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『片づけ学』がいい本だった話
近藤麻理恵さん著、池上彰さん編集の『片づけ学』という本を買って読んでいるが、こんまりさんの集大成というくらいいい本だった。
書いているのはいままでのまとめという感じで、新しい部分といえば、片づけの歴史が組み込まれたところだけなのだが、これによって「学」になり、体系的に読めるので、いままでこんまりさんの本を読まなかった層にも届きそうな内容になっている。
私はこの本を特に若い人に読んでほしいと思っている。というのも、片づけはそれが終わってもスタートでしかないからだ。片づけは決断力、判断力を養ってくれるとてもいいトレーニングであり、実践なのだ。
私は、こんまりさんの思想には決断の人デカルトと同じようなところがあると感じている。デカルトは最近評判が悪いらしいが、その思想はいまでも生き続けている。こんまりさんがその思想を引き継いでいるかはわからないが、共通点は多い。
まず、片づけは決断力を養うが、これは一生で一度すればいいこと。デカルトも書簡で哲学的思考は一生のうち一度すれば十分だといっている。デカルトのやったことは思想の片づけではなかったか。デカルトが次々に決断できたのもそのためではないのか。
次に、デカルトは「情念論」の中で人生のよし悪しは情念次第だと書いているが、その情念の感度を高めるのが、片づけだろう。情念とはここで、体の反応によって引き起こされ、精神に感じられる一切のものだが、感度を高めるとはこれにされるがままになればいいというのではない。というのも、感じるのは精神で、精神とはそれをうまく導くものだからだ。だから、こんまりさんが「ときめき感度」を上げるというときには、自分の体の反応をうまくわかり、かつ制御できるということをいっている。つまり片づけは人生のよし悪しを決めるものをうまく制御する訓練だということになる。
また、このような説明が逆にわかりにくいなら、片づけは過去の自分、つまり過去に自分が選択した物たちをうまく整理し、ちゃんとした置き場を用意することなので、自分と結局向き合うことになる、そして、それは作業を通じてやるので、抽象的な議論や詭弁に惑わされることはなく進められるすばらしいメソッドだと思い出すだけでいい。要するに片づけは、案ずるより生むがやすしというにぴったりのものなのだ。
『片づけ学』はこうしたことを体系的に学びたい人には、本当におすすめな本だ。片づけを身につけた人は、考えているよりもっとすばらしい人生を歩むことだろう。しかも片づけは誰でもできるとこんまりさんはいっている。これを考えてみると、「人は自分ではある」ということだろう。何もすごい人になるわけではない。過去の自分に片をつけるだけなのだ。いつもと同じ動きをするだけでいい、難しい議論や話をするわけではない、つまりは片づけは実践的庶民的知恵ということになる。それなのにちゃんと判断はできるのだから、片づけはすばらしい。
これを身につけない手はない。誰でもというのがミソで、それゆえにこれは教養の本であり、学であり、礼儀の本である。
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