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#266 コロナとお水取りとブルーインパルスと

NHKスペシャル「疫病退散 千三百年の祈り~お水取り・東大寺修二会~」を観た。
奈良時代から1270年間途絶えることなく行われている宗教行事。一般には「お水取り」の大きな松明がいくつも火の粉を振りまくあのお祭り、くらいの認識だった。
しかし、この番組を観て多くの事を知った。戦国時代の焼き討ちにもB29の爆撃の恐怖にも途絶えることなく、遠い昔から連綿と続いている仏事。シルクロードを経て日本に伝わったそれは原始の祈りにも見えた。

科学が進歩した21世紀では、その祈りでウィルスが減滅することがないのは周知の事実。祈りとか宗教は集団心理・社会的に影響があるかも知れないが、感染者の病状回復や病床使用率の改善になんの効力もない。
言っちゃえば、屁のつっぱりにもならない。
医療従事者へ感謝の気持ちを表すため、ブルーインパルスを編隊飛行させたのとどこか似ている。

それでも、人は祈らずにはいられないし、ありがとうを伝えたい存在らしい。
お堂の中で床に全身を打ちつける五体投地、不眠でお経を唱え苦行を自らに課す僧たち。世の中のため、祈らずにいられない人たちがいる。
機体を接近させ高速で飛ぶパイロットたち。医療の最前線で頑張っている人へ感謝と励ましの気持ちを表す人たちがいる。

誰かのために祈りや思いを形にする行為を前に、人はそれに呼応する。
一緒に祈りを捧げる者、手を合わせる者、喝采をおくる者。
それぞれのやり方で思いを形にする。
つまり、思いは共鳴するんじゃないか?
コロナ禍という人類共通の災厄を前に、微力でも力になりたい。そんな思いが具現化した時、思いは人々の間で伝播する。思いでウイルスが撃退できないのは分かっていながら、それでも思いを形にすることで連帯を確認する。

連帯は時に社会規範として機能する。
今なら外出自粛や飲み会自粛だろうか。ニッポンでは罰則はないものの、不要不急の外出自粛という社会規範(ルール)が人流、人と人の接触を抑制し、結果として感染を抑え込むのは繰り返し喚起されている。

今もう一度必要なのは、人の思いを形にした連帯かも知れない。

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