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書評:マルキ・ド・サド『閨房哲学』

Mr.ドS様の作品は哲学なのか?

今回ご紹介するのは、フランス文学よりマルキ・ド・サド『閨房哲学』。

早速の余談からだが、マルキ・ド・サドがいわゆるSMのS即ちサディズムの語源であることはよく知られることであるが、M即ちマゾヒズムの語源もご存知だろうか。意外と知られていないように思われるのでついでに触れておくと、マゾヒズムの語源はオーストリアの作家ザッヘル・マゾッホとされている。

さて話は戻って本作であるが、サド特有の快楽・淫蕩を説く作品だ。

そもそも初めて手に取った時、「閨房」という言葉を聞いたことがなかった。「閨房」とは、寝室、特に婦人方の寝室を意味する言葉だそうだ。

私の読んだ文庫版は、エロティックな部分、グロテスクな部分はかなり削除されているとのことだったのだが、それでも飲食しながら読めるような作品ではなかった。私は週末にカフェなどで食事やお茶をしながら読書するのが好きなのだが、本作は描写があまりに生々しく、物を口にしながら読み進めるのは難しかった。

基本的に、神や道徳を否定し、快楽・淫蕩を勧める、いわゆる「すべてはゆるされる」の思想的立場で書かれているという印象の作品である。だがその点について言えば、例えばドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』のイワンのロジックとは比較にならない程に浅く、率直に言って在り来たりな主張だと思ってしまう。有体に言えば、「やりたいことは何でもやっていいんだけど、社会の目というものがあるからうまくやろうね」という、コソコソ感が大事だよ的なトーンだ。

見方によっては社会の存在や社会と自身の関わりを認めていると言えないこともないのであるが、ここにはむしろ厭世観が漂っていると言えるだろう。

しかし、この作品の面白いところは、実はその厭世観にある。

例えば、キリスト教と王政に対する弾劾の論理がパンフの朗読という形をとって滔々と展開されるシーンがある。その中で展開されるキリスト教批判は、ニーチェの論旨を100年先駆けたような相似性が見られた。サド自身、何度も囚われの身となっており、そうした経験から社会に対する敵愾心を込めて執筆を進めたものと想像されるが、それにしては意外とロジカルである。

とはいえ、「徳」を「根拠がない」ことを理由に否定するというロジックなので、その刃は自身の主張にも降り注ぎまくるのであるが・・。

先見的、アヴァンギャルドな点は評価してもよい作品だと思う。

読了難易度:★★★☆☆(←読者の性向依存)
禁断感度:★★★★☆
グロテスク度:★★★★☆
トータルオススメ度:★☆☆☆☆

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