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予習と未知のセララバアド【ネタバレ注意】

ネタバレ注意

先日、セララバアドというレストランに訪問した。
私は愛好しているオモコロに影響を受け、この店の予約に至った。
以下リンクである。これを前提として記事を書く。

結論からすると大変面白かった。

しかし前述の記事が好きすぎて何度も読んでしまっていたがために、どういった料理が出るかというところを断片的に知ってしまっていた。
私は生来、ネタバレを気にしないどころかむしろ積極的に見に行くタイプの人間だが、今回に関しては惜しいことをした気持ちがある。
なので、これ以降は一個人の感想といえど「ネタバレ注意」でお願いしたい。
また、当然味の感想も完全に個人の感覚である。

10分圏内の天国と地獄


個人的なことだが、最寄りの代々木八幡駅に着いて、私はここが前職時代に地獄を味わわされたスタジオの近くであることを思い出した。寝るなと恫喝されながらの30連勤。看板の飛ぶ台風の中弁当を買いに行かされ、ねぎらいもなく「これじゃないのがよかった」と言われた苦い記憶。それらを急に思い出し悶絶していた。

言わずもがなこの話は店には全く関係がない。その嫌で仕方なかった職場から徒歩10分圏内に当時も憧れの店があったということを知り、謎の縁を感じたというだけである。

着席

早く着き過ぎたので周辺を散策してから戻ると、店の前で何人かが待っていた。
そしてなにやら焼けるいい匂いがする。魚?と思えたが詳細は不明。

内装はあたたかみがあり、高級店というより知り合いの知り合いの金持ちのホームパーティに招かれたという感じだ。
私の座った座席の後ろ手は何やら小さな近未来的な植物育て機の様なものがあった。これ、提供されるのだろうか。

ちなみに同行してくれたのはフォロワーであるあげさんである。今回写真に写ることの許諾と、写真のいくつかを提供していただいている。
予約が難しい店のため、五月くらいから予定を立てていたのだが、訪問までにもうなんかとんでもなく色々あった。そこは省略するが、無事に同行者と席に着けただけで感無量みたいなところがあった。

この船は降りられない

テーブルには小さな折本が置いてあった。
コースをイメージした少年少女の物語だそうで、主人公の名前こそセララバアド。

それを読みながら、だんだん心臓が引き締まるのを感じていた。完全に場に気圧されていた。

説明が難しいが、照明、店員の動き、場の端々から
「あなた方の運命は我々が握っています」
という雰囲気がある。

決して高圧的と言う意味ではない。丁寧な接客である。操り糸の手枷足枷を丁寧につけられている気分だ。
色々言ったが要はビビった。

来たペアリングのドリンクにタグが付いており、
「ここに名前がある料理と一緒に飲んでください」
と言われるのだが、
そのタグにも「朝露」「ペトリコール」とか書いてあるのでまんまとビビる。
どこからどこまでが一つの料理名なのかも判然としない。
強がってグラスを優雅につまんで見せる指先だって震えようものだ。

そしてその時は来た。
「枝」だ。

枝。

例の枝

「来た」…。
オモコロの記事で見た。何度も見た。枝だ。
なんならこれを見に来たというところすらある。
この後も何度か進研ゼミ体験を繰り返すが、枝が出てきたときに最もこれこれこれこれ!という気持ちになった。
枝の感想は割と普通だったかもしれない。口が広くなったかというとよくわからないが、おいしい。
しかしどこからどこまで食べていいのかわからない。

新解釈:キャラメルポップコーン

私がなんだかんだ一番衝撃を受けたのは「キャラメルポップコーン」かもしれない。
ペアリングに「キャラメルポップコーン」の文字を見つけ、あれ、知ってる名前がいるじゃん、と思っていた。しかし出てきたものは知っているものとは全然違っていた。

白くほわほわした塊の周りを飴細工のようにしたキャラメルでうっすらコーティングしてあるというピンポン玉大のものがコトリと置かれたのだ。

新解釈:キャラメルポップコーン

予想外の形状で登場したそれに面食らっていると、飴細工が一部ぴょっと伸びた部分をつまんで一口で口に放り込むよう食べるよう勧められる。
そして口に入れた瞬間私の脳裏に浮かんだのは…

