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見送るということ #4

葬儀のクライマックス、火葬と骨上げである。
僕の個人的思いがあって、死んで火葬されたら親族以外に骨を見せたくない、と考えていた。たぶん、父も同じなんじゃないか(知らんけど)。
死んでなお、骨を見せるとは裸を見られるに等しい。恥ずかしいしみっともないし、もう放っておいて欲しいのである。

ちなみに、父の遺体が荼毘に付される時も僕の感情にはさざ波すら立たなかった。悲しみとかいう何かが僕には欠落しているらしい。
火葬の間、親族は別室で待つ。やがて、父のお骨(かつて遺体だったモノ)が出てくる。
ここでも、僕は何とも思わなかった。ただ、父も孫にまで骨を見られたくないだろうなぁ、とその程度。
(オレ、おかしいのかな?)

火葬場の人いわく、「お父さまは体脂肪が少なかったようで(焼き上がるまで)時間がかかりました」だって。若くて元気な頃は太り過ぎを気にしていたのに、入院してからはみるみる痩せた。その結果、火葬に時間がかかるなんて、年寄りは手間がかかる。
一応、作法に則り骨を骨つぼに入れる。その欠片は小さくて人の原型をとどめていない。(だから見せたくないんだよ)

かつて父だったモノが入った壺は、案外重かった。中身より壺自体が重いのかも知らん。
骨壷、仮の位牌、遺影と列をなして火葬場を後にする。
確かこの三点セットにも並びに順番の作法があったように思う。もう忘れた。

火葬場から斎場に戻り、次のセレモニー(納骨)を考えた。
四十九日というものらしい。実際には、寺とスケジュールを合わせて行うから、必ず49日後とは限らない。一応、三ヶ月に渡らないように日程を決めるルール(しきたり)があるという。初めて聞いた。オレの時は火葬したら、即日中に墓に入れるか散骨して欲しい、と小さく思った。

生きてる間は納期に縛られた。
死んでからも斎場や火葬場の都合で日を選べない。
兎角、この世とあの世は住みにくい。

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