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世界一周物語18話"世界一周準備編" 〜心の支えショーゾーさんとの出会い

『辛いから辞める』はやらないと決めて
五十松(居酒屋)での仕事をスタート。


大学の休学届を提出し、親や友達や五十松のお店の人に海外へ行くと伝えた。ここまで来たら、後戻りできない。これで海外へ行くのをやめましたと言うとなんとダサいことか。そうならない為に、世界一周へ向けて資金を集める日々がスタートした。

そこから、働く、働く、働くの日々が始まる。

お店に入る前に一つだけ決めていたことがあった。
『辛いから辞めることだけはしない。
自分が成長できないと思ったら、辞めていい。』
これだけは守ろうと思ってお店に入った。


お店に入って、最初の1ヶ月は本当に行くのが嫌で嫌でたまらなかった。
知らない人ばっかりのお店に行くのはすごく嫌だったし、
慣れない人間関係はやっぱりしんどい事が多かった。

そして、お店では僕が一番下の歳だったし、落ち着く時がなかった。
最初の1ヶ月はずーと洗い場だったし、
副店長のケイさんは全く口を聞いてくれなかった。
挨拶をしても、目を逸らして、小さな声で頷く程度。
今だから言えるが、本当に嫌いだった。
この人なんなん?って入った時は思っていた。
最後には仲良くなったのだが。

ここで五十松の主要メンバーの紹介

オーナー 五十棲 新也
僕と名前も同じで、出身大学も一緒で勝手に親近感を抱いていた。
サーファーだったみたい。

店長 タスクさん 
前髪に金髪がチョロっと入った、イケイケの方。

副店長 けいさん 
最初は口を聞いてくれなかったが、
段々と喋りかけてくれるようになったお姉さん。

社員 そうへいさん 
めちゃくちゃ優しい人でいつも海外へ行くのを応援してくれていた。
元々、旅をしていたみたいで、よく旅の話をしてくれていた。

社員 良太さん 
兄貴分肌で、ご飯や遊びに良く連れて行ってくれた。

社員 みやさん 
メガネの男前

社員 マックスさん
僕より後に入ってきたので、大分に腰が低かったの後輩。

アルバイトリーダー ショウゾウさん 
童貞とイジられていた先輩で、めちゃくちゃ面白い先輩

アルバイト 兄貴 
朝に荷上げ屋、夜は居酒屋で働く昭和の男って感じの人。
大体10時を過ぎてくると睡魔と戦っていはった先輩

アルバイト ヨッシーさん 
役者で、身長180センチぐらいある男前の先輩。
よく、ワサビに醤油をかけて食べていた偏食の人。

アルバイト 大河くん 
京都大学に8年間通った強者。
僕より後に入ってきたので、年上だったけど、フランクに喋れる後輩。

他にもアルバイトの人はいたけど、
大体常にお店にいたのはこの人達だった。

1番近くにいた先輩のショーゾーさん

アルバイトリーダーであるショーゾーさん。
当時は25歳ぐらいだったかな?
25歳にして、童貞と社員さんからよくイジられていたショーゾーさん。

僕がショーゾーさんに『童貞なんですか?』と聞くと、
『素人童貞じゃ』と返してくれた。
ボケると必ずツッコんでくれるし、ツッコミが秀逸だった。

僕はその時、素人童貞の意味が分かってなくて、
聞くと、お店で童貞を卒業することを、素人童貞と言うらしい。

年下の僕にも、イジらしてくれたり本当に優しくて、
僕は怒られることが多かったがショウゾウさんは優しくしてくれていた。

福岡出身の同志社大を卒業して、
25歳にして、五十松でアルバイトをしていた。
所謂フリーターだった。
今ではそうい働き方の人も多いが、
10年前はそういう働き方をしているとあれこれ言われていたと思う。

頭もすごく良くて、僕が言うのもなんだが仕事もめちゃくちゃできる。
五十松から社員にならないか?と言う誘いもあったらしいのだが、
アルバイトの方がいいと社員にならなっていなかった。

ショーゾーさんは、自分の時間が大事だと言っていた。
社員になったら、働く時間も増えるし、責任も増える、と。

ロードバイクが好きで、
よくあっちこっちにサイクリングへ行っていたショーゾーさん。

一回だけ、一緒にご飯へ行ったことがある。
一緒にカレーを食べて、家に招き入れてもらって、
何分か話した後、バイバイしたのを覚えている。
サクッとご飯を食べて、サクッとバイバイ。
あまり、社員さんやアルバイトと連むことは少なかったショウゾウさん、
何か掴みどころのない人だな〜っと思っていた。

