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犯罪が「割に合う」人を減らしたい-優しさと繋がりをテーマに-

小田急線、京王線、東西線ときて、今度は九州新幹線。個人による鉄道内犯罪が連続して起きている。「そんなやり方があるのかと思って」と本人も模倣犯を認めている。この間に、上野駅で2人が刃物で刺される事件もあった。

これだけ連続して起こってしまうと、特別なヤバイ人が起こした事件だと片付けることはできないと思う。

日本に、犯罪が「割に合う」人が、たくさんいるのだ。

人間関係やお金に恵まれた人、お金がなくても稼ぐ力がある人は、犯罪なんてリスクとリターンが割に合わなさすぎて、しようと思わない。「普通」の人が犯罪を起こさない1番の理由は、倫理観がすぐれているからではなく、割に合わないからだと思う。

彼らは失うものがないのだ。好きな人や悲しむ人や迷惑をかけたくない人がいない。刑務所暮らしになっても全国民から嫌われても別にいいと思うような日常を送っていて、状況がいつか好転しそうな希望も見出せない。

これらの事件が、今朝の羽鳥慎一モーニングショーで「孤独」をテーマに扱われていた。何でも、1980年代に「人間関係の自由化」が起こり、結婚、家父長制、終身雇用といったものから個人が自由になった。そして「人間関係の格差」が生まれ始めたのだそうだ。初めて聞く言葉で、深い切り口だなと思った。

1989年に生まれた私は、図らずもそんな時代を謳歌してきた。友達関係にも家族関係にも悩むことはあったし、友達が結婚したり子どもが生まれたりする中で独身の淋しさを抱えて生きてはいるけど、実家の家族とはまあまあうまくやっているし、愛も感じている。友達関係にも、今となっては恵まれている方だと思う。仕事もある。だから、犯罪とか、しようと思わない。

今、私がこういう状況にあるのは、私なりに努力したり動いてきた結果だとも思う。だけど、そうしたいと思えて、それができる環境や思考回路に生まれ育てたのは、別に私の力ではなく、運だ。

この30年の中でどんどん孤独を深めた人もいるだろう。経済格差の問題は長いこと議論されているけど、人間関係の格差というタイトルで議論がされることって、今まであんまり無かったんじゃないかな。

人間関係に恵まれている人は物凄く恵まれているけど、恵まれていない人はとことん恵まれていない。その格差は人生が進む程に広がっていく。これはもしかしたら、中学生でもピンときてしまう事実かもしれない。

コメンテーターの玉川徹さんが「経済の話だったらお金をたくさん持ってる人から持ってない人に分配する(累進課税的な?)みたいな議論になるけど、もしかしたら人間関係も、コミュ力高くて人間関係に恵まれてる人は、その分挨拶とか声かけとかするっていうのがひとつ解になるかもしれないね」みたいなことを言っていて、確かにそうだなと思った。

私はコンビニレジでの一言会話を楽しみにしている。最寄りのセブンイレブン、大体どの店員さんも感じがいいのだ。一言会話をして笑顔で店を出るとそれだけでも気分が晴れる。アットホームな田舎に住んでいる訳ではなく、結構な都心に住んでいるのだけど、そういうことを日常にしている。

私はこういうのが好きだから自分からチャンスを見つけて自然に話しかけて顔見知りになっていくんだけど、もしかしたら店員さん側からこういうアプローチをするのって、思っていた以上に社会にとってだいじなことなんじゃないかと思った。

だから犯罪を犯してもいいと言ってる訳では全然ありません。同情しようと言ってる訳でもありません。刑務所に戻りたいとか注目を引きたいというなら、もう少し人を巻き込まない方法があるじゃないかと思います。不幸巻き込み型犯罪、めちゃくちゃダサいと思います。

でも、犯罪が割に合わない幸せな人を増やした方が、結果犯罪が減って安心して暮らせてみんなハッピーじゃないか、ということを思っています。

そのためには、経済成長とか自己利益の最大化とか最高効率とかじゃなくて、もっと優しさや人との繋がりをテーマにして社会づくりをしてもいいんじゃないかなあと思うんです。少なくとも私個人は、そういうテーマで生きていこうと思っています。

「成長なくして分配なし」と岸田さんは言うけど、本当にそうですかね。そもそも成長したら分配する気があるのかも疑問だけど。。。

もはや「成長より幸せ」をテーマにしていい時期なんじゃないでしょうか。

結構前に見たこの動画を思い出したので自分のメモのためにも貼っておきます。元ウルグアイ大統領の国連での「伝説のスピーチ」です。良かったら見てみてください!

今回も読んでくださってありがとうございました。それでは、また!

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