「!?」の赤い水玉柄のでっけえ文字。

何が起きたかわからなかった。
驚いて目をこれ以上なく開き、無意味に厨房を見つめてしまった。

飴細工の部分が儚く割れるのは予想がついたが、中身だ。口に広がった瞬間冷たさとしょっぱさが立ち現われ、一瞬にして雲が掻き消えるようになくなったのである。雲を食べたかと思った。どこの国かはわからない、雲より高い青い(緑ではない)岩山の中腹にいるというイメージが浮かんだ。
味も、トウモロコシがいることは感じたが、甘いのかしょっぱいのかはなんともいいようがない。

ポップコーンの定義とは何だろう。
こんなことを考える日が来るとは思わなかった。
ポップコーンはトウモロコシを炒って膨らませた硬いスナックだと思っていたが、そんなこと誰も言ってないのかもしれない。
トウモロコシをなにがしか加工して一口でいければポップコーンだったのかもしれない。
新解釈のポップコーンの登場に、最序盤にして私はすでに降参の姿勢に入っていた。


読み解き失敗

コースの料理の全部のネタバレをするのはいくらなんでも粋ではないので、今回はおそらく目玉だと思われる料理も感想を省くことになるが、ご理解いただきたい。
その後も「嗅ぐ用の石」「花」「朝露」「高原」などが出てきた。
何一つ嘘ではない。
それぞれどう言う仕組みで出来てるのかわからない。
元が何かもよくわからない。
おいしい。
何?

驚いたところを中心に書こうとすると誤解がありそうなのでここらで注釈するが、おいしいのである。
特に魚介が美味しいと感じた。
揚げた鮎とか揚げたエビとか揚げたアナゴとかなんでもない顔してとてもおいしい。
時々おいしい…のか?みたいなメニューに当たることはあるが、「好み」で説明がつく程度だ。

なんか私の体もコースの最中は全体的に前のめりだった。
姿勢が悪く筋力もないので、普段は深く座り背もたれに寄りかかりがちなのだが、寄りかかってる場合じゃないと本能的に感じていたのだろう。

また、我々は最初に渡された物語を片手に、今どの辺をイメージした料理を食べているのか読み解こうとした。
しかしだんだん、物語の進行とコースの順番が必ずしも一致しないことに気付く。
また、ここをイメージしたと目星をつけた行が、次来る料理の行だったりする。
料理と冊子を見比べて食べ比べて、もうどういう状態?となっていた。

確か「高原」のあたりで、最初に物語と一緒に添えられていたラベンダーを嗅ぎながら食べてくださいというような説明があった。
そのため、
「高原」を食べながら、時々ラベンダーを嗅ぎ、付け合わせのパンを食べ(パンを一時的に置ける場所がないため持ったまま)、物語と見比べる、というやたら忙しい瞬間があった。
え!?なんか、忙し!
って口に出して言っていたと思う。

メニュー 食器 配分 検索🔍

前の部分にもちらっと書いたが、パンが出た。
小さな釜のような入れ物に入った6等分のパン。
2人で分けて一人3切れ。オリーブオイル付き。

我々は「海辺」が出た時に使い切ったのだが、その時点で他のテーブルを見渡すと全然残っていたりした。

そうなのである。

このコース、「配分」というのが、全く見当がつかないのである。

「海辺」には、今回のコースの全メニューが記されたボトルメールが付属していると説明された。天啓。これさえ見れば今どの辺りか、配分をどうしていけばいいかわかるはずだ。
我々はメニューを開いた。

…わからん!!!!

わからんことある?

確かにそこには全メニュー書いてあった。
しかし、メニュー名を見ても料理なのかデザートなのか、パンにつけるものなのかスープなのかもわからないのである。
知ってる名前もいくつかあったが、先の「キャラメルポップコーン」ですらあの有様(語弊)。名前を知ってるからと油断してたらこちらが料理に取って食われる。
このメニューの配分のわからなさでいうと、ドリンクのタグでも既にそうだった。
メニューが一覧になったところでなす術などないと何故気付かなかったのか。

そして食器の交換にもまあまあ翻弄される。
席に着いた時点で、見たことない形の箸置きに箸、フォーク、スプーンが並んでいた。これが料理が提供されるときにそれ用の食器に時々交換される。
最初に交換された時にまず「これ全部使ってよかったんだ」となり、それからしばらくは平穏な交換がされる。しかし先ほど書いたメニューを見てから不安が増した。
この名前の料理にこの食器がつくの?
その食器もういらないの?
そして、終盤に箸置きごと取り去られたときは大切なものを取り上げられた気持ちになった。
まだこんなにメニューに名前が並んでいるのに?
もういらないの?行っちゃうの?
まだおてて握っててほしいが…?

