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みんなどこかに逆転の一手があると思っている話

ふと思ったことがある。それはみんな、何かいい手があって、それを使えば問題は解決するはずだと実は思っているのではないかということだ。私も少し気を抜けば思ってしまう節がある。ところで、その問題が起こっている当のものから離れたところで、問題は解決しない。それは逃げているか、目を逸らしているだけだ。そういうことが必要な場面もある。しかし理性はそれを許さない。一番いいのはそれが解決することであるのは多分みんなわかっている。

問題とは実のところ硬い岩盤のようなものだ。そこには実質がある。例えば、楽しかった飲み会は二日酔いという現実で終わるかもしれないが、問題はずっとそこにある。というより問題があると認識されていること自体が、その人がそれを大事に思っていることなのだ。つまりは逃げたくないとさえ思っているといっていい。

だから、解決しなくても問題を直視しなくてはいけない。こういうのがダメであれば、問題は問題として忘れない方がいい。そして、本当に解決へと導くのは、大きなあきらめと、勤勉な仕事だけだ。私たちはこのことをよく忘れ、天才の経験談や中身のないテクニックに釣られ、いろいろなものを浪費している。天才の経験談は夢のようなものだ。聴いている人は実質は実践できないのに夢だけ見ている。それは心地いいからだ。中身のないテクニックも心地いい。気分をよくするだけならいいだろうが、それだけでは何にもならない。たまに使うぐらいにするといい。

  • 問題は実質的なものを含んでいて、気休め程度の天才の経験談などでは解決しない。

  • 解決のためには問題を直視し、何をあきらめ何を続けるかを決めなくてはいけない。

  • 少しずつでも前に進まなければいけない。

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