ビフォア犬アフター犬
犬が死して三週間が経った。
火葬前のnote「たい焼きの匂いのする犬の話」にはTwitter含め良い反応をいくつか頂けた。ありがとうございました。
今回は火葬当日の話から現在に至るまでの話と、現在の気持ちについてまた残そうと思う。
火葬の日、真昼。
晴れてるんだか曇ってるんだかわからない日だった。
哀しいから曇って見えたのかもしれない。
私は家族の計らいで、LINEビデオ通話を繋いでもらい、奴を見送った。
奴の寝姿を見ていると、枯れたと思った涙腺から涙も鼻水も出てきてしまってどんどん涙声になっていくので参った。
奴はビデオ通話を信じない犬だったので、現地の家族に、私が見ていることを奴に声をかけて伝えてほしいとあらかじめ伝えていた。
父に抱えられ、焼き場に横たえられ、花を飾られていく赤茶色の毛皮。
母は奴に一番似合う色は黄色だと黄色い花を耳元に飾った。
その場にいた家族は私も含め全員声が震えていた。
私からは「世界一の犬だよ」とだけ最後に伝え、蓋は閉じられた。
約二時間後、
バットの上に綺麗に整列させられた奴の全身の骨と対面すると、不思議ともう涙は出なかった。後の両親の言葉を借りるとおそらく「諦めがついた」という感じだろうか。骨格標本のようになった我が弟の頭蓋骨は、皮の上から触っていた時に想像していたより孔が少なかった。
家族も和気あいあいと綺麗な骨だね、といって箸で拾っていき、骨壺に収められた。頭蓋骨は最後に入れた時に継ぎ目が瓦解した。
良い葬儀だったねと言い合うことが出来た。
葬儀社の人は非常に丁寧に奴を扱ってくれたというのも大きかったと思う。
両親も安心していたようだ。
奴の遺骨のしっぽの先と歯の一部は、葬儀社さんの計らいでもらった、金属製の小さなカプセルキーホルダーに入れられ、両親によって私の手元に送られた。
私は毎日持ち歩く鍵にそれを取り付け、一日一回はポケットの中で握りしめている。
一緒に十数年とつけていて金属のはげかかった犬鑑札も送られてきたので、これはどうやって大切にしようかなと思っている。
封筒には他にトリミングサロンで正面から撮られた犬の写真一枚と、関係ないクオカードが入っていた。んもう。
その後も、実家に帰省した時に洗った衣類の匂いを嗅ぐと泣きそうになった。きりがないので着て汗だくにして洗濯し、私の家のアリエールの匂いにしてしまった。
ついその服に奴の毛がついてないか探した。何本か見つかってしまい、流石に香りのしないとわかっていても鼻に近づけたりしていた。遺骨入れの中に一本だけ入れた。あとは部屋の藻屑とした。
「たい焼きの匂いのする犬の話」を自分で50回は読んだ。音読もした。
ずっと泣いてしまうから、泣かなくなるようにと思ってやった。
その内40回あたりで泣かなくなるのが怖くなって、
日が経つにつれて少しずつ平気になっていく自分が恐ろしかった。
6/15に、寂しがりの奴だけをたった一匹置いて行ってしまう気がした。
そして今
Twitterをフォローしている人はご存じの通り、Twitter名と固定ツイートは少なくとも犬の四十九日が済むまでは追悼の意を表したものにしているが、Twitterの構成はすっかり以前の通りに運営している。
以前の通りとは、つまり元気いっぱいキモオタをして、推しカプの二次創作に「ドスケベえっちっちかい!!!」とか言ったり、オモコロのコンテンツやネタツイにガハガハ笑ったり、すげーもんみてすげーとだけ言ったり、性癖を語ったり、というようなことだ。
仕事にも行っている。フォロワーさんとカフェに行ったり、創作の絵を描いたり、創作のため図書館に行ってヤクザについての本を借りたり、また股間が腫れたので病院に行って股を開いたりもした(こんなnoteの伏線回収はいらんのよ)。拍子抜けするほど通常営業だ。
ただ、それを「吹っ切れた」「乗り越えた」「立ち直った」というのはなんだか違う気がしていて、あまり口にしたくないなと思っている。
確実に私の人生は「ビフォア犬」「アフター犬」に分かれてしまった。
キリストと同じ考え方だ。犬以前・犬以後。
6/15の前のものを見ると「犬が生きてた時のものだな」と思うし、
6/15より後のものを見ると「犬が亡くなった後のものだな」と思う。
ただし、折に触れて奴との記憶は私のそばに甦る。犬の気配の断片はこれからもずっと私の人生のそばにある。体の一部。私の人生に、存在に常にずっといるものを「吹っ切れた」「乗り越えた」「立ち直った」と表すのは変だと思うのである。
自分の犬が死んでわかったことを少し書く。
犬が亡くなって直後、同じ痛みを持つ人の文章を見て心を落ち着けようと、亡くなった犬に宛てた歌を書いたポップアーティストの曲などを探して聴いたり歌詞を眺めたりしたのだが、癖や大きさや性格、別の犬は別の犬でしかないというところが当時の私にはひっかかってしまった。
私は私の犬のために詩を書くしかないと思って書いたのが前のnoteであるわけだ。
あと、「こんなに悲しいなら出会わなければよかった」とは全く一切思わなかった。奴と会って暮らして愛した一切合切は、出会わなかった世界線の全ての可能性より絶対に上である。
変な話かもしれないが、「もう犬は飼わない」とも思わなかった。後にも先にも奴の代わりになる犬は絶対にいないとわかるからだ。どんなにそっくりな犬がいたとしても奴の存在が抜けた穴に埋まるピースになるわけではないから、逆に言えば別の出会いがあるのであればそれはそれでいいんじゃないかという気持ちなのである。
そして目下の心配。
実家・実家の周辺・車…実家に関わるあらゆる部分にはとんでもない質量の犬の記憶がある。
両親は気丈だが、かなり応えているのだと感じる。できるだけ多く電話をして色んな先の約束をしたいと思う。
思った以上に長い文章になってしまってビビる。
これから先の人生で、アフター犬のものはビフォア犬のものよりはるか膨大な量になるだろう。だが奴の死は6/15での区切りに置いていけるようなものではなかった。どうしたって地続きの人生に今もこれからも奴はいる。ときどきポケットの中で握りしめたりなどするのである。
愛した犬の話を読んでくれた皆様、改めてありがとうございました。
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