「海辺」に消えたパン


赤い悪魔

余談だが、メニューの中で「トマト」の行が1番恐ろしかった。
「高原」「海辺」の方がまだ怖くないくらいだ。
料理ですらない。食材の名前である。
私は原型のトマトが好きではないが、そんなことは瑣末な問題だ。
重ねて言うが、「キャラメルポップコーン」があの有様(語弊)なのだ。
「新解釈:トマト」「トマトの概念」が出されても全くおかしくない。
「トマト」の予想が出来なさに、我々はそのあと戦々恐々とし続けるしかなかった。ジーザス。

金田一の崖

夜海をイメージしたイカのスープを飲むと、私の中にも段々イメージが浮かんできた。
深海の優しいイカではなく、私の場合マジに真っ暗な岬のイメージだった。

視点は浜辺に立っていて、月明かりの逆光で真っ黒に浮かび上がる高い崖。月明かりがあるはずなのに崖も海も真っ黒で、濃紫の空にシルエットのように浮かんでいる。月は見えない。灯台がありそうな形の崖なのに灯台もない。世界観としては金田一少年シリーズで、海沿いの田舎に行き、事件が起こった夜に犯人のシルエットが浜辺で何か隠滅を図っている。

そういう場面で出てきそうな感じだ。

これネガキャンになってないか。

イカがやわらかいです。

こんな時だけ肩組むな※個人の感想です

恐山氏の言葉を借りて言うと「印象派の画家が描いた穴子丼」が出た。

印象派穴子丼で改めて思ったが、海鮮が美味い。
これは穴子のフリットに雑穀米を合わせた代物なのだが、私は途中から「コーン、邪魔だな〜」と思い始めた。
この件に関しては再度「個人の感想です」を強めに言っておかなければ本当に営業妨害になる。
個人の感想です。
そして別に不味いとかではないとこれも強めに言っておく。

雑穀米と共にコーンが混ぜ込まれている。
コーン自体は素材の甘味を引き出したとてもおいしいコーンなので不味いから邪魔だと言うわけでは決してない。
なんというか、コーンが「知ってる味」すぎるのだ。

穴子のフリットに雑穀米というどちらかといえば淡白な美味しさの中に、知ってる美味しさの甘みの強いコーン─私が普段食うようなコーンとはレベルが違うのだろうが─そのコーンが肩を組んできた。

※個人の感想です

今思ったが、アレかもしれない。
主人公が、普段庶民派だったりヤンチャだったりする姿を隠して、格式の高い場に出て成さなければならないミッションがあるという場面。しかし主人公の普段の姿を知っている空気の読めない奴もたまたまその場に来ており、何の害意もなく正体をバラされそうになりミッションの邪魔をされ、「ちょっとお前黙ってろ!」「なんでぇ?」ってやってるシーン。あのイラつきを覚えた。
※個人の感想です

コーンも別に普段から私と肩組むような間柄じゃないのだが、雑穀米と穴子のフリットとユニットを組んで心細かったのかもしれない。
※個人の感想です

花火の後片付けの記憶

玉手箱が出てきた。

玉手箱。この料理のためだけに特注しただろうという器も多かった。世界観を表すための努力がすごい。

こちらは席に提供される前から燻製の良い香りが辺りに立ち込めていた。
開けるとまさに玉手箱のように中から煙が昇るという不思議な仕組みとなっている。
中はカリカリにした野菜のようなものが載せられた大ぶりのホタテで、ほっくりとした食感。貝が得意でない私もとても美味しいと感じた。

その燻製の良い香りで私は実家の庭でやる花火の思い出が蘇った。花火の後片付けの時間だ。

花火はやっている時より火が落ちたあとにバケツに溜めた水の中に落とすジュッという音が好きだ。あのバケツを思い出した。

誤解なきよう言うが、匂いは全然違う。これだと花火を突っ込んだバケツの匂いがするホタテだと思われかねない。全然違う。
違うのだが、心地よい煙たさ、魚介の醸す夏の気配が、私に盆の記憶を思い出させた。
実家で暮らしていた時も、盆に家族が集まった時も、盆の終わりに実家の庭(ほぼ駐車場のコンクリ張りだが)で花火をした。終われば、役目を終えた花火が大量に入った真っ黒な水を片付けねばならない。家族はそれぞれリビングの窓と玄関からそれぞれ入って、じゃあ風呂入れとか蚊に刺されたとか言うのだ。キッチンにだけ付けた電灯の光が真っ暗なリビングに漏れている…。
ここ数年は疫病のことも、仕事の休暇システムのこともあり、盆の時期に実家に帰ると言うことを数年していない。あと何度、あの庭の花火をできるだろう。
いや、いつかの夏の花火が私の人生の最後かもしれない…。

