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【短編】わかりあう、ふたり

「ねぇ、もう終電なくなるんじゃない?」

 早田早紀は澤井雄二の断固として帰らなさげな素振りが気になっていた。もう夜の十一時五十分だった。終電がなくなったら、カラオケっていってもとにかく今日は帰りたい、早紀は雄二が帰るよと言いださないかと強く強く念じていた。

「あのさ、ここからタクシーじゃぁ五千円はかかるもんね。ウチまで」
「知らないよ、京都駅から久御山あたりならそうなんじゃないの」
 早紀はそっけない。だが早紀にはさっきから雄二のまわりに余計なものが見えていた。
――あぁ、あれかぁ。雄二、タクシーで事故?京都駅出てすぐのところで事故か。。。あぁ、面倒だなぁ。こんなに遅くまで飲んでるからだよ。

 早紀にはちょっと先のことがわかる予知能力がある。

「ねぇ、雄二、電車で帰んなよ。近鉄で大久保まで行ってさ、そこからタクシーで帰んなよ。バスがなくったって、ほら、そっちの方が安上がりだし」

早紀は京都駅からタクシーではなく、雄二の最寄り駅からタクシーでの帰宅を勧めた。

――私とデートして、帰りに事故られたらたまったもんじゃないし。

「それもいいんだけど、早紀ちゃんさぁ大久保駅のロータリーにはなかなかタクシー来ないんだよ」

 つまらないひと悶着している間に、時計の針は深夜十二時を回っていた。側から見れば、カップルが家にいっていい?ダメの押し問答しているようにも見える。

七条の奥まった店の近くにいた。京都駅までここから歩いたら十五分はかかる。走れば間に合うが早紀は、雄二が途中で転んで左足をケガするビジョンを見た。

 早紀には断片的に、意識している人の短期的な映像が見える。子どもの頃はなにか頭の中で思い出したものが見えているのかと思っていた。そのせいで小学生の頃は、不思議ちゃんと分類されていたしなかなか友達もできなかった。

 早紀が中学生の頃、母親と買い物をしている時に横断歩道で事故に合うビジョンを見た。母親はトラックにはねられ即死だった。

 早紀はその予感を信じて横断歩道を避け、陸橋から向かいの道路へと渡った。すぐに、けたたましいブレーキ音が聞こえてきた。横断歩道ではトラックが横転事故を起こしていた。幸いにもけが人がいなかったことが救いだった。

 早紀はこの力を「いいこと」に役立てたいと思っていた。だが、見知らぬ人にこの先起こる事故や危険なことを伝えても、頭のイカれた人と思われてきた。実際にそんな経験をたくさんしてきた。

 小学生の頃、唯一できた友達の由美に自転車で転ぶから、歩いて公園に行こうと提案した。待ち合わせている公園に由美は自転車であらわれた。

 思い過ごし、予知なんて外れることもあるんだと思っていたが、帰りに由美は事故にあった。打撲程度の怪我だったが、由美が事故を予知された話を由美の母親にしたからあとが大変だった。

 由美の母親は早紀の家に乗り込んで、「早紀が自転車に何か仕掛けた」と言いがかりをつけてきたのだった。

そんな一件もあり、早紀は積極的に他人のためにこの力を使うのはやめていた。

 今日だってこの力はなるべく意識しないよう、と早紀は常に心掛けてきた。初めてのデートなんだしと。でも見てしまったからには、知らんぷりもできない。このまま雄二を帰らせたら、事故に遭ってしまう。

「ねぇ、ウチ来る?」

 雄二にとって思いがけない言葉が早紀の口から出た。早紀自身にも思いがけなかった。七月も半ば。早紀も雄二も汗が滴り、シャツはぐっしょりだった。

「え、いいの?」
 待ってましたと言わんばかりの、雄二の返事に早紀は辟易とした。「ソファーで寝てもらうから」

 不思議と早紀のビジョンにはただぐっすりと眠る雄二の姿しか見えていなかった。
「襲わないから、大丈夫だから」
「当たり前でしょ」

 早紀は雄二と歩きながら、七条から五条にある早紀のマンションへと向かった。歩いて二十分ほどだった。烏丸通を北へ。汗ばんだ手の甲が触れ合う。雄二の猛アタックでしぶしぶデートに応じた早紀だったが、今日のデートは悪くなかった、というよりも、むしろよかった、と早紀は感じていた。

