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深夜特急にあこがれて【インド編】 2日目 2001年2月18日(日)

2日目の朝

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朝6時に空港の待合室の椅子で目を覚ました。
アタマはぼーっとしていたが目はぱっちり開いていた。
空港内の24時間レストランでインドのカレーを食べた。80Rs(約216円)
初めて食べた食事がカレーだったこともあり、本場のカレーを実感させてくれた。
香辛料の味が強いカレー。エジプトで食べたコシャリの味に似ていると思った。
最初は珍しさもあって、たくさん食べられると思っていたけど、味が同じなので飽きてきてしまう。

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レストランをあとにして、インド特有の文化にあたふたしてしまう。
トイレ。
インドのトイレは、当たり前というか、もちろんというか。紙がない。
便意が我慢できず、出す。
ガイドブックには、水と手でお尻を洗う。と書いてある。
いままでやったことなかったが「郷に入っては郷に従え」なのでやってみることにした。

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はじめは左手の指で拭いてみた。ぬるっとなった。右手で蛇口をひねって、水を流して指をあらう。
またお尻を左手の指で拭く。水で流す。を繰り返す。
お尻が水でビチャビチャになるが、もちろん拭き取る紙はない。
面倒だったのでそのままパンツを履いた。
トイレから出ると手をゴシゴシゴシゴシと洗った。
なんともいえない不快感と虚しさと恥ずかしさが残った。

空港からデリー市街へ

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空港からデリー市街へバスで向かう。70Rs(約189円)
一時間ほどでニューデリー駅へ到着。
ニューデリー駅は日曜日だったせいか、人は多くはなかった。
売店で時刻表雨だけ買って、ガイドブックで目星をつけていた「ホテルパヤール」へ向かう。

※このころはインターネットで予約なんてできるところなんてなかったし、電話のかけ方もよく分からなかったので直接ホテルに行って、空いているかどうかを確認するしかなかった。

ホテルパヤール

運良く、部屋は空いていて、チェックインする。
荷物を整理してデリー市内の観光スポットへ行くことにした。
ホテルパヤールで、日本語が話せる人がいるツアーを主催している案内所を教えてもらい、行くことにした。
移動には、サイクルリクシャを使った。サイクルリクシャは自転車の人力車で2人乗り。

サイクルリクシャの運転手の少年は、目的地までずっと立ちこぎしていて、すごかった。

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10Rs(約27円)を支払いツアー案内所へ到着。
ツアーはいろいろ一気に合理的に観光地を回れるツアーだった。
ツアーの説明は丁寧にしてもらったが、断った。
僕は、少し苦労してでも、自分ですべて考えて、文化に触れながら、その場の雰囲気ごと味わいたかった。
自分でチケットを取ったり、バスを乗り継いだり、がしたかった。

ニューデリーとオールドデリー

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ニューデリーの街を、方向感覚を慣れさせるために、うろうろ歩く。
見るものすべてが興味深い。
ニューデリーというエリアをずんずん歩いていくと、オールドデリーというエリアがでてくる。
オールドデリーにある赤い砦と言われるラール・キラーを観に行く。(1640年頃建設)

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ニューデリーから歩いていけるかとおもって、徒歩でむかうも、ものすごく遠い。
西洋のお城は日本のお城とは違い、土や石でできているため、強固な要塞のイメージ。
ドラゴンクエストのお城のイメージ。かっこいい。

インド門

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パリの凱旋門に似ているインド門が観たいとおもった。
インド門は第1次世界大戦のインド帝国の戦没者の名前が刻まれた慰霊碑になっているが
エトワール凱旋門に似ているらしい。
バスでデリーに移動するも、場所がよくわからない。
地図を観て、コンパスを当てて方向を探るも、わからない。
※当時スマホもないため、紙の地図とコンパスは常に持ち歩いていた。ガイドブックの地図は小さくて全体像がつかみにくいことも多く、自分の位置がどこなのか分からず、たびたび迷子になった。

