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敦賀駅-明治、そして令和へ- 鉄道の町は儚くもめざましい繁栄の歴史を繰り返す【旅行記】福井周遊 vol.3 2022.09
京阪神を韋駄天のごとく駆け抜けるJR西日本の無料最速達種別である新快速は、滋賀県内の末端区間に差し掛かるとこれまでの勢いを失い、各駅停車として走る。そして山岳地域へ差し掛かったのち、山を越え景色がひらけた途端、終着駅の敦賀駅へと到着する。
明治15年(1882年)3月、当時の日本で5本目となる新たな鉄道路線が開業した。滋賀県北東部の長浜から、敦賀港にある金ヶ崎へと至る路線の一部で、日本海側では初となる陸蒸気であった。かねてから日本海側の都市と太平洋側の諸都市とを結ぶ道のりは厳しい峠越えを強いられており、当時北前船の発着地点でもあった港町の敦賀と太平洋方面とを結ぶ新たなインフラとして建設されたものであった。
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鉄道の拠点としての敦賀の重要性は極めて高かった
峠越えを伴うその地形ゆえ、当時の技術では鉄道建設も困難なものであったが、先述の開業から遅れること2年、難所であった柳ヶ瀬越えを担う柳ヶ瀬トンネルも完成し、琵琶湖畔から日本海側を結ぶ線路が繋がった。明治維新の中急速な近代化の道を歩む日本ではその後も鉄道建設が進展していき、明治25年(1896年)には敦賀から北陸本線の富山までの工事も開始され、急速に鉄道網が形成され始めたのであった。そしてこの敦賀港金ヶ崎に至る鉄路は、日本とヨーロッパとをつなぐ国際連絡路線として、近代日本の発展とともにその華やかな歴史を歩むこととなったのである。
北陸本線の開業により北陸地域の物流が鉄道へとシフトし、北前船が衰退したことで船舶の発着数が減少した敦賀港は、やがて国際港としてその役割を担うこととなった。明治32年(1899年)に国際港としての認定を受けると、その3年後にはシベリア鉄道の終着であるウラジオストクまでを結ぶ定期航路が就航し、敦賀からウラジオストクを経由し、シベリア鉄道によってヨーロッパへと至るルートが誕生したのである。明治45年(1912年)には東京の新橋から金ヶ崎までを結ぶ、ウラジオストク経由のヨーロッパ行き直通列車が運転を開始、欧亜国際連絡列車として親しまれ、多くの著名人を運んだのであった。
ただ、欧亜国際連絡列車の歴史は儚いものであった。その後日本は二度にわたる世界大戦を経験し、複雑に変化する世界情勢に影響を受けることになるが、最終的に太平洋戦争に突入した頃にはいつの間にか欧亜国際連絡列車は消滅していたという。戦後は航空機の発達で国際的な移動手段は大きく変化し、北陸本線でも柳ヶ瀬越えを伴う旧線は1964年に廃止となった。そして金ヶ崎駅を抱える敦賀港線も2019年に廃線となり、近代日本の繁栄と欧亜国際連絡列車の歴史を語る施設はどれも過去のものとなったのであった。
そして欧亜国際連絡列車の消滅からおよそ半世紀以上経過した今、不思議なことに敦賀はまた新たな鉄道の要衝となろうとしている。整備新幹線として建設されている北陸新幹線の暫定終着駅として、敦賀駅は2023年秋からまた、新たな鉄道の要衝となる予定である。駅舎は在来線連絡特急との乗り換えを考慮して、1階に在来線特急ホーム、2階にコンコースを挟んで3階に新幹線ホームがある巨大な3層構造で、その高さは37メートルにもなる。かつてない大規模な新幹線駅となるわけだが、それよりも重要なことは、北陸新幹線の最終的な目的地は大阪方面であり、今回の敦賀駅を終着駅とする運行形態が一時的なものである、ということだ。
国際情勢の変化に左右され、激動の歴史のうちに消えて行った欧亜国際連絡列車、そして北陸新幹線の部分開業のように、鉄道の一大拠点として繁栄した敦賀の歴史はどれも一時的なものである。しかし、そのどれもが敦賀に新たな歴史の風を吹かせた、もしくは吹かせることに変わりはない。北陸新幹線もまた、かつての北陸本線がそうであったように、北陸と他地域を結ぶ新たなインフラとしての機能を期待されたものである。北陸新幹線の敦賀延伸は、敦賀の町にかつてのような繁栄をもたらす歴史的な転換点となり得るのである。そんなふうにかつての敦賀の街の繁栄に思いを馳せながら、高さ37メートルにもなる新幹線駅の建設現場を見上げていると、どこかに欧亜国際連絡列車の面影を見た気がしたのである。
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