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「好きだよ」と「きれいだよ」

先日、実家で趣味の道具を探しているとき、母にこんなことを言われた。

「あんた、ちゃんと奥さんに好きと伝えてるの?」

自分の夫婦関係は、世間から見たら割とドライだと思う。週末はお互い特に合わせる予定がなければ別々に行動をとる。自分は趣味に時間の大半を使い、妻は友人とよく出かけている。デートらしいデートも普段はあまりしない。というより別々の行動をとることが多いので、今週はどこに行く、どこにいるの共有をして、土曜の朝から出かけ日曜の夜に集合する。場合によっては金曜の夜から火曜くらいまで、自分は趣味の関係で自宅にいないときがあるくらいだ。

そんな中で、先日も金曜の夜から実家に置いてきた趣味の道具をガラガラと掘り起こし、それを使って週末に遊んでいた。汗をかきながら曇天の空を眺め、来るであろう雨にいささか焦りながらガチャガチャと趣味に没頭していた。

そんなおり学生時代から大きな変化をしない息子にしびれを切らした表情で、少しの眉間のシワをたくわえ、飲みかけのコーヒーカップを傾けながら母は言う。

文脈もわからなかったし、他のことを考えながらだったので、特に目を合わさず、様子だけは確認しながら、それでも素っ気なくということはなく、いきなりされた質問にしては自分なりに割と丁寧に答えた。

「好きだよ、とは言ってないけど、きれいだよとは言ってるよ。」

母の眉間のシワは少し緩んだように見えつつも、腑には落ちてない声色で、ただでさえ放っておいてくれるんだからちゃんとコミュケーションはとりなさいといったことをいいながら、物置と化している自分の部屋からリビングに向かっていった。

ドライだけどコミュニケーションは取れていると思う。お互いの週末を終え、帰ってきたらだいたい妻がこんなことがあった、友人とこんなことを話したなど、成果発表会じみたことをやるのがお決まりだ。それを自分は適当な相槌を交えつつちゃんと聞く。自分の週末は妻には理解しがたい行動が多いから特に報告することもないので、だいたいその妻の話を深掘りしたり展開したりして、おおよそ風呂が沸いたアラート音を合図に週末の終わりに落ち合った2人の会話は小休止する。

ふとなぜ自分は妻に好きだよと言わず、きれいだよと言うのかなんてことを、趣味の細かいところの調整をしながら考えた。曇天の空が少しの余裕を見せたことも手伝って、傍らに置いたアイスコーヒーを口に含みタバコに火をつけた。

一本のタバコも終わろうとする頃、割と納得のいく結論が出た。

主観を伝えるより、客観に近い評価に似た言葉を選ぶ方が相手が喜ぶからだ。

自分たち夫婦は、お世辞にも見栄えがいいとは言いがたい。ふたりで歩いて街中で振り返られるようなルックスもなければ、強調できるポイントも(もちろんお互いに好きなところはあるけれど)あるとは言いがたい。けれどもそれなりの恋愛を過去に経て結婚した平均的なふたりだ。

そんな平均的なふたりだから、容姿や異性という意味では強みよりも弱みの方が自認が強い。妻は体型をはじめとした、本人しか気づかない細かいポイントにコンプレックスを持っている。自分から言わせれば(妻の感性は実に女性的なのかも知らないけれど)コンプレックスを探しに行ってるじゃないかと思うほど、細かいポイントを気にしている。

そんな平均的な女性だからこそ、夫である自分の主観で塗り固められた「好きだよ」という言葉より、いち男性としての評価に近い「きれいだよ」という言葉を使うようにしている。

付き合っていた当初は、相手が不安になってそうなときや、そろそろ確認作業が必要そうな頃を見計らって、定期的なイベントのように主観を伝えていた。

でも付き合いも長くなり、結婚もすると好意をもっていることはやがて前提にもなるし、そうなると客観に近い言葉の方が、妻はポジティブになることを無意識に気づいたのだと思う。

もちろん今後夫婦生活が長くなるにつれ、好意が前提であること自体が揺らいでくる時が来るであろう。その時はその時で今度は主観をちゃんと伝えようと思っている。

余裕を見せまばらだった雲も、そんな考え事をしながらコーヒーを飲みきる頃には、また厚い雲になっていた。火をつけようとくわえたタバコと手にとったライターをソフトケースに戻しながら、また作業に戻った。雨が降る頃にはひとしきり作業を終えた。玄関を開け軍手を外し手を洗い終え、タオルで汗を拭きながらスマホを叩いた。今日は少し早めに夕方ごろには帰ると妻にLINEを送った週末だった。

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