ほぼ毎日 note #253 ベーシスト的音楽論 時間の概念(1)

実は趣味でベース弾いてます。
もう音楽歴は40年になります。長年やっていると見えてくること、解りかけたことがあります。
そんな個人的な見解から、音楽についてベーシストの立場からお話ししようと思います。

今回は時間について。
まず、マクロ的に見て、音楽において時間の流れ方は一定ではありません。
「何言ってんだ?」
そんな声はごもっとも。
1日は24時間。つまり、1日を24等分すれば1時間だし、1時間を60等分すれば1分になり、さらに60等分すれば1秒という単位になる。
そして、それぞれの単位において、時間の流れは一定、というのが一般論。

しかし、音楽の分野では時間の流れは一定ではない。
例えば、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏。再びAメロ~サビでエンディングという構成の曲があるとする。
すると、イントロとAメロでは微妙にテンポが異なるケースがある。
「そんなバカな!」
いえ、あるんです。そういうケース。BPM(いわゆる)テンポは必ずしも一定である必要はありません。むしろ、BPMが一定な曲は最近のボカロ系などの打ち込み曲がそうでしょう。
それ以外の曲は、ライブでは特にテンポ(BPM)は曲中で変化します。それが、人間の演奏する音楽であり表現力というものなのです。
顕著な例をあげるなら、バラードが分かりやすいでしょう。
バラードをイントロから全て同じテンポで歌ったらどう聴こえるでしょうか?
おそらく(否、必ず)、味気ない演奏になるでしょう。
包み込むようにやさしく始まり、サビに向かって激しくなってゆく。その時、歌い手もバックの演奏者もテンポを自在に変化させます。そう、時間の流れを一斉に変えて演奏するのです。
演奏者と歌い手が時間の流れを無意識のうちに変化させる時、表現力が高まり聴く者の心に届きます。
それが音楽における、時間の流れなのです。

時間の流れを曲中で変えれば必ず表現力が高まる、というものではありません。
変えるにはそこに必然性がなければならず、その必然性を演奏者全員が共通意識として理解する必要があります。その共通意識を可視化した存在が、クラシック音楽における指揮者です。
指揮者が指揮棒(タクト)を振る姿を見て、オーケストラは息のあった演奏をします。言わば、時間の流れの変化を指揮者に任せているのです。
表現力の出来不出来は指揮者次第、というシビアな世界がそこに生まれます。

では、指揮者のいないポピュラー音楽はどうするか?
演奏者全員で練習を重ねてその曲における時間の流れの変化を創り上げて行くのです。
あるいは、その場限りのセッションなら、演奏しながら互いの音に耳を澄ませ時間の流れをその場で創り上げます。
それが、グルーヴノリと呼ばれるものなのです。
「今のノリ、良かったね」
こう言われるのはベーシストにとって最高の誉め言葉になります。
こうした言葉を求めて(承認欲求ともいう)、ボクは長く音楽を続けています。

今回は曲中におけるマクロ的な時間の流れについてお話ししました。
次回は1小節というミクロの世界での時間についてお話ししようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?