警察官がいたので、聞いてみると丁寧に教えてくれた。
やっとの思いでインド門を見つける。
バスを降りてから2時間くらいあるき続けた。
インド門をみつけたときは、ホッとした。
嬉しさから写真を撮りまくる。
そんなに思い入れがあるわけでもなかったが、安堵からかポストカードを20枚買う(50Rs=135円)

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フレンドリーな怪しいおじさん

ホテルに戻ろうと、歩き始めと、後ろからおじさんが近づいてきて話しかけられた。

インドでは、歩いているとかなり話しかけられる。

外国人がいたからちょっと興味があるだけで挨拶してくるだけの人もいれば、
ものを売ろうとボッタクリ的にセールスしてくるひともいれば、
ただただ絡んで来る人もいる。
セールスはものすごくしつこいし、ただただ絡んでくる人は目的が絡むことだから、嫌な思いをすることが多い。
世間話的にいい感じで話をしていても、「情報をあげたからお金よこせ」とか最後に言われて腹が立つことも多い。

話しかけられるときにはだいたい警戒する。
いい人だとおもっても、かなりの確率で実はセールスでした。っていうことがおおいので、
話をしている間いつまで経っても疑ってかかる。
こころの中では「もしボッタクリ的にお金を請求されたら、どうやって回避しようか」を常に考えて会話をする癖がついてしまう。

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インド門からの帰り道に話しかけられたおじさんにも警戒していた。
おじさんと、話しながら一緒に歩く。
歩いている道すがら、「ここは国会議事堂」「ここはプレジデントハウス」とかガイドみたいに教えてくれた。
話をしていて楽しいが、警戒しつづけていた。「どうせ最後にガイド料を払え。」とか言うんだろうと。
3人乗りのバイクのタクシーのオートリクシャーにも一緒に乗り、チャイ屋さんにも一緒に入って、話をした。


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「旅は安全な方がいいよね!」っていうことをしきりに言う。
言われるたびに、僕は「安全にするために今あなたのことを結構警戒しています」と心のなかで思っていた。

チャイはインドで飲まれているミルクティー。
ミルクに茶葉を入れて煮立たせて、シナモンをいれてて熱いまま飲む。
シナモン風味のロイヤルミルクティーという感じで慣れてくると美味しい。
ただ、ものすごく砂糖を大量にいれる。甘い紅茶が苦手ない人はだめかもしれない。

インドのチャイ屋はいつも男性で混んでいる。
井戸端会議をする場所みたいで、なかよくみんな喋っているコミュニケーションを取る大事な場所なのかもしれない。

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話しかけられたおじさんとチャイを飲みながら「旅は安全の方がいい!」の話をしていた。
18時を過ぎたころ、おじさんから「ツアーがあるけどいく?」と政府の観光案内所の話をされた。

安全の話とツアーの話がようやくつながった。
政府の観光案内と安心させて、私設のツアーに参加するためのかなり時間をかけたセールスだったのかな?
とおもい、心のなかで「やっぱりセールスかー」とおもってちょっとガックリきていた。
セールスの断り方を想定していたのもあって、「自分のちからで手配して、旅を味わいたいんだ」ということを伝えると
あっさり「そうなんだ!危険があるかもしれないけど、気をつけてがんばって安全にインドを旅してね!」と爽やかに返事された。
そのあと、チャイ代も出してくれて、チャイ屋で別れた。

単に世間話が好きな、ものすごく親切なインドのおじさんだった。
自分がずっと疑って警戒しながら話をしていたのが悲しくなった。


チャーハンみたいなご飯

チャイ屋を出るとこころなしか寒くなっていた。
コーラ18Rsと水10Rsを買ってホテルに戻る。

隣の部屋に宿泊していた日本人たちと晩御飯を食べに行く。
チャーハンみたいなご飯。

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いろいろ情報をもらった。ネットカフェの場所。電車。バス。
郵便局の場所も聞いたので、手紙を出してみよう。

今の所食べ物には困っていない。寒いせいか水分もあまり買わなくてすむ。
安く旅行ができそうだ。

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ホテルでジャイプル行きのバスのチケットを手配することができたので、購入する。

充実した1日だった。

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