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まだ無名だった頃の高杉晋作 その一人旅をなぞったら 目頭が熱くなった

   茨城県桜川市



高杉晋作もこんな景色を見たのだろうか

高杉晋作が泊った桜川市大泉地区 夕暮れ時に訪ねてみた

高杉晋作満21歳 幕府軍艦操練所での軍艦操練修行をあきらめ 一人遊学の旅に出る
江戸を発ち 新宿(葛飾) 牛久 府中(石岡市) を経て 笠間に至る
高杉は ここで旅の目的の一つである 加藤有隣ゆうりん桜老おうろう)との面会を果たす

大泉で日暮れとなり 泊ったのは・・・

笠間の加藤有隣の元を発ったのは お昼過ぎだったので 宇都宮まではたどり着けず 茨城県桜川市の大泉というところで泊まることになる

笠間を発って雨が風が強くなったことが 日記「試撃行しげきこう」に記されている

雨に濡れた身に 10月の夜風はこたえたことだろう

江戸を発って6日目 大泉村で日没となり しかたなく泊まった民家で 晋作は思いがけない体験をすることになる

この日は大泉駅に宿をとった。
大泉駅は旗本某の領地だ。
人家はとても少なく、旅宿はさらに無い。
よって民家に泊まった。
夜中、博徒二、三人が僕の隣席にやって来た。

『高杉晋作の「革命日記」』 一坂太郎 (朝日新書)


さて 博徒とどのように関わったのか 詳しいことは記されていないが 次の日の記述があるので見てみよう

九月五日 
大泉駅を発つ。密雲雨なし
山渓を歩くこと数里、真岡駅に出た。

同上

何事もなく 無事に朝をむかえられたようだ よかった よかった

高杉晋作は生まれつき身体が弱く 風邪まめでもある 雨にぬれたり 寝不足だったり 時空を超えて心配のタネはつきない

大業を成し遂げる未来のために お身体を大切にお過ごしくださいと心から願う

大泉から真岡への峠道(現在)

大泉から真岡へそれほど険しくない峠道を越えたら すぐである

峠を下ると南高岡という集落になり ほどなく日光連山が正面に見えてくる

日光の山々

高杉晋作は真岡駅 宇都宮駅を経て 日光を目指していった

激烈な運命を 彼はまだ知らない



この投稿は一坂太郎先生の『高杉晋作の「革命日記」』から引用させていただいています

この投稿を書きたいという気持ちにさせてくれた本です



Youtube動画も似たようなものですが ぜひご覧ください


 


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