し、足をあげてみた。
「どこも変わりはないようですが」
「よく見てごらん、セイトンが毒魔法を君に向けて詠唱しているぞ」
ゴードは俯きがちになっているセイトンを指さした。セイトンは【窮鼠の咀嚼】を詠唱していた。全身が猛毒に侵される魔法、武器にエンチャントしてもいいが使用者が毒に侵される危険性がある。主に敵一体への魔法攻撃。毒に侵されれば、三分以内には絶命する。
「スードスード・ヌンヴィ…ハーメルの手よ、具現したまえ。窮鼠の咀嚼ッ」
セイトンの詠唱が終わり、ジャンヌに向けて放たれた。その瞬間、ジャンヌの身体が毒自体をいったん吸収した。その瞬間、指先から球体となって直径十センチほどの紫の玉が放出された。
「おぉ、これか」
「初めて見たわ」
ゴードもセイトンも目を輝かせて、紫の玉を見ている。紫の玉は数秒後、形を失い消えていった。
「これは」
ジャンヌは紫の玉が出た左手の指先をじっと見た。
「これが、【隠蔽の毒味】」
「いやぁ、うまくいってよかったな、ジャンヌ」
ゴードの軽い調子にジャンヌは戸惑い気味だった。
「もし、これ失敗したらどうするつもりだったんですか?」
ジャンヌは不安そうにセイトンに尋ねた。
「その時は、ゴードが毒抜きの魔法を詠唱するわ」
「ヒヤヒヤしたが、これでリムのオッサンともまともに戦えるってことだな」
地鳴りが響く。生命が失われていく喪失感、陽や正のオーラ―が急速に減っている感覚にジャンヌは襲われた。
「さぁ、おいでなすったね。セイトン、ジャンヌ」
リム王国から向けられた当初十二万のアンデッド軍勢は、三十万近くに膨れ上がっていた。
進軍しながらの村・町・都市の人々を飲み込み、アンデッド化していったのだ。
進軍するリムのアンデッド軍勢に、肉を奪われたものは、スケルトンに。鎧甲冑を身に着けた戦士は首をはねられデュラハンに。肉も骨も朽ちてしまったものは魂だけの死霊に姿を変えられた。もともとアンデッドだった生物など存在しない。
リム・ウェルが蘇生に失敗し作り出してしまった五体のアンデッド。そこから、アンデッドの軍勢ができあがったのだ。
ゴードは左右のナックルに爪を装着した。敵の思考を停止させる【述懐の爪】、弱点に致命の一撃を与える【金脈の爪】。
セイトンは左腕の義手【僥倖の腕】に聖水を振りかざした。
セイトンは預かっていた【無情のナイフ】をジャンヌに手渡した。ナイフは蒼く光り輝いていた。
ジャンヌの背中に冷や汗が流れる。感じたことのない恐怖心。それと同時に高揚した気分にもなっている。だが、今までのような理性が吹っ飛ぶというようなことはなかった。【理性の指輪】がジャンヌの闘争本能を抑え込んでいた。
「来るぞ、えらい多いな。ざっと二十万か」
「いいえ、三十万ほどね」
セイトンが正確に敵の情報をスキャンした。
「そのスキルにはいつも助けられるね」
「どういたしまして」
城門を出て、ゴード・セイトン・ジャンヌは敵を迎え撃つことにした。十二聖騎士はまだ来ない。父ラルフォンやその弟子ロベルトは他の十二聖騎士とともにさらに前線でアンデッドたちを迎え撃っている。
前線で十二聖騎士が全力を尽くしても、五十万のアンデッドを倒しきれない。だが、二十万は討ち倒した。残りの三十万がウッドバルト城壁前まであと百メートルのところに進軍していた。網の目を潜り抜ける小魚のように、だが小魚も束になれば脅威だ。
「ひとり、十万でいいんですよね」
ジャンヌは冷静に発した、セイトンとゴードは自分の顔が強張るのを感じた。
「さ、いこうか!」
ゴードの合図で三人は敵本陣へと飛び込んでいった。