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いっき(サン電子)と交換したアイツに満足できなかった理由

『ある男』、平野啓一郎・原作→映画の流れで鑑賞。原作自体はだいぶ前に読んだので、少し忘れている。映画は妻夫木聡だったがイケメンが強い。こんなに男前だった?ってくらいに、いい男だ。

原作の城戸章良(妻夫木聡役)は、なんとなくの記憶だけど、もっとだらしない感じだった。不健康そうなイメージ。記憶があいまいなのだ。だから原作を読んだとて、さほど変なバイアスかかるわけでもなしですな。

キャスティングがよかった

城戸役の妻夫木聡がよかったが、父親と二役の窪田正孝はものすごくドキュメンタリー演技でよかった。勝手に人の家の状況をのぞき見しているような、そんな演技。ちなみに窪田正孝の役名は谷口大祐なんだよね。映画ドットコムじゃぁ、仲野大賀が谷口大祐(本物)となっている。僕がどうこうというよりも、これはこれでネタバレになっている。

仲野大賀、ひとこともしゃべってなくない?
これは、ある意味事件な演出だ。セリフナシでしたよね?もったいないと思うのは、僕だけ?原作ではもう少し城戸とも絡みはあったけども。

眞島秀和が物語をグッと見入らせてくれた
谷口大祐の兄役
なんだけど、この人がいなかったら物語が進まなかった。とても重要な役どころ。たぶんいい人なんだけど、温泉旅館の長男という役どころで、この長男っていうポジションを他人にも押し付けてくる感じがよかった。他人にそんなに偉そうに言うのってなんでだろう、そう考えると、「俺は長男だから!」というニュアンスが端々に見えてきたのだ。

で、あぁ、コイツ嫌なヤツ!みたいな共感が物語のなかで生まれてくる。この嫌なヤツのおかげで、城戸の中で抱えている無言の差別みたいなもの、城戸自身に直接向けられていない差別みたいなもの、が城戸を通じてあぶりだされてくる。その正体不明の差別みたいな攻撃に対して、どのように闘っていいのかわからないんだけど、ファイルをテーブルに投げつけたり、子どものちょっとした失敗に怒ったりと、確実にストレスフルになっていっている。城戸の心に発する言葉を棘のようにひっかかり・ひっかけて、無意識・意識的に追い込むのは、谷口の兄(眞島秀和)と小見浦憲男(柄本明)だ。

谷口の兄はひっかかり・無意識に、小見浦はひっかけて・意識的という違いはある。

小見浦憲男(柄本明)の意識的に追い込むセリフ

「先生かて、在日が嫌で(戸籍を)交換したいと思ったことあるでしょ。先生は在日っぽくない在日ですね。それはつまり、在日っぽいってことなんですよ」

これね、この言い方が、映画に引き込ませていく感じなんだよね。

映画の本筋:戸籍交換について

戸籍交換がこの映画のギミックというか、手段というか、道具みたいなもんで。自分の負い目というか気にしている=コンプレックス的なものが代えがたいものだった場合どうするか。

・顔が嫌いなら、整形という手段がある
・ぽっちゃり体型なら、ダイエットと言う手段がある
・勉強が苦手なら、勉強以外の方法または勉強を頑張るという手段がある

という具合で、コンプレックスに対してある程度=手段を使えば、気持ちまろやかになる、解決とまではいかなくても。

・出生の悩み
・自分の過去
・身内でのトラブル

みたいなものに対して、戸籍交換っていう、犯罪手段で解決していく

むぅ。映画を観ていて疑問に思うのは、いわゆる「悩ましい戸籍」を持ち寄って、お互いトレードするかって点だ。自分にとってのマイナスは、誰かにとってのプラスといったところだろうか。

自分に当てはめると、これは「ファミコンソフト」交換にも近かった

昭和40年代生まれは、さまざまなイノベーションによって至高の快楽を享受してきた。テレビがリモコンになり、ビデオデッキが誕生し、CDが生まれ、ポケベルが流行り、携帯を持ち、パソコンを使い、ネットで調べ物ができ、スマホが不可欠なアイテムとなり、みたいな。

その中でも僕に大きな影響を与えてきたのが「ゲーム」だ。バンダイのテレビジャック5000を買ってもらった記憶がある。

で、1985年のクリスマス、頼みに頼んでファミコンを買ってもらった。小学六年生の頃だ。まがりなりにも、これから中学受験しようとしていたとは思えない。。。

で、ソフトはサン電子(サンソフト)の至宝の名作「いっき」。
2P同時プレイ可能のアクションシューティングゲームだ。考えようによっちゃー「戦場の狼」にも似ている。(どうでもいいけど)

↓当時から革命的なゲーム作りで、コアなファンを楽しませてきた「サンソフト」。僕が子供のころはサン電子だった気がするのだが。。。

↓↓↓↓↓↓いっきの新作もあるみたいだ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

30分で飽きた。クリスマスが終わった冬休み。中学受験に集中できたから「ありがとう」と言いたい、「いっき」!

