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書評:吉川英治『私本太平記』

吉川文学に見る毀誉褒貶の物語

今回ご紹介するのは、日本文学より吉川英治『私本太平記』。

本作は「KING王的泣ける小説」No.2に君臨する作品だ。

舞台は、鎌倉末期から建武新政、南北朝時代、室町幕府開幕まで。足利尊氏と楠木正成という二大英傑を中心とした物語である。
本作は、尊氏の若年時から天下泰平に至るまでの物語と言えよう。

私個人としては歴史上の人物の中でも楠木正成が大変好きなのであるが、ここでは両者を対比的に振り返ってみたい。

日本三悪人の一人とまでされる尊氏はどのような人物だったか。

その魅力を一言で言い表すなら「遠望の人」と言うことができるだろう。

常に機を見、時を見る。
故に、彼の腰は常に重い。

彼の遠望は人に理解されること常ならず、弟の直義を含め遂には人心を掌握しきることはできなかった。

対して、正成は。

後醍醐天皇への忠義に生き、亡国を憂うも我執を断ち奉公のもと滅した人物。息子正行と別れ死地へと向かう「桜井の別れ」のシーンは涙なしに読むことはできない。言わば彼は「人望の人」である。

「遠望」と「人望」。
何とも美しき対比だ。

さて、吉川英治は長く権力の興亡を描き続けた作家である。そんな彼の結論を、本作最後の覚一と盲人たちとの問答に伺うことができる。この件は吉川文学の集大成と言うに相応しく、長くなるがその引用を以て本作のご紹介の締めとしたい。

「(中略)先将軍というお方は、何せい、われらどもには解らぬことだらけですが」
「げに、矛盾にみちたお方でした。情にもろく、情のお人かと思えば人以上に冷たい。(中略)すべてを大望にかけてご自身をころし切っていたものでありましょうか」
「夢窓国師は、尊氏公の長所三つを誉めて、一は生死に超脱している、二には慈悲心ふかく人の非もよくゆるす、三には無欲てい淡で物に慳貪の風がないと」
「御長所ならば、もっとありましょう。尊氏さまの周りには、つねに大かどな和がありました。(中略)御自身は権力すらも実はそんなに欲しがってはおられなかったと思われまする」
「だのになぜ一面では、権謀術数、無常苛烈、血も涙もない政略家のように誤られたのでございましょうか」
「いや、それも誤りではありません。善と悪、鬼と仏、相反する二つのものを一体のうちに交錯してもつ不思議な御仁。(中略)これまで歴代にも現れなかった烈しい御気性の天皇と、めったにこの国の人傑にも出ぬようなお人が、同時代に出て、しかも相反する理想をどちらも押し通そうとなされたもの。宿命の大乱と申すしかありませぬ」
「その大乱というものが、てまえども庶民、わけて盲人の身には、何のためにやってござるのやら」
「たれにも解ることではございますまい。もし足利殿なかったら、戦争は起こらなかったか。後醍醐のきみが武家に取って代る御謀反気を持たれなかったら、かような乱世にはならなかったか。そんな単純には言い解けませぬし。(中略)下手人はいないのですよ。(中略)全土に素地ができているから始まったことなのです。(中略)歴史の行きづまりというものが、どうしてもいちど火を噴いて、社会の容をあらためなければ、にっちもさっちも動きがとれない、そして次の新しい世代も迎えることができない、いわば国の進歩に伴う苦悶が何よりな因かと思われまする
「ほかに工夫はないものでしょうか」
「それが智恵です。けれど人間はまだ悲しいかな、そこまで叡智の持ち主でありませぬ」
「けれど戦争の元兇は、やはり権力の中に住む人間どもにありとしか思われぬ」
「権力欲とは何なのか。(中略)権力の魅力ほど恐ろしいものはない。下手人はこれと見つけたり!としておきましょう。(中略)が、必ず朝は来ます。(中略)長い戦乱は、みなを苦しめたには違いないが、庶民の生活はいつともなくずんと肥えていましょうが。(中略)そして易り易ってゆく地上には、時にしたがって時代の使命を担った新しい人物が出現してくる。(中略)このあわれみを誰よりもよく知って、人間の叡智を持てと、あえてすべてを祈りへ捧げて壮烈な自滅を取ったようなお方もただ一人はありました。・・・それは正成どのです」
「・・・ああ、げにも」
「なべて人に役立つものは亡びない。けれどどんな英傑の夢も武力の業はあとかたもなくなる。ですから、もののふとは、あわれなのです。とくに尊氏さまの御一生などは、無残極まるものでしかない。(中略)ですがわが仁山大居士はもう御観念でしょう。何事も大悟して、世の流れのままにどんな毀誉褒貶もあの薄らあばたを幻として地下に笑っておいであるに相違ございませぬ」

読了難易度:★★★★☆(←長編故)
人物魅力度:★★★★★
感涙必至度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★★★

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