今書いてみて客観的に見て思うが、身も蓋もないこと言えば燻製された貝食べただけなのに、情緒がめちゃくちゃすぎる。改めてあの場は特殊だったと言わざるを得ない。

和牛のドリンク

野菜を加熱したものを覆うように、レア目に加熱された肉が並べられた皿が出た。「和牛 野菜の涙」だ。

これが出る前、前述の通りメニューにビビり倒していた私は、その前に出されたペアリングドリンクを「和牛 野菜の涙」だと勘違いしパニックになった。
つまり、タグに「和牛 野菜の涙」と書かれていたのを見て、「ペアリングドリンクは、タグに書かれた料理に合わせる」というルールが吹っ飛び、「目の前のドリンク=和牛 野菜の涙」だと思ってしまったのである。

その段階で私はこの店では「和牛」ですら「ドリンク」になって出てきても不思議ではないと思っていた。

翻弄されまくっている。
ちなみにその赤いドリンクはとんでもなくスイカの味がした。どういう技術なのか全くわからない。わざとらしいとは思わないのに本物のスイカよりスイカの味がする。

とんでもなくスイカの味がするドリンク

スーパーの焼き芋コーナーの幻影

本来の「和牛 野菜の涙」だが、じゅくりと加熱された野菜に、柔らかく弾力のある肉と併せておいしく頂いた。

しかし同行者のあげさんが「スープが濃厚」と皿の底に溜まったソースを指摘して言ったところから事態は急転する。

スープも飲まねばなとスプーンでひとすくい。料理そのものはわりと淡白な味だったが、スープは心地よい苦味があとひく濃厚な味わい。

その時脳裏に、住んでいる地域の最寄りスーパーの景色が広がった。

は?

読んでくださっている方には申し訳ないが絶対に私の方が「は?」である。

それも最寄りのスーパーだけではない。数駅先のドンキホーテ、地元のスーパー、一度しか行ってないスーパー、など様々な、私の人生に関わりのあったスーパーの景色が、スープを口にするたびに駆け巡っていく。
こんなの落ちぶれたスーパーを再生させるプロみたいな人だけが見れる走馬灯じゃないのか。

しかしその中にも法則性があることに気がついた。
焼き芋焼き機のある区画のイメージに限られているのだ。

スーパーには焼き芋焼き機が設置されているところがある。
知らない方は独身用冷蔵庫を縦に半分に割ったくらいの大きさの、1番上あたりが透明な板張りになっていて紙で包まれた焼き芋が中で保温されている機械だと思っていただければ良い。

焼き芋焼き機が設置されているスーパー、その焼き芋焼き機がある区画の情景が、スープを口に運ぶたびに走馬灯のように浮かぶのである。

は?

不可解すぎる。別に料理にサツマイモが使われていたわけでもなく(仮に使われていたとしても原型はなく)、サツマイモの匂いがしたわけでもないのに、とにかく焼き芋焼き機の情景が浮かぶ。

正直、「海辺」「夜海」は、海鮮を使っていたし、物語や見た目や小説の支えもあった。海の情景が浮かんだとしても私がそう思いたくて景色を感じたとしてもおかしくはなかった。
しかしこればかりはどうにも説明がつかない。
念押しで言うがこの夜にスーパーに行く予定もなかった。味覚が翻弄された結果、脳でこのスープと私の人生で最も近しい関係性のものとして焼き芋焼き機のある情景を結びつけたのだ。不思議すぎる。

ちなみに私はスーパーの焼き芋焼き機の焼き芋をまだ買ったことはない。

消えたパイナップル

恐山氏の動画で、「厨房を見ていると、パイナップルが機械にスポスポと入れられていき、全部が入ったと思われた時に機械が解体され、パイナップルが消えた」という言及がある。
「気付かないタイミングで機械で加工したパイナップルは取り出されていた」らしい。

私はこれを覚えていたため、厨房にパイナップルが見えたときに、アレではないかと思って私も注視することにした。
恐山氏はうっかりさんで有名なので、言うて!見逃しただけだろうと思っていた。

