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震災を忘れてくれ

私は一刻も早く震災が忘れられる日を望んでる。

東日本大震災から10年。私の現実息継ぎポイント及びTwitterでは「忘れるな」みたいななんかあのアレがあって、Yahoo!とかもすごい頑張っていた。募金になるから検索はした。今日も福島をテーマにした映画をやっていた。まだあれは見れる気はしない。

結論から言うと私はあれらを見て、ムカついていた。

「忘れるな」と言うのをやめろと暴れたいわけではない。それらによっていろいろ考える人も、何かしようと動く人も、救われてる人もいるだろう。

私は生まれも育ちも福島県いわき市、あの頃にちょうど思春期だった。


簡潔に私の被災体験を言おう。

結論から言うと、実家も壊れず、家族も友人も親戚も死なず、家族も職を失わず(インフラ系なのでむしろ増えた)、水も電気もガスも数日から数週間で直った。以北の人たちが越してきて、周りの何人かが以南に越していった。

あの震災で多かれ少なかれ取り返しのつかないものを失った人なんていくらでもいた。それに比べたら被害なんてほぼ無いに等しい。


時間を現代に戻す。

大学に上がって、就活をして、会社に入って、辞めて、転職活動をしている。大学以降は関東圏にいる。色々あって東京にいたほうが都合がいいからで、福島県にはいつか戻れたらと思っている。

そこで私について回った質問がこれだ。

「震災大丈夫だった?」


うっせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!うっせうっせうっせえ~~~~~~~!!!!!!!!!バーカ!!!!!死ね!!!!!!!!!!!!

取り乱しました。


大丈夫なわけないだろ。仮に私が家族を失っていたらどう返すつもりなんだ?「あ、ごめん…」しか言えねえくせに質問してくんじゃねえぞ。クソ馬鹿野郎がよ…。死人が身内にいないだけで、県外に出た友人が「放射能」っていっていじめられて死にたいって手紙送ってきたこと、県外に出たいわきナンバーの車に暴言を落書きされたニュースに悔しくて泣いたこと、用事で県外に出たらソーシャルディスタンスの言葉もないのに触らないようにされたこと、全然忘れてねえぞ。

取り乱しました。


震災以前、はっきりいって福島県は地味な県だった。小学生にころ都道府県全部覚えることにハマっていた私のような人間でなければ、東北地方にあるということすら知らなかったというのが正直なところだろう。

だから震災以降、福島県は「震災・原発の県」として個性を得てしまった。

幼いながらも地元愛に溢れていた私は、「いつか福島県が有名になったらいいな」と夢見ていたが、こんな形では一切望んでいなかった。


私はいまだに自分が「福島県出身」と明らかになることに恐れを抱いてる。隠しているわけではない。聞かれたらできるだけ堂々と「福島県いわき市出身です」と言っている。しかし「震災…」と言われるのを察して、自嘲気味に笑ってしまうときがある。恥じているわけではないのだ。誇りたいのだ。だからそんなことをしてしまう自分自身も辛い。

ただ、私の中ではまだ「非被災者=敵」の気持ちが強いのかもしれない。

非被災者が、何を思ってか知らないが、揃えて目をくりくりの真ん丸にしてポケ~っとした口で「震災大丈夫だった?」と聞いてくるのは、話題に困ったか自分の好奇心満たしたいがためだけに訊いてるくせに「私は善性のある人間ですよ」とアピールしているようにしか思えない。

私は福島県出身であることを言ったら、放射能がうつると叫ばれて突き飛ばされるんじゃないか。そんな恐怖をまだ持っている。


震災以外の福島県について知らないならそれはそれで結構だから、話題に困ったら「何がある県だっけ?」とすっとぼけてくれたらいい。そしたら私は福島県は3ブロックに分かれてるから天気予報が珍しいとか、ままどおるよりは有名ではないがエキソンパイというお菓子がおいしいのだとか、でっかいリカちゃんの出迎えるやばい城があるとか、大水槽の前に寿司屋を設置したやばい水族館の話とかをできるのだ。


「忘れるな」と言われたって忘れたことなどない。

たとえ忘れたくても常について回ってきた。

福島県民であることを隠したくなるような現状はまだ続いている。

誰からもあの震災を忘れられる日を望んでる。


#それぞれの10年

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