人生とは生き方のデザインである
みなさんは、自分が思い描く人生像がありますか?
それは明確にイメージできていますか?
答えは、否。では?
人生に一般解などなく、前例はない。
では、どうすれば自分が求める人生像を獲得できるのか?
自分の信じる人生像の仮説を立てて、仮説と現状の差を埋めては仮説をたてなおす。このサイクルを無数に繰り返すと限りなく自分が求める人生像に近づくだろう、デザイン活動のように。
具体的には、自身の拙い知識から自分の人生の羅針盤となるメンターを設定して(自分が求める人生像の仮説)そのメンターに近づくように日々行動する。そして、メンターを設定し直す。それだけだ、しかし、それは全てのパラメーターで行わなければならない。友人関係、家族関係、仕事、細かいレベルまで落とし込むと、マインド、立ち振る舞い、ファッション、セルフブランディング、ボディメイクなど例を挙げるときりがない。理想の自己像を確立するためにはそれだけ試行錯誤が必要なのだ。
みなさんは、できていますか?
理想の自己像を獲得できるよう、日々の生き方を大切にしましょう。
【colume】起稿の際の脳内の動き
→言いたいことは、人生もデザイン活動のようにスタディを繰り返すべき。生涯淡々と会社員をしているだけでは、スタディはできない。適切なリスクをとって主体的に行動せよ、という自身に向けたメッセージだった。
→「人生とは生き方のデザインである」という結論は、日々のデザイン活動からくるアナロジーにより思いついたこと。
語り口は2パターン存在する。
1.感じたことから結論を導き出す。(体験談)
←大衆受けする書き方だろう。なぜなら、感情ベースで読むことができるから。人は必要以上に頭を使いたくない。
2.結論を述べてから、たとえ話で分かりやすく説明する。(論理的説明)
←ストーリーとしてではなく、話の理解を効率的にできる書き方。論理的思考により話を整理する癖がついている人は2の書き方の方が手っ取り早くていい。