純粋な想いに見返りはない
私たちの純粋な気持ちには何もくっついていない。
でも、いつの間にか、いろーんなものをくっつけてしまうのが私たちの思考。
例えば、ただ「好き」という想いがあったとする。
なんで好きか?どこが好きか?なにが好きか?
など、いつの間にか理由を考え出す。
そして理由をみつけた途端に条件という形をとる。
◯◯をしてくれるから好きや、
◯◯だから好きなどの条件付きの好きは、
◯◯をしてくれない。
◯◯じゃないなどの不満がうまれる要因となる。
ただ、純粋なすきはいつの間にか、形をかえる。
相手のなにかを求めたり、もっともっとと求めたり…。
本当はただ「すき」それだけなのにね。
本当はね、そこに理由はいらない。
理由をつけるからよくわからなくなる。
私たちが思考でつける理由なんて、実際の好きの情報が数%しかないのに、おかしいね。
本当はもっともっとさ、深い部分からの何かが
「純粋」の中には隠れてる。
それは、きっとあなたと宇宙とのつながり。
よくわかんないけど、やりたいことがあったらさ
とりあえずやってみるといいんだよ。
よくわかんないけど、すきだったらさ、とりあえずすきでいればいいんだよ。
よくわかんないけどこうしたい!って思ったらさ、とりあえずこうしてみたらいいんだよ!
ね、
考えるな感じろ!
ピュアな気持ちを大切にしたいね🌱✨
Om shanti Om…🙏
内なる調和が訪れますように〜🪽✨💕
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?