名もなき料理とシフォンケーキ
私は6人兄弟の5番目だ。
いくら地方出身とは言え、6人は多い。
私が小学生の頃に、「ねぇねぇ何人兄弟〜?」と聞かれるのは新学期あるあるだった。
低学年の頃は正直に答えていた。
友達「ねぇねぇ、何人兄弟?」
私「6人兄弟だよ。お兄ちゃん2人、お姉ちゃん2人、弟1人。」
友達「えーーー!6人!!?」
私「そうだよ〜。」
その頃は、のほほん、と答えていた私も、年齢が上がるにつれ、正直に答えるのが恥ずかしくなっていった。
6年生にもなるとこう答えていた。
友達「ねぇ、何人兄弟〜?」
私「えーっと、お兄ちゃん((((2人))))とお姉ちゃん((((2人))))と弟がいるよ。」
(((()))は心の中で言うのである。
姉と兄が((((2人ずつ))))いるとは言わないのだ。
こう答えることで、質問手が勝手に兄と姉を1人ずつ消失してくれ、自動的に私を4人兄弟だと思ってくれる。でも嘘はついていない。我ながらナイスアイデアだと思う。
低学年のころは、のほほんとしていた私が、なぜ6年生になると、こうも悪知恵が働いたのか?
6人兄弟であることを知った周りの反応から、あることを学んだからだ。
「大家族=裕福ではない」
そういう方程式が、世の中にあることを知ったからである。
そして、残念なことに、我が家はその方程式にぴったり当てはまるのだ。
◇◇◇◇◇◇
我が家のダイニングテーブルは4人掛けだった。
8人家族にも関わらず。
もちろんいっぺんにみんなは座れない。8人掛けのダイニングテーブルを買うお金もなければ、それを置くスペースもない。8人掛けのダイニングテーブルを使う家なんて、おそらく日本ではデヴィ夫人宅くらいだ。(私調べ)
では、どうやって食卓を囲むのか?
我が家の食卓は、席が空いたら座るシステムだ。
回転率重視の駅前の蕎麦屋と同じ。
加えて、4席中1席は荷物で埋もれているため、実質の最大収容人数は3人だ。
忙しい朝の時間帯にダラダラゆっくりご飯を食べでもすると、反抗期真っ只中だった中学生の兄が「早くどけ。」と言わんばかりのオーラを放ってくる。
席が空いたから座ろうと思うと横から弟に座られる。
「これぞ真の椅子取りゲーム…」と心で軽くツッコミつつ、座ることを諦めてシンク横で立って食べることもよくあった。
そんな私たち家族が、普段食べているものは、母の作る「名もなき料理たち」だった。
たいてい、野菜とお肉の炒めたものや、なんやかんや混ぜて卵で閉じたもの、母のその日の気分で適当に調味料を加えた洋食っぽいもの…などなどだった。
母は、テレビで良さげなレシピが紹介されるとすぐにメモを取るのに、そのレシピを作る気配は一向にない。
なんなら、東京の人気グルメ店の名前までメモしたりする。いつ行く気なんだろう、飛行機で2時間はかかるぞ。
ある時、一番上の姉から衝撃的なことを聞いた。
どうやら普通の家庭はおかずが2、3品あるらしい…!!!
お米+おかず一品が当たり前だった私は衝撃をうけた。。。
「お母さん!!普通の家はおかずが2、3品出るらしいよ!」
すぐ母に伝えた。
笑って流されただけだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そんな母も、得意料理があった。
シフォンケーキだ。
家族の誕生日にはいつも作ってくれた。
8人家族なので毎月のように誕生日がある。
大きなサイズでふわっふわで背が高くてきめが細かいシフォンケーキ。
外で食べるシフォンケーキは裸のまま切り分けられ、横に生クリームが添えられていることが多い。
しかし我が家は普通のスポンジケーキのようにしっかり生クリームで塗り固める。
2段構成のケーキだ。
フルーツものせる。
いちごがのったことは無く、たいてい缶詰のミカンだった。
…いや、いちごがのったこともあった。
私がイチゴののったショートケーキに憧れて、自分の誕生日にいちごをのせるよう懇願した時だ。
その時は本当にいちごがのっていた!
そしてシフォンケーキの真ん中の穴は生クリームで埋められていた。
ショートケーキかと思った私はやけにがっかりした記憶がある。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そんなこんなで、私はよくテレビで見る家族みんなでダイニングテーブルを囲むような理想的な食卓とはほぼ遠い存在だ。
いや、存在だった。
現在、私は結婚して子供もいる。
そう、自分の家庭があるのだ。
自分の努力次第で理想の家庭にできる立場なのだ…!
そんな大人になった私の自慢の食卓を書いてみようと思う。
昨日の夕飯は、
冷凍餃子と朝のスープの残り。
一昨日の夕飯は、
冷蔵庫の中の野菜を適当に入れてオイスターソースとしょうゆで炒めただけのもの。
今日の夕飯は、
白菜とひき肉を適当に美味しいダシで煮て片栗粉でまとめたもの。
今回の記事を書きながらわかった。
おかずを毎日2、3品なんて、、しんどい。むり。
ロールキャベツにハンバーグに鯵の南蛮漬けなんて、、、そんなの作る気力はない。
認めよう。
私はほぼ母と同じ線路をたどっている。
いや、母が山手線だとしたら、
子供が1人しかいない私はプラレールかもしれない。
沖縄を離れて東京に住んでもう長いことになる。
たまに帰省した時に心からおいしいと感じるのは、母の作る「名もなき料理たち」だ。
今はよくわかる。
働きながら食事を作るのが大変なこと。
母親は毎日疲れていること。
毎月のようにシフォンケーキを焼くには労力とやる気がいること。
毎月いちごはのせられないこと。
今でも家族みんなが集まると人数が多すぎて、
一つのテーブルは囲めない。
今でも実家は裕福なわけではない。
それでも、食べると幸せな気持ちになる。
それでも、母はいつも笑っている。
テレビで見る理想的な家庭よりも、ずいぶんと人口密度は高いけど、うちはうちなりに今も昔も幸せな食卓なのかもしれない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?