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ボクサーもメンタルも練習するべきなのは『かわし方』

もし、自分の記事が批判されたら、
『自分』が批判されたのではなくて、
『記事』が批判されたと
思うようにしています。

仕事で成果を出すことが
出来たとしても、
それは仕事で成果を出すことが
出来たというだけで、
自分の人としての価値が
上がったわけではない。
そう思っています。

逆に仕事がなかなか、
上手くいかない時でも、
自分の価値が下がったとは思わない。

何かができる、できない
『誰か』や『何か』から
評価される、されないによって、
自分の人間としての価値が
上がったり下がったりするはずがない。

そこは分けて考えるようにしています。

当たり前の話ですが、
年収が200万円の人と
年収が100億円の人は
収入が違うというだけの話で、
人としての価値に違いが
あるわけではない。

それは、知名度や肩書などでも同じ。

収入とか、肩書きとか、
学歴とか、実績とか、
住んでいる家とか
乗っている車とか、
そんなことで、
自分と誰かを比較して、
落ち込んだり、妬んだり、
劣等感を感じたり、
優越感を感じたり出来る人を
見るとものすごく
不思議な光景に見えます。

個人的な感覚で言うと、
そんなものは
人間の本質的な価値には
ほとんど影響を及ぼさない。

料理で言えば、
調味料みたいなものです。
ちょっとして味付けです。

人はそこにいるだけで、
十分、価値があるし、
必要だからこそ、
存在しているはずです。

『すべてを失った』
という方と何度か
お会いした事があります。
でも、よくよく話を聞いてみると、
本当にすべてを失った
人と会ったことがない。

僕も有り金、全部を
失ったことがありますが、
その時に思ったことは、

『失ったのはお金だけ
お金以外は全部ある』


失ったからこそ、
今まで当たり前にある事への
感謝の気持ちが増したり、
人のやさしさの
有難さが身に染みて分かった。
僕は目に見えない、
大きな『何か』を
手に入れることが出来ました。
それは、一生、なくなることのない
僕の財産になっています。

『何かを失う』
という事は同時に
『何かを得る』という事。

『何かを得る』
という事は同時に
『何かを失う』という事。

人間、生きていて、
すべてを失うなんて、
絶対に不可能です。

失うと同時にどうやったって、
何かを得ることになるからです。

『すべてを失う』

出来るものなら、
やってみろって感じです。

実は僕、メンタルが
ものすごく弱いんですよ。

だからこそ、起こったことを
どういう風に受け止めれば、
どういう風に解釈すれば、
心にダメージを受けずにすむのかを
常に考え続けています。


ボクサーがパンチを
もらわないように
練習しているのと同じです。

心にダメージを受けてしまうと、
どんなに能力の高い人でも、
停電した時のオール電化の
家みたいにどんなに
高機能の家電だろうが、
すべてが使えなくなってしまう。

自分が笑顔でいないと、
家族やまわりにいる人たちの
元気まで奪ってしまいかねない。

自分が常に笑顔でいることこそが
一番の社会貢献だと思っています。


どんなに打たれ弱いボクサーも
相手のパンチをもらわなければ
絶対にダウンすることはない。

なんかメンタルと似ています。
日常に起こるマイナスな出来事も
心でまともに受け止めなければ
ダメージを受けることもない。

僕は自分がメンタルが弱いと
思っているからこそ、
心で受け止めない
『スルーする能力』が
どんどん、身について
いったんだと思います。

僕が考えるこれからの時代を
生き抜くために必要な合言葉は

『スルーする、避ける、
断る、逃げる、減らす』


それらに立ちはだかるのは
たいていの場合、
『罪悪感』だったりします。

闘牛士はどんなに
大きくて、どう猛な牛が
何度、突進してきても、
まともにそれを受けることなく、
サラッとかわす。

だから、基本的に
ダメージを受けることはない。

メンタルも同じで、
心を強くするよりも、
『かわし方』を知っていた方が
はるかに自分の身を守ることに
つながると思っています。

だからこそ、日々、
そのやり方を
研究、開発しています。

ボクサーもメンタルも
練習するべきなのは
『かわし方』
なんだと思います。





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