見出し画像

自分軸の私の物語

【〜両親編〜】 

2歳下の弟がいましたが、先天性疾患で1歳半で亡くなりました。

母は酷くショックを受け、しばらくは何も手につかず、生きていくのに必死な状態だったそうです。


その後私は喘息になりました。

母は発作を起こすたびに、一晩中背中を擦ってくれました。

好きなことに熱中すると喘息も治るのではないかと、ピアノ、手芸、読書…etc.
夢中になるものを一緒に探してくれました。


父は、毎週末、片道1時間かかる喘息専門の病院まで運転し、辛い病院通いにならないよう、帰りには、公園に寄って遊んでくれました。

そして、身体を鍛えるためのマラソンを5年間一緒に走ってくれました。


3歳に発病し、完治するまでの15年間、両親は共に喘息と闘ってくれていたのです。


そして、夫の死後の同居は、両親共に快く受け入れてくれました。



振り返ると

「いつも、どんな時も
ずっと、愛され、守られていた。」


両親からの「無償の愛」に気づきました。


「条件付きの愛」にしていたのは、自分自身でした。


喘息の発病で母が親身に看病してくれました。それが心地よく安心だったので、喘息が治っても、必死に母が離れないよう、母の顔色を伺い、趣味を合わせ、気に入られる娘でいる努力をしていたのです。

母軸を選んでいたのは、自分自身でした。 


そして、家族のバランスをも崩していました。

父の定年退職後から、母から父の愚痴を聞くことが増え、常に母の味方をしてきました。
父も感じていたのでしょう。機嫌がどんどん悪くなり、ほとんど誰とも口をきかない日もありました。
実家に戻ってからは、悪化していました。


「無償の愛」の気づき後、意識的に

自分の意見を母に言うようにしました。

母の趣味ではなく、自分のやりたいことを優先しました。

すると、変化が起きました。

母が父に話しかけるようになり、一緒に居る時間が増え、うつ病のようだった父は、明るい父に戻りました。



「人を変えようとしても変わらない。

自分が変われば相手も変わる。」


そしてあれほど消えなかった、母への承認欲求も消えていきました。


今日も読んで頂きありがとうございました💖





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?