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書評:イーヴァル・エクランド『数学は最善世界の夢を見るか?』

神の創り給うし秩序を巡る科学史の挑戦の物語

久しぶりに自然科学系読み物である。

今回ご紹介するのは、イーヴァル・エクランド『数学は最善世界の夢を見るか?』という著作。

「神が創ったこの世界はどういうものか」

こうした基本認識と設問・探究は、古くは宗教及び哲学の領域であった。

対して科学は、技術の基礎としての物理学、幾何と代数という系に閉じて研究された数学が、ある程度独立した領域であった時代が長く続いたと言える。

それらがまず、物理学がその基礎に数学を積極的に活用し、物理法則が数学的に表現され、数学的な論理性・普遍性に依拠するようになっていく。

更に、物の理としての物理が数学的に基礎付けられることで、世界の秩序を数学的に表現できるのではないか、つまり、世界の秩序は数学的で機械論的なのではないかとの希望的観測を抱く人が現れるようになっていった。

こうした物理と数学の近接から世界の秩序を読み解かんとする挑戦は、主にルネサンス期頃から、特にガリレオが「振子の周期の法則」を主張した辺りから見られるようになったとされる。

他方、数学に関わった全ての人がこうした希望的観測を抱いたわけではなく、数学は特定の(大抵極めて狭い範囲の)物理法則の根拠の提供と流用を可能にする「ツール」に過ぎないという考え方、言わば数学に目的論的な性質を認めようとしない数学者の系譜も強固に存在した。

両者は、様々な物理現象の数学的検証を巡って論争を繰り広げることになる。

例えば、光の屈折現象を巡っては、デカルト学派(前者派)とフェルマー(後者派)の論争があった。

こうした中で、数学を目的論的に捉える立場として1つの頂点を迎えたのが、モーペルテュイという人物である。

モーペルテュイは、いわゆる「最小作用の原理」の提唱者であった。

※最小作用の原理とは、「あらゆる力学問題における作用(アクション)は、物体が動いた道のりとその道のりを行く速さの積を足し合わせたものに比例する」というアイデア。

モーペルテュイはこの最小作用の原理を全ての法則の土台となる普遍原理であり、神が被造物につけたしるしである、と考えたのだ。

因みにモーペルテュイは、実はかのヴォルテールが『カンディード』のパングロス教授として皮肉った人物だそうで、パングロス教授がライプニッツ(及びその哲学)をモデルとするというのは後世の誤解なのだそうだ。
(私も初めて知ることとなった。)

最小作用の原理というアイデア自体は、オイラーやラグランジュに引き継がれたが、残念なことに、当のオイラーやラグランジュが力学問題から幾何学的要素を取り除いた「解析力学」を発明したことで、「最小作用の原理」は普遍原理ではなく、ある特定の極めて限定的な条件下において通用する原理に過ぎないことがわかっていくことになる。

21世紀に生きる私達は、素粒子の世界に見られるランダム性(ハイゼンベルクの不確定性原理)や、古典力学が孕むカオス性(グロモフの不確定性原理)を知っている。

つまり私達は、世界は完全な秩序で成り立っているのではなく、一定の偶然性を孕んでいることを科学の成果として知っている。

その地点から神の創り給うし世界の秩序の解明を夢見たかつての科学者達を見ると、誤った主張をした人物達に見えるかもしれない。

しかし、過去の彼らのアイデア・主張が、後継の研究や論争相手との戦いの末科学の進歩そのものに寄与したことは、疑いようのない事実である。

本著が物語るのは、世界の秩序の解明という夢が作り出した、科学の進歩というダイナミズムのストーリーだ。

著者のエクランドはむしろ、専門化による細分化が進む現代の科学が、過去のこうしたダイナミズムを持ち得るかということに疑義を抱いている節すら伺える。

少し話はそれるが、本著は最小作用の原理の普遍性という夢が、社会科学(経済や政治)の領域における最適化理論として応用されようとした物語も含んでおり、前述のランダム性・カオス性に加え、人間の意志や選択がもたらす偶然性の故に最適化は不可能であることについても論じられている。

私を始め文系出身の方にとっても読み応えのある、全般的な科学史として楽しめる著作であると言えるだろう。

読了難易度:★★☆☆☆
理系知識不要度:★★★★☆
意外な事実発見度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★★☆

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