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友達はいなくても良い

尊敬している方が言っていた言葉

「私は友達はいなくても良いと思っているの。
世間一般に言う"友達"と定義されるような関係の人はいるよ。
でも私はただ、会いたいと思った人がいれば、連絡して会っているだけ。
会いたいと思わなかった人には会わない。
ただそれだけ。」


歳を重ねるにつれて、経験を重ね、新しいもの、人に触れ、
私の中の価値観が変わっていった。
価値観・考え方が変わるにつれ、昔の友達とズレを感じるようになった。
それでも”友達だから”と付き合いを続けていた。

それは、友達がいなくなることに対する恐れでもあった。

けれど、この言葉を聞いた時に、ハッとしたのだ。


「会いたい」「話したい」と思わない相手と、
「友達だから」と言って会い続けることは健全な関係ではない。


そもそも友達の定義ってなんだろう。
その本質はなんだろう。


「友達」という言葉に縛られた人間関係は、とても不自由だ。


「親友」という言葉もある。
これは友達の中でも最も仲が良い友達を示す言葉のことだろう。


私も数年前まで学生の頃からとても仲が良かった友達を「親友」と定義していた。
けれど、その親友とは2年前から1度も会っていない。

最後に会った日、会話が全く噛み合わなかった。
大切にしているもの、価値観、考え方、感覚、全てがズレていた。

きっと、少し前まではそれが近かったから「親友」と定義していたのだろう。


けれど、人間だもの。
それぞれの人生があり、それぞれ異なる世界を歩み、異なる人に出会い、異なる経験をする。

学生の頃は、きっと2人の間に大きな経験の違いはなかっただろう。

でも社会に出て、学生の頃よりも自分で選択する自由が与えられた今、
個々の経験は学生の時以上に全く違うものになっている。


大切にしているもの、価値観、考え方、感覚にズレが出るのはごくごく自然なことだ。

今はズレが生じてしまったけど、また合う時が来るかもしれない。
人間関係なんてそんな移り変わりの激しいものだと思う。


そんな中で、いちいち「友達」だとか「親友」だとか定義する必要があるのだろうか。


昨日までは「親友」と定義していた人が、ある日を境にズレを感じ「親友」とは言えない存在になる。
わざわざ定義していたらキリがないのではないか。


定義をしてしまうことで、「友達」「親友」という言葉にまどわされ、
本当の正直な気持ちに蓋をしてしまうこともある。
「友達」「親友」がいなくなることを恐れて。


本当に大切なことは、"肩書"のような外側のものではなく、
今会いたいのかどうかという"自分の正直な気持ち"ではないだろうか。


冒頭の言葉は、本質からズレかけていた私を、
本質に立ち戻らせてくれたのだった。


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