 早紀は買ったばかりのヒールで靴擦れしていた。
「あら、早紀ちゃん、靴擦れしてるね」

 会社では何を考えているかわからない雄二だがこういうところに意外と気づく。

 雄二は今日買ったビーチサンダルを早紀に手渡した。
「ありがと…」
 雄二のさりげない優しさに早紀は心惹かれていた。

 デザイン事務所で早紀の一つ後輩の雄二は気配りの人だった。毎日といっていいほど終電間際まで残業している二人は、いつしか何気ない会話を繰り返すうちに、お互いを意識しはじめていた。
大人だからそれなりに恋愛もしてきた二人。お互いパートナーがいないことを確認するのに時間がかかった。

早紀は雄二に彼女がいないことを予知を使えばわかりそうなもんだったが、あえて予知能力を使わなかった。なんでも勝手にわかるというのは、困りものだ。恋愛に限らず、知らなければよかったってことは、たくさんあるからだ。

 そうはいっても早紀はことあるごとに、雄二のちょっと先の未来を予知し、さりげなくアドバイスをしてきた。仕事に関してだけ、予知能力を使ってきた。

 早紀の予知は一時間先程度の短期的なものだった。ギリギリまでわからないときもある。だが、早紀のアドバイスは的確なだけあって、雄二は早紀に絶大な信頼を寄せている。

 「家に来る?」という早紀の言葉には従っておいた方がいいと思い、とっさに「え、いいの?」と雄二は答えた。

「早紀ちゃんさぁ、ちょっと遠回りして行こうよ」
「えぇ、汗だくだし、早く帰りたいよ、足も痛いし」
 早紀は不服そうに雄二の肩を叩いた。ピシャリと雄二の肩から熱気が伝わる。早紀の右手には買ったばかりのサンダルが揺れていた。

―この道、暗いから怖いのになぁ。早紀は自分からは雄二が提案した裏道を通らない。以前待ち伏せしているような男がいたからだ。
 早紀は基本的に自分のことは予知できない。母親と一緒に買い物に行った時、事故を避けられたのは母親についてのビジョンが見えたからだった。

 自分のことがわかるなら、今日はかわいいだけでサンダルは選ばなかっただろう。そういえば雄二が貸してくれたビーチサンダル、いつ買ったんだろうタイミングが良すぎる、と早紀は思った。

 二人は裏道を通りながら、早紀のマンションへと向かった。表の烏丸通では、工事中のビルから足場が崩れて落ちた。深夜の烏丸通に北から南へと鳴り響き、ビルに音が反響した。

 時間が遅く通行人はいなかったが、烏丸通に雑然と落ちた広がった鉄製の足場が広がっていた。俯瞰で見るとそれは、どこか規則的に散らばっていた。

「ねぇ、さっきドーンって大きい音、しなかった?」
「したかな?なんか車の事故じゃない?」
 雄二はまるで何事も起こっていないかのように、飄々と返事をした。

二時間前 夜十時
 早紀と食事を楽しんでいた雄二は、トイレと嘘をついてレストランを抜け出した。表の向かいの通りにある靴屋でビーチサンダルを買っておいたのだ。閉店間際だったが、無理を言ってレジを開けてもらった。

 雄二もまた早紀と同様に、ちょっと先のことが予知できる力を持っていた。自分のことはてんでわからないが、他人のことならビジョンが見えるのだ。今日はせっかくのデート。知らなくていいことを知って幻滅したくない。この力を封印しようと決めていたが、結局「靴擦れ」「烏丸通での事故」を予知していた。

 早紀のマンションに着いた。ドアのカギを開ける。整然と並んだ玄関は、狭い。汗だくの二人の身体が密着した。早紀にも、雄二にも、同じビジョンが見えた。二人が早紀のベッドにいる姿だった。二人は同時に言った。

「ねぇ、コンビニ行こうか」

二十年後

「それでも、できちゃうときはできるものよね」
 真子が早紀の横で夕食の準備を手伝いながら言った。真子は続けた。
「予知なんてあてにならないのね」
「先のことはわからないものよ」
と早紀は真子の生意気な顔を想像しながら言い返した。

 時計の針が七時十分を指している。
「あ、もうすぐパパ帰ってくるわね」
「え?いつ連絡あったの?」
 真子はジャガイモを手に取った

「夫婦になれば、わかるのよ。」
「それって予知?」
 真子が手際よくジャガイモの皮をむきながら、聞いた。

 早紀が包丁を置いて、調理の手を止めた。
「長年の努力よ」


おわり

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