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作った会社のことを言葉にしてみる

会社を作って半年、言葉にしたいことを書いてみた。

組み込む

昨年末に会社を立ち上げた。名前は「木と冬」。ウェブサイトの制作をしている。「木と冬」という名前は「柊」という漢字からつけた。柊は設立日で誕生日でもある12月7日の誕生花であり、実家の庭に番犬のように植わっていてなんとなく親しみを感じた。棘のある葉っぱはいつも近づき難かったけど、小さな僕が一番最初に覚えられた植物だった。

「木と冬」という名前は、僕が社会に感じている違和感や溝を埋めてくれる。お金のパワーが倫理観を歪め強い者と弱い者が明らかに生まれてしまうこと。繕うのが上手な人が注目を浴びて、それが正しいと思ってしまうこと。「木」と「冬」にはそんな俗世のものから離れていくような感触がある。

「イライラした空気が僕のズボンの裾を踏んでる」とはミスターチルドレン。誰かと喋ることもなんとなく怖くて肩をすぼめながら街を歩いている。そうやって生きていくのが人間なんだっけ?そうなのかも。と、いつも行ったり来たりを繰り返す。そんな繰り返しを経て、とても大雑把に言えば、社会と人間を埋める活動をしたいと思った。

とまあ、だからといってどうしようもないとも思う。社会は自動で動いていくし、自分ひとりができることって結局あまりないんじゃないかと思ってしまう。大きな力を目の当たりにすると自分のどうしようもなさに愕然とする。それに、この時代に大きな力を持ったとしてもその力は果たして正しいのかもわからない。じゃあどう生きていくべきなのかと僕なりに考える場所が木と冬なのだと思う。

まずの目標として、自分の周りからよくしていくことはできそうである。少しでも世の中に対抗するためには、良心と謙虚さを携えてより良い方向を目指して歩いていくことだ。悲観してなにも動けなくなっては意味がなくて、ネガティブをポジティブに変換していく必要がある。それができる余裕をもてたことも大きい。そう、社会は怖いし、生きていくには物分かりのよさも必要になることは事実だ。だからこそその仕組みの中でなるべくそうでない場所を作ろうというマインドがある。半ば公共的でもあるかもしれない。

大きくなることよりも一人ひとりに目が届く程度に小さく在ることを心がけたい。大きな力=正しさではなく、より大切なのは多様性だと思う。できる人もできない人も安心して入り込める場所。それぞれが求められる仕事をしつつ、同時にそれが止まり木となるような場所。株式会社として社会の中に組み込まれた「木と冬」という社会との接点は、まだ何もないけれど、まずはウェブサイトを作ることを通じてひとつの居場所にしていけたらいいなと思う。

物差し

物事の良し悪しはある側面だけでは語れない。注目されているものが良い物事とは限らないし、断言する物言いには自ずと排除が含まれている。わかりやすい言葉は思考を拒み、言い淀むたびにそれを核心へと近づかせる。

伝えたいことの全てを伝えることは難しい。けど、言葉の遣い方や姿勢に気をつけることはできる。言いたいことをなるべく丁寧に伝える姿勢。でも、効率化はそれをも阻む。やさしいままではいられないもどかしさ。 がある。

社会に出ると「価値観は人それぞれ」ということが信じられなくなる。仕事の効率がよいとか仕事の大小とか、一定方向の価値基準によって評価されていく。社会を支えている仕組み自体に正解が埋め込まれていて、その正解をなぞれるかどうかのレースである。

そんな中で価値を測る物差しはいくつあってもいいはずだ。仕事のできる・できないで測らず、どんな人にも居場所があるべきで、生活の中に仕事があるという人も堂々といられたらいい。自己実現や成長から脱出することや、遅いままでいることも尊重したい。関わるみんなの心の中にある「良い」の物差しを大切にして、物差しを増やしていく。価値のあるものを。派手で注目を浴びるものを。そういう流れから外れた、ありふれて地味な在り方も肯定したいと思う。行ける人は行っていいけど、行けない人は行かなくていい。どういう形であれ存在すること自体に価値があるし、そこにいるだけでいいのだから。これが木と冬でやりたいことのひとつだ。

植物のように

ウェブサイトの制作会社としてデザインに特化しているわけでもなくエンジニアリングに通じているわけでもない。僕自身、才能があるわけでもないし、全てにおいてふつうである。さて、「木と冬」はどう在るべきなのか。そう考える中で作った会社のページは、木と冬の存在をちょうどいい感じに表現している。

かっこいいものを作りたい気持ちはある、けどかっこつけすぎも似合わない。そういう気持ちをウェブサイトで表現するとしたら、と考えて作った一ページ。

僕はどうしても人間の欲が気になってしまう。目立つことや大きくすることが、まわりまわって負の連鎖をもたらしているような気がする。という考えもあり存在感のないページの仕立てである。容量を軽く保ち維持するエネルギーも要らない、ただそこにあってみずから存在を知らしめることもない、植物のようなページだと思っている。そのことが多様性をあらわしていくといいなと思う。

共同体

大それたことを言わず、欲深くならず、目の前の仕事に良心を持って取り掛かる。木と冬の在り方はそうがいい。そして僕だけじゃなく、関わってくれる人たちと作っていくものでありたい。

個人的にマネージメントは苦手だけど、だからこそオリジナルの方法で作れるかもしれない。「木と冬」が、「何をしているか」に関係なく「どう在りたいか」を共有しながらみんなで考えていく何かしらの共同体になったらいいなと思う。

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