悪の味方は正義を殺す

 街は荒廃していく。
 怪人の破壊行為に対する修復は日に日に間に合わなくなっていき、支援物資の供給も少なく、住める場所は制限されていった。
 唯一の希望と言える魔法少女ルミネは、ただ一人、瓦礫の中で立ち上がる。目の前の怪人クモウを倒すため。
 ルミネと同じくらいの年齢に見えるクモウは、人間とは明らかに違う凶悪な節足を持っている。黒く尖る八つの足を自在に操り、彼は一歩も動かず、ルミネを、街を、傷つける。
「もうすっかり、守る街は無残だよ」
 クモウは嘲笑う。ルミネの元に歩み寄り、深手を負い粉塵にまみれたルミネが跪くその目の前に立ちふさがった。
「君がこんなにぼろぼろになっても、誰一人駆けつけてくれないんだ。ひとりぼっちはさみしくないか」
「ひとりなんかじゃない、私は、みんなを守らなきゃいけないの」
 ルミネは顔を上げる。希望を失わない輝きの瞳。真昼の水面のような光が、彼女の目には宿っている。
 ドローンによって、彼女の姿は中継されている。ルミネは諦めるわけにはいかなかった。自分が潰れれば、折れてしまったら、みんなが絶望してしまう。
 誰もが、ルミネの姿を息を飲んで見守った。柔らかな長い金髪も、プラチナのように輝くフリルの千切れた魔法少女服も、何もかもを見ている。
 退廃したこの空間には、届かない景色だった。
 彼女の瞳の光が、涙の膜だということに、クモウだけは気づいていた。
「君は生贄同然だ。その自己犠牲で、一体何人救ったつもりなんだ。顔も知らない人間を、なんで君が救うんだ」
 クモウは長い爪を手のひらに食い込ませた。
「何人でも、救う。私ひとりの命で、みんなが救われるなら、幾らでも」
 彼女のはそう言い、震える足で立ち上がった。少しずつ毛先が、黒く変化していく。変身が解けかけていた。彼女は本来、黒髪であること、ルミネ、なんて名前でもない、ただの守られるべきこどもであることを、クモウは知っていた。
「ならそんな世界、さっさと壊した方がいい」
 節足の一本を振り上げる。ルミネは身を竦め、思わず目を瞑った。
 クモウの黒い爪はルミネのすぐそばのコンクリートを破壊し、粉塵を舞わせた。そして即座に追従する他の爪が辺りを同じように殴り散らし、彼女の姿をドローンから隠す。粉塵を巻き込み、全ての節足がルミネの方へ向かった。外から内へ。捕食するように、その足はスピードを持って、彼女の背中を突き刺した——かのように、そのシルエットは見せた。
 黒い節足の中に優しく抱きとめられたルミネは、すっかり変身が解けている。クモウはちらりと上を見た。蜘蛛の足が、全ての景色を阻んでいる。粉塵が晴れても、彼女の姿は撮られないことを確認した。暗く閉ざされた中に、二人きりだった。
「…………殺さないの」
 彼女は掠れた声で尋ねた。クモウは、彼女に手を伸ばし、後頭部に手を添え引き寄せた。
「君が自分を大事にできない世界なんて、無い方がいいよ……」
 そう言って、抱きしめる手に力を込める。彼女は呆然として、言葉を返さなかった。
「正義なんてなくったって、生きてていいんだ。君はルミネじゃなくても、生きてていいんだ」
 クモウの声が震えた。少し泣き出しそうな、懇願と、賞賛と、悲哀。それのどれもが入り混じり、違うようにも思えた。今までの何よりも、優しくて、力強い声だと、ルミネは思った。
「どうして君は、世界を壊すの」
 ルミネは尋ねた。片方の瞳から、涙が零れおちる。
 彼は顔を上げ、その涙を拭いとった。
「君を正義に仕立て上げた、その正義を殺すためだよ」
 クモウは笑った。泣くように、笑った。
 彼女の表情は、驚きと、悲しみと、微かな期待を持った安堵。どの気持ちにも当てはまるだろう、そんな、微々たる変化を見せた。
 正義を失うことが悪だと考えるのなら。
「僕が君だけの、悪の味方になってあげる」
 灰色の霧が晴れていく。
 ドローンが捉えた映像には、魔法少女も、怪人もなかった。
 逃げ遅れたのか、二人のこどもの姿が退廃の街に残されていた。少年が少女の手を引き、避難所でもなく、此処から離れようと、遠くを目指す姿は、魔法少女を探し求める市民たちの目には映らなかった。

#小説 #短編 #魔法少女 #青春

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?