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この2択しかない話
結局次の2択に落ち着く。すなわち、
体に悪いがみんなと同じく楽しい気がする日々を送る。
比較的健康的だが退屈で孤独な日々に耐える。
これ以外に何があるだろう。ある年齢になれば楽しみはなくなってくる。そうなると薬物を使って楽しむしかなくなる。または無理にでも体を壊しながら楽しむしかない。それが嫌で少しでも健康的に過ごそうと思えば、退屈さや孤独さに耐えなくてはいけない。何か楽しいことはないかと探し回ってもないのだ。なぜなら楽しいという感情は新たにできるようになったことに反応して起こるからだ。確かに私は歩くことができる。しかしこれを楽しみにできるのは歩き始めだけなのだ。こうしたことがたくさんあり、私たちは楽しみを感じられずに日々を過ごしている。本当に欲しいのは感情の動きなのに。
このように思い始めると、コンビニには体に悪いものばかりが売っていることに気づく。しかもちょっとお手頃で、なおかつちょっと高い値段で売っている。加えてこういってはなんだが、おもちゃばかりなのだ。本物を装った楽しい偽物。そう見えてくる。しかしアルコールや何かで判断力を鈍らせてやれば、気にならなくなり、逆にそれなりに見えてくるからおもしろい。
一方で、それを否定するなら感情は動かず、みんなを否定するのだから、孤独になる。余計に感情は動かない。しかし食べ過ぎ飲み過ぎ、お金の使い過ぎを抑えられる。これだけ得ていて不満をいうのは間違っているかもしれない。だが健康さは逆に不満を隠さない。
ここで、凡人でもこうした状況にどうやったら耐えられるか考えてみよう。
まず、みんなを否定せず、ときにはアルコールを飲むなどそういうことも否定しないことだ。否定し過ぎることはさらなる孤独を生む。
次に、退屈は普通だということを肝に銘じよう。楽しいがデフォルトだと考えると必ず不幸になる。
最後に、体を動かすことだ。しかもいつもは動かさないところを動かすようにする。
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