消えた。

すみません。消えました。

前述のこともあり見逃さないように見ていたのに、パイナップルを全部入れ終わってすぐ機械が二分割され、コードをまとめてしまわれていった。
驚いてまあまあでかい声で「エ!!?」と言ってしまいあげさんを驚かせてしまった。

パイナップルはそのあと液体窒素によって加工され、厨房から白い煙が歌番組の大御所の登場のように床に流れた。

最終的に出てきたパイナップルの氷菓は、シャーベットとアイスの中間のような感触で、めーちゃくちゃ美味しい。
ジャンル分けせずに美味しさの評価をすると私はこれが一番おいしかった。

めちゃくちゃうまいパイナップルの氷菓。イチョウが刺さっているように見える。

ココア味の土

デザートの極め付けとしてこれらが出た。

(あげさん提供)

カブトムシが出る森?
正直なところ予習済みだったので、これが、あの!
という気持ちになった。

ちなみに恐れていた「トマト」。正体はトマト味のマカロンだった。苦手な青臭さがなくベリー系の果物という感じで美味しかった。

左上の黄緑のものはグミのような食感。マジ枝が刺さっている。

紫の玉は下から透かすと中に黄緑の玉が蛍のように浮かんで見える。口に含むと弾けて消え、小さな玉が舌に転がり喉に滑り落ちて行く。

そして私は予習の際に聞いていた「土のようなところも食べれる」という話を信じ、下の土を食べた。
コーヒー、ココア、チョコレート、ナッツ?とにかくほろ苦いカカオ系の味のするナッツの感触のするものだった。メインで食べるものではないと思ったのでひとつまみに留めたが、普通に無心でポリポリ映画とか見ながら食べたい味だなと思った。これ缶ごと口に流し込んだら出禁かな、とか考えた。

この後に口の中で弾ける線香花火を模したチョコを食べて、このコースは終了となった。

最短経路を走る稲妻

入店し退店するまで約2時間半ほどだったが、ここまでの文章を見てわかる通り、この2時間半で私の情緒はメッチャクチャである。
これが、"料理によってのみ"もたらされたのはすごい。例えば私が以前からシェフを知っていて「こんなに立派になって…!」と思う、みたいなそういう感慨とか全く無いわけだ。あくまで料理の名前、見た目、匂い、味によって心の色んな部分がメッチャクチャになったのである。

ここまで書いてきて、もしかすると「つまり変な味の料理が出てくるってこと?」みたいな印象を抱かせてしまったかもしれない。それは違う。

実験的な料理も含め、真っ当な実力に裏打ちされて作られていると感じる。文中で触れる機会がなかったがデザートのスープについてきた豆のクッキーもとてもおいしかった。

ただ、どうしても「美味しい」というのは主観的な感覚かつ範囲が広い言葉なので、「誰でも絶対に美味しいと思う!」とは断言できない。
対照的に、「焼き芋焼き機の幻影が見えた」なぞの戯言は、私個人のパーソナルな感覚として自信を持てるため、「美味しい」と表現するより言葉がどうしても強くなってしまうのだ。

私はたしかに面白目的で行ったが、セララバアドは決して面白目的のためにあるレストランではない。確かな実力のあるお店である。
こんだけ好き勝手書いといて虫がいいが、誤解はしてほしくないと思う。

ちなみに構成も実によくできていて、全部食べて丁度満腹になるようなつくりになっている。あげさんも半ばで「食べ切れないかも」と言っていたのだが、最終的には丁度良かったと言っていた。

セララバアドに行っていくらか時が経つが、出てきた料理の情報量が本当にすごかったなと感じる。
料理を出すまでの構成もすごかったのだが、やはり料理そのものの持つ要素が未知に満ちている。

おそらく、その未知を受けて混乱した脳が、最短で最も近しい記憶や感覚を思い出そうとしていた。
料理が出るたびに全く関わりのない色んな記憶が登場した結果情緒がバグったのだと思う。

それでいうと、前の料理の後味が潔く、後の料理の邪魔をしなかったというのもよく考えられているなと思った。

また冬に

コースが終わった後シェフに話しかけていただき、来店のきっかけを聞かれた。
正直に答えると、「ああ!オモコロさん!」と言って、オモコロを見て来たという人が日に一組はいると教えてくれた。すごい反響だ。

退店し、あげさんと面白かったと言い合い、帰路に着いた。

四季のメニューがあるならやはり、他も行きたいという話もしたので、もしかしたらまた別の季節に行くかもしれない。いや、ぜひ行きたい。今度はネタバレなしで。


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