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片づけを改めてした話

昨日とある理由で私のスペースが少なくなり、持ち物を整理した。私は以前フランス語を勉強していたり、ポケモンカードをやっていたりしたのだが、それらを捨てることにした。フランス語は長らく触れていないし、今後も自分の中で発展はしないだろう。ポケカにしてもやる機会が大幅に減ったことに加え、あまり個人的に興味があるものではなかったので、ちょうどいい機会だったかもしれない。

フランス語はアランやデカルトについてもっと知ろうと思って始めたのだった。しかし難易度がとても高いことに加え、お金がかかることもあってなかなか難しかった。フランス語のつづりの読み方やいくつかの単語の意味くらいしか身についていない。また、勉強していて印象的だったのは、フランス人は数学、算数が苦手だという情報だった。そう考えるとデカルトのすごさ、アランが『小さな哲学史』で集合の例で間違っているのなどが理解できた。フランス語の数の数え方は独特であり、それが影響しているのではといわれている。フランス語では数えるときにかけ算が出たりする。

フランス語をやってよかったなと思うのは、Aimerなどの単語を読めるようになったことだ。フランス語読みの単語を使う日本人も多い。ちなみに上の単語は「エメ」と読む。aiはエと発音し、最後のrは読まない。また、フランスのアーティストを知れたのもよかった。VianneyやAngèleなど私からすると異国情緒あふれる音楽に触れられたのはとても幸福なことだ。

外国語ということに関して書くと、英語も身につけねばと私は思っていた。しかしこれもお金の問題で難しかった。しかも話せるのは何も外国語の知識が身についているからだけではなく、本来的に知識や教養がなければならない。つまり日本語でもたくさん話せない人は外国語を身につけたところで何も話せない。これを身をもって知ったのもいい経験だった。外国語を学ぶという行為は普遍主義、理性主義、主知主義の最たるものだ。だから人間しか翻訳などしない。

私はそんな外国語の勉強をして人に頼る大切さを知った。つまり、自分でフランス語や英語を使えるようにならなくても翻訳というものがこの世にはあるということだ。使えるに越したことはないが、それにはいろいろな能力が必要なのだ。凡人には難しい。しかも40代というこの段階においては外国語を勉強する余裕はもうない。してもいいが、私にはもう必要ないのだ。それよりは翻訳されたものを読もう。読むことも外国語習得と同じくらいの大切なものである。

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