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【読書メモ】ドリアン・グレイの肖像

もしも若さを保ったまま生きられたら。

実家に顔を出すたびに、親戚の子供が大きくなっていたり、親の少し小さくなっていく姿を見る。
わたし自身も、変わらないように思えても10年前とは全く違うのだと写真をみて改めて知る。
子供でいれるのなら永遠にそうでありたいとわたしは願うし、「変わらない」ということには憧れがある。

変わらないままでありたいと願う瞬間は、ふとした時の幸せだ。
家族と囲む夕飯。友達と夜遅くまで遊んだ日。舞台の上。物語を作る時、読む時。何もない昼下がり。

わたしは出世を望まないし、正直なところ劇的な変化や環境の変化に弱い。多大なストレスに耐えられず、1人パニックになってしまう。
転職や出世をやってのける人間が恐ろしい。だが、上に先にと行こうとする人がいることで、わたしは停滞を許されている。
けれどわたしを外へならまだわかるが上へ行かせようとするのはやめてほしい。
わたしは恥ずかしながら、自身がまだ大人になりきれていないことを知っている。

上にいきたくないのだ。面倒だし、責任が増えるし、偉いってなんなのだ。偉いことがそんなにいいことなのか、と恐ろしく腹が立ってしまう。
上に行きたい人間は勝手に行って引っ張っていればいい。わたしなんぞは適当に雑用やらなにやらまかせればいいのだ。
誰も彼も必然的に偉さを目指さないといけない世の中なんて嫌だ。見苦しいあがきだが、ずっとそう思いながら生きている。

「ドリアン・グレイの肖像」は、題名だけは知っていたのだが、なかなか読む機会がなかった。実はあらすじもよく知らなかった。

なんらかの読書サイトでおすすめしていたのを見て、あらすじがきになり読もうと決めた。

自身が肖像画のように美しさを保ち、かわりに自身の肖像画が老いや、醜さが加わり、変化していく。
この本はその奇妙な物語のフックと、耽美さと知性が含まれていて、「芸術作品」だと感じた。

人物の関係性も面白い。ドリアンの思考に悪影響(?)を及ぼすヘンリー卿。ドリアンの美しさを崇拝しかの肖像画を描き上げたバジル。
そして数奇な運命を辿ることになったドリアン・グレイ。

そしてドリアンが「歳を取らない」ということを生かした伏線の回収がとてもうまい。

結末も然るべき、という感じで、奇妙な物語であるが、奇天烈さだけではなく綺麗なまとまりを見せている作品だと思った。

もしも自分の代わりに、画面の向こうの自分が歳をとるのなら、と考える。

Vtuberなどは、現代のドリアン・グレイなのではないだろうか。
Vtuberに限らず、「画面の向こう」に自分の「もう一つの姿」がある人間は、こちら側の「わたし」は変化していき、そっち側の「わたし」は、変わらない姿を保っている。
どちらも自分。どちらかが虚構。
その虚構が入れ替わる瞬間を、わたしたちはいつ迎えるのだろう。

いつかVRの中だけで生きられるようになったら、「肖像」になることを望む人間は、どれくらいいるのだろう。

少なくともわたしは、その1人かもしれない。

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