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【読書感想文】パンの大神

こんにちは。久々に読書感想文です。



前口上

 クトゥルフを知ったきっかけはTRPGなんですが、それはそれとしての切り離しをした上でも、クトゥルフ神話のことは別枠で好きです。コズミックホラーの小説や漫画、映画は太刀打ちが叶わないからこその恐怖心や、妙な放心を味わうことができますね。

 まあそもそも今回話そうとしてるのはクトゥルフ神話というか、御大(ラヴクラフト)の『ダンウィッチの怪』に影響を与えたと言われる『パンの大神』です。「たいしん」と読んでいましたが「おおがみ」なんだ〜、と思っていたら、wikiはどっちでもいいようなことを書いてありました。どっちなんだい!

 『パンの大神』はアーサー・マッケンによる怪奇小説。中編の100ページそこらなので読みやすいです(電子は97)。

以下、すべてネタバレを含む感想となります。

※主観です。評論ではなく感想文のため精査をしていません。間違って覚えている箇所もめちゃくちゃあるのでご了承ください。

『パンの大神』の嬉しいところ

・初手の倫理のなさ

マッドサイエンティストと美少女の冒涜的実験行為、それに直面し狂気に囚われる男〜〜〜〜〜!
 とんでもないな。脳クチュやんけ。
 何を隠そう私は神話生物はミ=ゴが一番好き。そう、脳!いや昔の作品だとしてもとんでもないよ。
 脳クチュはHUNTER×HUNTERが多分最初かなあ…と思います。トラウマであり脳破壊(物理の話?)されたものの一つですが……
 正直、古い作品なので言い回しとかが合わないかもしれないと思っていましたが訳がわかりやすくてかつテンポも良く、これは読みやすいなとこの初手で感じたので読み進めることにしたんですよね。
 パンの大神との邂逅を霊能的で良くわからない科学的で、ある種ファンタジーとして見れましたねえ。
 その後のクラーク(直面してSANがゴリっと逝ってしまった人)の常識人の生活を保ちながら狂気に囚われている様子の描写がまたいい。求めている怪奇小説という感じです。

・好奇心と無謀な金持ち

 金持ちだ〜〜〜!!!善性によるものではなく興味!好奇心で貧困街とかに興味持ちがちの道楽好事家金持ち、大好き!話の大筋はこのヴィリアーズという高等遊民の紳士が担ってくれます。でも主人公、というには…?という印象なんですよね。詳しくは後ほど。
 私はこういう趣味でやばいことに首を突っ込むが、金など生活にゆとりがあり教養があるゆえの聡さを持ち合わせている鼻持ちならない男が大好きなんですよね(創作の話)。まさかこんなドンピシャで出てくるとは思わなかった。ありがとう。全てに。

・異類婚姻譚が好き

 自分、いいっすか。
 異類婚姻譚大好きなんです。
 とは言っても、wikiでまとめられてるほどのガッツリとした触れ方はされてないんで(されてるけど!!!!ネッチリ描写はない)最後まで読んで抽出した感想となりますね。
 神様との婚姻をいいように捉えがちですが、まあまあ耐えらんないよね、という気持ち。発狂だよ〜。

・怪奇小説あるある

 怪奇小説といえば手紙や日記のやり取り。似顔絵。メモ。伝聞。そういうのがたくさんあって、本当か…?という断片しか読み取れない不安さが大好き。自分が知っている情報とどんどん繋がっていくの、不安であり興奮ですよね〜。この短さの中でそういうのが入っているのが嬉しいな。

個人的にはひっかかるところ

 文句とかではないんです。基本的にどういう作品にも全肯定とかはなくて、ここはちっとさあ!というところもひっくるめて好きなんですよね。
 いつもは書かないで心に留めるんですが、ここもまた好きなので今回は書きます。

・なんで中編なの?

 100ページくらいしかない小説なんですよね。ネッチリやろうと思えばできる話なんだと思うんですけれど、なんで中編なんだろうか?
 紳士連続怪自殺事件なんて、いくらでも膨らませようと思えば……なんですけれども。
 同人発だからまあ、好きなだけ好きなように書いたらいいと思うんですけれどもさあ!!マッケンさん!!!!なあ!!!!おい!!!!!クラークさんとヴィリアーズをもっと見せないさいよ!!肝心なところを隠すな!!!!!とは思うんですが、確かにやりすぎると神秘が薄れて、エンタメにしかならないか……という気持ち。難しいね〜。
 自分で書くととどうしても怪事件を追うところをネチネチしてしまいそうだなあ。

・唐突な情報

 中編だからというのもあるんですが、結構情報が後出しに出るんですよね。最後駆け足に全てがつながっていくというか。
 先ほど言った高等遊民ヴィリアーズ。彼が証拠をまあいっぱい集めてはくれるんですが、主人公というよりは「行動者」なんですよね。言うなれば「探索者」。一体何が起きているのか、という情報を集めてくれる異常者なんですが(?)、読者が知らないところで動くんですよこいつ!情報共有を後出しにして来るんです!!!隠すな!!!見せなさい!一緒に行動しようよ!!!読者と!!!しかし後出しの情報を出されているのは、オースティン(ヴィリアーズの友人)も一緒なんだよなあ。だからこう、視点が一点ではない。でも三人称とも違う気がする。三人称ではあるんだけれど……という、妙な感じ。

総括

・私たちはどこからこの話を見ているのか

 この小説の視点はほぼ三人称でいいと思うんだけれど、それもまたどこか違う気がするんだよな……最終章、全ての総括の真実は手紙のやり取りだろう独白だから、「私はどこにいるんだろう?」の気持ちになる。だからこそ登場人物とも近いし、また神視点とも言える。神もお目溢しをしなければ、異常な探索者は異常な行動ができない。だから、知らないこともある。
 我々って誰なんだ?クラークの狂気に慄く恐怖に寄り添ったり、ヴィリアーズの話を興味深く聞いたり。だからまあ、「パンの大神の世界観のさまざまな視点」とするべきなのかもしれない。追体験とも違うけれど、妙な関わり方ができる小説だと思います。

・神と異常と人間

 我々は好奇心やあるいは崇拝や恐れからこそ神に近づきたいと願うことがあるが、その行為は非常で矮小であり、異常を引き起こす原因となりかねないものであり、だが神にとってみればそれも関わりない矮小なことであり、関わってしまったものはいずれ望まなくとも呼ばれるのかもしれない。我々がいかに考えたところで神の意思はわからないものであるし、理解してはいけないのかもしれない。
 ほんの少し、常軌を逸したものに触れたものたちは静かに物語を終えていきました。皆神妙な雰囲気を残し、決してハッピーエンドでも、やり遂げたとも成し遂げたともなく口を閉ざしました。

 以上、そういうしっかりと語ってくれないモヤっとしたところがまた、怪奇小説の醍醐味だなあとも思うのでした。

終。

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