この、「いっき」と「ある男」の共通点は?

冬休み明け、小学校へ。クリスマスに買ってもらったゲームソフトにそろそろみんな飽き始めていた。当時小学校ではまだ禁止されていなかったが、子ども同士でゲームソフトの交換ってのが流行ってた。

お金もないし、そんなに頻繁にゲームソフトを買ってもらえるわけじゃない。だから「交換」して、お互い楽しむってものだ。

僕の「いっき」はクラスの男子、誰も持っていなかった。希少性の塊。それを一時的だが交換して、相手のゲームソフトを楽しむ。相手の人生を生きるのと多少の共通点はあるように思う。

僕の「いっき」は

・エレベーターアクション
・スパイvsスパイ
・ミロンの冒険
・ソンソン
・バルーンファイト
・スぺランカ
(だいたい交換期間は1週間弱・短ければ翌日)

記憶のなかから甦ったものだけピックアップ

といった名だたるゲームソフトと交換していった。僕にとっては、やり飽きた詰まんなかったゲームソフトだったけど。きっと、交換相手も同じだったのだろう。人間としての器部分は変わらない、ソフト部分を書き換える。そうすれば、またやり直せる。なんだか、ゲームソフト交換に似てない?強引?そう言わずに。

その後、僕はある友人とゲームソフトを交換した。僕のエースで4番「いっき」。このおかげで数々のゲームを楽しめた。相手のソフトは「ロードランナー」だった。塾の友達だった。黄色のソフトが懐かしい!!!

受験終わりで、僕は不合格で彼は合格していたと思う。中学に入ってもその塾に通うということだった。

ゲームソフトを交換して、意気揚々と帰りファミコンに差し込もうとしたそのとき、ささらない。どうやっても無理。よく見たら(その当時は知らなかったんだけど)MSXだったんだよ。。。

その後、友人は中学に入ると別の塾に行ったらしい。ゲームソフトは交換されたまま。しかもMSXなんてハード持ってないし。ファミコン買ってもらうのに2年かかったってのに。。。

大脱線しましたが、その後僕の手元に残った「ロードランナー」。友人の住所も知らず、電話も知らず。塾も教えてはくれないので、詰んだ中1の春でした。

交換した相手のゲームソフト。器(ハード)に入らないまま、じっとそこに何年もいた。相手にとって価値のないゲームソフトだったが、僕にはもっと価値がなかった。ハード持ってないから!!!

交換した戸籍ってのはどうなんだろう。ゲームソフトと言うわけにはいかないけれど、窪田正孝演じる谷口が亡くなるまでは、みんな交換したままで満足していたのだろう。戸籍の交換は犯罪だけど、そこから逃げるための手段だとするならば、整形やダイエットなんかと意味は変わらないもの。

僕のゲームソフトの場合は、相手(友人だった人)は手段としては成立したんだろう。僕には、ゲームを楽しむという手段としては不成立だった。

これは、映画内でも出てくる交換に満足しない状態で、次の交換をすることになる。僕はその後誰ともゲームソフトを交換することはなかった。交換したとはいえ、一時的なもの。永久に交換することになったこの事件がいい経験になったのだ。

まるで騙されたような話だったが、相手の戸籍と交換して手に入れるものってのは、相手に自分の元戸籍のデメリットを完全に公開していないということなのかもしれない。

表側だけは伝えていても、その裏側にある苦悩の部分を伝えてはいないだろう。そんなことをしたら、交換不成立になるだろうから。

そもそも、どうして彼は(友人だった人)、ファミコンソフトの交換にMSXソフトを持ってきたのだろうか?映画を観た後にそんな、どうでもいいことを考えさせられたのだった。

追伸
けっきょく僕は、中学生になって小遣いためて中古の「ロードランナー」(ファミコンソフト版)を買った。「いっき」を失ったことは、今でも後悔している。

僕の後悔

河合優実も出ていてビックリの一作『ある男』、ぜひご鑑賞くださいませ。(小説版もおすすめです!)


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