そんな謎で、愉快なしょうぞうさんと店長のタスクさんと僕が
2階のホールを担当する事が多かった。

ショウゾウさんが元気よく
『何番テーブルに、2名さま入られたました。よっ』と言うと、
店長のタスクさんが『よっ』っと返し、僕も『よっ』って返す。

これが少年にとってはめちゃくちゃ面白かった。

最後の『よっ』は絶対的に必要のない語尾だし、
意味が分からないと少年はずーと思っていた。

むしろ、語尾に『よっ』とつけると聞き取りにくい。
だけど、ショーゾーさんは『よっ』と必ず語尾につける。

そして、調子にいい時は、『あらっよっと』と。
なんか意味不明な語尾を使っていた。
あ〜らよ、出前一丁のCMから多分きていたのだと思う。

そして、テーブルまで、走っていくショーゾーさん。
勉強はできるけど、運動はできな感じのめちゃくちゃダサい走り方

調子がいい時は、早口すぎてマジで何を言っているか分からない。
何回聞き直しても早いし、理解不能。
そもそも、伝えようとする意思が感じられなかった。笑

ドリンクを作るのも、めちゃくちゃ早いが、
めちゃくちゃ雑だし、テーブルをこれでもかと汚して去っていく。

2階と1階を無線で繋いでいたのだが、声が大き過ぎて、
もう少し小さい声でゆっくり喋れと怒られていた。

しかし、ショーゾーさんは悪びれる事なく、
『なんで聞き取れへんねんクソが』
と先輩がいない所でよく言っていた。

そんなショーゾーさんを見ているだけで、楽しいかった。
ショーゾーさんは鋼のメンタルを持っていた。

フリーターと言われようが、
童貞と言われようが、
先輩に怒られようが、
飄々と仕事をこなすショーゾーさん。

無駄に『よっ』と発して盛り上げる、あの光景が今でも頭に残っている。
常にお店で働いていたので、僕はショーゾーさんを頼りにしていた。

もしショウゾウさんがいなかったら、
五十松を辞めていたかもしれないぐらい
自分にとっては大きな存在だった。

別に優しい言葉をかけてくれた訳でも、
相談に乗ってくれる訳でもなかったが、
根が優しかった。

そんなショーゾーさんがいてくれただけで、
救われていた。

ショーゾーさんも入った時は本当に仕事ができなかったそうで、
僕と同じく長い間、洗い場の日々が続いたそう。

そして、同じく副店長のケイさんに嫌われていたそう。

しかし、ショウゾウさんを超える仕事のできなさだったようで、
僕は五十松史上最も洗い場歴が長かったよう。
そのおかげで、洗い物は誰より早くなっていた。

そして、洗い場を卒業した後でも、
忙しい時間帯になると、小崎頼むと洗い場に投入されていた。
人間、やっぱり頼りにされると嬉しいものである。

働く楽しさを感じる事ができた五十松での日々。

当時20歳そこそこの自分は、
大学生の仲間と連んでいたので、遊びは大学生の遊びだった。
しかし、お店に入ってからは、僕より年上の人ばかりだったので、
遊びは社会人の遊び方で楽しいかった。

連れて行ってもらえるご飯屋さんも大学生が行くには
少しばかり高いお店だった。

五十松で働くのは、仕事というより、
お祭りみたいですごく楽しいかった。

休みの日より、仕事が入っている日の方が、朝からワクワクしていた。

少年は今まで、働く楽しさを感じたことがなかった。
働く=お金を稼ぐに方程式を頭の中に描いていた。

しかし、五十松で働くことをきっかけに、
働くことの楽しさを見出すことができた。

お店のメンバーと、ご来店して頂いたお客さんに対して、
『楽しい時間を過ごしてもらう』ことを目指すこと。

僕は学生時代ずーと野球をしてきたので、何かみんなで野球をしている感覚だった。チームプレーをしているかのようで、自分は楽しいかった。

少年にとって五十松での日々は、
単なる世界一周へ行く為のお金を稼いだ日々ではなく、
少年にとって、それ自体が楽しい日々だった。

だけど、世界一周に向けてお金を稼ぐという目標がなければ、
本気であれだけ本気で仕事に取り組むことはできなかっただろうし、
あれだけ楽しいと思えなかったのではないか?

少年は思った。
次回に続く。

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