「せい」が「おかげ」に変わる時

#ライフストーリー
#メンタルヘルス

何か嫌なことがあった時、つらいことがあった時、理不尽なことがあった時、「○○のせいでこうなってしまった」と考えてしまいがちです。

私の場合は、9歳で小児白血病が再発し、寛解して学校に戻った後、数年間こう考えてしまっていました。

得意だったスポーツが苦手になってしまった。そのせいで友達ともうまくいかなくなってしまった。大好きだったバスケで活躍できなくなってしまった。当然来ると思っていたバスケ部充実ライフが永遠に失われてしまった。見た目でバカにされるようになってしまった。ジロジロ見られるようになってしまった。背の順も後ろの方だったのに1番前になってしまった。身体が拘縮してしまった。体育の授業や運動会のたびに恥ずかしい思い、気まずい思いをする。休み時間に居場所がない。などなど。。。

悔しさで泣きそうになりながら、たまに泣きながら、小学生の高学年と中学生生活を送りました。

転機が訪れたのは高校生になってからです。中学時代にバスケ部を3ヶ月で辞めてしまってからも、僕はバスケを諦められずにひとりで練習したり、走ったりしていたのですが、いつまで経っても戻らない運動能力に「骨髄移植っていうのは、前回受けた治療とは全然違うんだな」と察していきました。成長期にある同級生との差は、広がるばかりでしたから尚更です。そこで、高校の部活選びを機に「バスケに関してはあがき切った」とケジメをつけることにしました。

迷ったのは、バスケ部のマネージャーになるか、吹奏楽部に入るかでしたが、「部活で青春したい」という目的意識に照らして、吹奏楽部を選ぶことにしました。吹奏楽部が強い高校だったので、少し不安もあったのですが、だからこそ部活で青春(私にとっては、仲間と一緒に目標に向かって頑張ること、でした)できるんじゃないかとの考えもあり、初心者で思い切って入部しました。この選択が、人生を変える転機になったんです。

仲間に恵まれ、最高の部活動ライフを送ることができました。こうなってくると、勉強の方もポジティブな動機(大学でも良い仲間と出会いたい!)で頑張れるようになり、相乗効果で高校生活がどんどん楽しくなっていきました。

そしてある時、ふと思えたんです。これまで、病気の「せいで」こうなってこうなってこうなってしまったとばかり考えていたけど、病気してなかったら吹奏楽部には入っていなかったわけで、今の仲間とも出会えていなければ、今のような心持ちも高校生活もなかったわけで、病気の「おかげで」こうなってこうなってこうなったんだ!と。その瞬間、過去10年分の人生が再構築されていくのを感じました。この時の部活の仲間は、今でも1番連絡を取り続けている仲間で、多分このnoteも読んでくれたりするだろうから、少し気恥ずかしいのですが笑

綺麗事だと、思われるでしょうか。しかし、私にとってこれは現実に起こった心境の変化なんです。私の経験を根拠にするもので、科学的根拠には全く基づいていないですが、私は声を大にしてあなたに言いたいです。

「せい」が「おかげ」に変わる時は、必ず来る。

これは、今すぐポジティブに捉えなおせと言っているわけではありません。むしろ、落ち込むべき時には思いっきり落ち込むことが、立ち直るためには必要だと思います。

大切なのは、必ずやってくるその時まで、自暴自棄にならずに生きることです。

そうしなければ、せっかくチャンスがやってきた時に、掴む能力まで失ってしまうことになります。

落ち込んでもいいし、人に頼ってもいいし、迷惑をかけてもいいと僕は思います。ただ、自分を殺してしまうことだけはしないように。理想と違う状況でも、恥ずかしく感じるような状況でも、ただ生きていくだけなら、案外普通にできてしまうものです。これは職場などでもかなり当てはまるんじゃないでしょうか。

どうか、ただ生きる、っていうのを、やってみてください。こういう生き方に気づけたということで、案外世界が面白く見えてくるかもしれませんよ。

自分が特殊事情に置かれている時こそ、色んな人が色んなことを言ってくると思いますが、それに惑わされず、今が休むべき時なのか、頑張るべき時なのかは、それは自分で判断してくださいね。

今回の記事は、これまでプロフィール記事として登録していたこの記事「僕が最初に闘った相手は病気ではなく社会だった(前編)」の後編とさせてください。つらかった時代をもっと細かく書こうと思っていたのですが、つらいのと、あんまり意味ないなと思いまして、こういう形で書かせて頂きました。しばらくはこの記事をプロフィール記事として登録しておきたいと思います。

それでは、今回も読んでくださって、ありがとうございました!

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