見出し画像

正しく生きてちゃ欲望を忘れちゃうよ

正しく生きてちゃ、欲望を忘れていく。
正しく生きてちゃ、頭で考えて決めようとしちゃう。
正しく生きてちゃ、ドキドキする方を選べなくなる。
正しく生きてちゃ、無難で失敗しない方を選んじゃう。

いまジョージ・オーウェルの『1984年』という小説を読んでいる。まだ半分を過ぎたところ。
冒頭に書いたことは、その小説を読みながらメモしたこと。
小説が良すぎて、いろいろ考えたので文章を書く。

表紙カッコよくて好き

『1984年』は、独裁政治によって行動のすべてが監視された社会を描いたSF小説。

1984年に放送されたAppleのMacintoshのCMでオマージュされていることで有名。

AppleのCMでは、小説で出てくる独裁者の姿を、当時コンピューター業界を独占していたIBM社に例え、独裁者をハンマーでぶっ倒そうとする女性をMacintoshに例え、独裁者政権をぶっ壊そうとする映像。
映像が終わると、以下のナレーションが出る。

1984年1月24日、Apple ComputerはMacintoshを発表します。そして今年1984年が、小説『1984年』に描かれているような年にならない理由がわかるでしょう

https://ja.wikipedia.org/wiki/1984_(%E5%BA%83%E5%91%8A)

このCMが好きすぎて、いつか読もうと思っていたのだが、やっと今読んでいる。

本のあらすじを簡単に紹介する。
本の中での社会では、市民が常に「テレスクリーン」と呼ばれるモニターによって監視され、街のいたるところにマイクが設置され、屋外内問わず全ての行動が監視されている社会。
市民は、何か考えごとをしているだけで抹殺されてしまう。過去の歴史は政府に都合が良いように書き替えられ、洗脳された市民たちはそれを疑うことが出来ない。
そんな社会に対して疑いの目を向けながら生きる主人公について描かれた小説だ。

角川文庫から出してる方も絵がカッコいい。
こっちは持ってない。


物語の中で、主人公がある女性の恋をするシーンがある。この社会で恋をすることは、もちろん抹殺対象となる行為だ。だがそのシーンの描写がすごく良かった。
今日書こうとしていることも、そのシーンを読んだときに考えたこと。
引用しながら紹介しようと思う。紹介したいシーンはたくさんあるが、特によかった2つだけ。


まず1つ目、恋する2人が人混みの中で会うシーン。
この社会では、2人の関係がバレたら終わりだから簡単に会わない。1か月おきに会っても、次どこで会うかの会話を2、3言交わすだけでお別れする。そんな2人がある時、人混みで会った時に、人混みがヤバすぎてなかなか2人が離れることができない時があった。このまま長く一緒に居てはバレて抹殺されてしまう。そんな時に彼女がある行動に出る。

ウィンストンと娘が離れる潮時だった。ところがその最後の瞬間、群衆がまだ二人を取り囲んでいるあいだに、娘の手が彼の手を探り、つかの間ながら強く握りしめた。十秒にも満たないことあっただろう。だが、長い時間、手と手をしっかり握り合っているようだった。彼女の手を隅々まで知ることのできる時間があった。振り向いて彼女を見るなんて、とんでもない愚かな振舞だ。ひしめき合う人の群れの中で誰の目にもとまらぬまま、二人はじっと前だけを見ていた。

ジョージ・オーウェル『1984年』p.179

手を繋いでいても、決して周囲から表情を悟られないように、顔は合わせない。じっと前を見る。あたかも、人混みの中で立っているだけのように振舞う。バレてしまったら殺されちゃうから。だけど、そんな社会でも自分たちの欲望に正直になろうと、見えないところで手をつなぐ。なんて素敵なんだろうと思った。


2つ目、やっとの思いで隠れ家となる部屋を2人が見つけて、そこで2人だけの時間を過ごしているシーン。

2人とも分かっていた。(中略)ある意味では、一時も脳裏から離れることはなかった。こうした今の状態がいつまで続くわけがないということが。迫り来る死という事実が体を横たえているベッドと同じくらいはっきりと感じられるときもある。そんなときには、もうどうやってもいいと一種捨て鉢の性衝動に駆られて、二人は離れるものかと身体を合わせる。(中略)しかしまた、二人のこうした関係は安全であるばかりでなく、永遠につづくのではないかという幻想に浸る時もある。(中略)そこは聖域なのだ。

ジョージ・オーウェル『1984年』p.233

永遠じゃないことを頭では理解していながらも、幸せの渦中にいると永遠なのではと錯覚してしまう。
この感覚がすごく分かるし、自分の日常でも似たようなことを感じることがある。
瞬間的な幸せを感じてしまったら、何かの病気にかかったように夢中になってしまう。
だけど一方で、
「今日よりも明日を良い日にしよう」とか、
「遠い将来何かを実現させよう」とか、
未来から逆算するようなことばかりをやってると、今の欲望に正直になれなくなる。



話は変わるが、これらのシーンを読んで思い出した曲がある。
宇多田ヒカルのアルバム、「BADモード」に収録されている『誰にも言わない』という曲だ。
僕はこの曲がめちゃくちゃ好き。

この曲は、主人公と「君」の秘密の恋について描かれているのだが、いわゆる不倫について描いた曲だ(たぶん)。
いくつか好きだなと思った歌詞を抜粋する

1人で生きるより、永久に傷つきたい。そう思えなきゃ楽しくないじゃん。

過去から学ぶより、キミに近づきたい。今夜のことは誰にも言わない。

完璧なフリは腕時計と一緒に外してベットの横に置いて。

明日から逃げるより今に囚われたい。回り道には色気が無いじゃん。

感じたくないことも感じなきゃ何も感じられなくなるから。

誰にも言わない ‐ 宇多田ヒカル

宇多田ヒカルにとっては、子どもを育てる親として、シングルマザーであることを全うして生きることが、社会に求められた正しい姿なのかもしれない。
だけど、そう生きることで正直な感情を忘れてしまうくらいなら、傷ついてでも自分の感情を持ち続けたい。
それがたとえ痛みを伴う危険なことだとしても、欲望に対して正直でいたい。

そういった正直な思いが歌詞から滲み出ていて素晴らしいと思う。



最近すごく思う。
ふとした時に正しく生きようとしちゃう。正しく振舞おうとしちゃう。
だけど、正しく振舞おうとすると、自分の欲望に正直になることなんてできない。

正しくなんて生きたくない。そんなの一番つまらない。
そもそも正しさなんて、誰が決めたのかも分からないものだし。


いつもそう思って生きている。
だけどそれでも時々、正しく振舞おうとしてしまう自分が現れるから、そんなときに自分が少し嫌になる。


ジョージ・オーウェルの『1984年』
宇多田ヒカルの『誰にも言わない』

この2つの作品は、こんな気持ちに輪郭を与えてくれた感覚があった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?