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「溺れるものと助かるもの」 プリモ・レーヴィ(『アウシュヴィッツは終わらない』朝日選書より)

本書は同訳者で改訳完訳版が2017年に同出版社・同訳者(竹山博英氏)により出版されている。下の書影は新版のもの。

レーヴィがナチスのユダヤ人強制収容所から救出されたのは1945年1月27日。自宅に帰り着くとすぐに、彼は記憶を頼りに、本書の執筆にとりかかった。飢えと寒さ、不潔な寝床、病い、そして死にゆく人々……。過酷な強制収容所での生活が非常に緻密に、きめ細かく記されている。ものを考えることが死につながるほどの極限状態にあって、人間の魂がいかに破壊されていくのか。体験を書くという行為は、アウシュヴィッツで全面的に否定された自己の人間性を回復する作業でもあったのかもしれない。生還以来、その体験を証言してきたレーヴィの集大成的ともいえる古典的名著『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版。(Amazonより。)

ブリーモ・レーヴィ Primo Levi
1919年トリーノに生まれる。44年2月アウシュヴィッツ強制収容所に抑留。45年1月軍に解放され、同年10月イタリア帰還。戦後は化学者として働きつつ自らの体験をまとめ、イタリア現代文学を代表する作家の一人となる。87年自死。主な著書に「休戦」(竹山博英、朝日新聞社、岩波書店)、「周期律」(同、工作舎)、「今でなければいつ」(同、朝日新聞社)。「溺れるものと救われるもの」(同、朝日選書)など。

竹山博英 たけやまひろひで
1948年東京に生まれる。 東京外国語大学大学院ロマンス系言語専攻科修了。現在立命館大学名誉教授。主な著書に「マフィア シチリアの名誉ある社会」(朝日選書)、「プリーモレヴィ アウシュヴィッツを考えぬいた作家』(言叢社)他、主な訳書にC・ギンズブルグ『ベナンダンティ』(せりか書房)、L・シャーシャ『真昼のふくろう』(朝日新聞)、『溺れるものと救われるもの』(朝日選書)など。

改訂完全版からの著者・訳者紹介文

下記引用は旧訳『アウシュヴィッツは終わらない』からのもの。したがって訳出内容に新版とは異動があるかもしれない。強調は著者(レーヴィ)のもの。

年齢、境遇、生まれ、言葉、文化、風習が違う人々が何万人となく鉄条網の中に閉じこめられ、必要条件がすべて満たされない、隅々まで管理された、変化のない、まったく同じ生活体制に従属させられるのだ。たとえば人間が野獣化して生存競争をする時、何が先天的で何が後天的か確かめる実験装置があるとしても、このラーゲルの生活のほうがはるかに厳しいのだ。

人間は根本的には野獣で、利己的で、分別がないものだ、それは文明という上部構造がなくなればはっきりする、そして「囚人」とは禁制を解かれた人間にすぎない、という考え方がある。だが私たちには、こうした一番単純で明快な考え方が信じられないのだ。むしろ人間が野獣化することについては、窮乏と肉体的不自由に責めたてられたら、人間の習慣や社交本能はほとんど沈黙してしまう、という結論しか引き出せないと考えている。

それよりも注目に値するのは、人間には明らかに、溺れるものと助かるものという二種類があるという事実のほうだ。これ以外の善人と悪人、利口ものとばか、勇ましいものといくじなし、幸運なものと不幸なものといった対立要素はずっとあいまいで、もって生まれたものとは思えない。どっちつかずの中間段階が多すぎて、しかもお互いにからみあっているからだ。

ところが、この溺れるものと助かるものという区分は、普通の生活ではずっとあいまいになっている。なぜなら、大体人は独りぼっちではなく、成功する時も失敗する時も、身近な人たちと運命をわかちあっているので、普通の生活をしている限り、めったに破滅しないからだ。だからある人が際限なく権力を伸ばしたり、失敗に失敗を重ねて破滅することはない。それに普通はみな精神的、肉体的、金銭的蓄えを持っているから、破産したり、すべてをなくしてしまったりする可能性はひどく小さくなっている。それに加えて、法律や、心の規律である道徳が、損害を和らげる働きをしている。事実、文明国になればなるほど、困窮者があまりにも貧しくなり、権力者が過大な力を握ることを防止する賢明な法律が働くようになる、と考えられている。

だがラーゲルでは違うことが起きる。ここでは生存競争に猶予がない。なぜならみなが恐ろしいほど絶望的に孤立しているからだ。ヌル・アハツェーンのような男がつまずいたとしても、手を差しのべるものはいない。逆にわきに突き倒すものはいるかもしれない。というのはたかだか「回教徒」が、毎日作業に出られなくなったとしても興味を持つものなどいないからだ。一方、野獣の忍耐と猾さを発揮して、一番厳しい作業から逃れる新しい結合を見つけたり、いくばくかパンを得られる新しい技術を発見した男がいるとする。男はその方法を秘密にしておこうとするだろう。すると彼はそれゆえに高く評価され尊敬を受け、自分一人の個人的利益を引き出せるようになるのだ。そして彼はさらに強くなり、そのために恐れられる。恐れられるものは、まさにその事実によって、生きのびる候補生なのだ。

人間の歴史や生活にはしばしば、「持つものには与え、持たないものからは奪え」という恐ろしい法が見られるようだ。個々人が孤立していて、原始的な生存競争の法則に支配されているラーゲルでは、この不正な法則が大っぴらに横行し、公認されている。強く狡猾なもの、適応しているものとは、上長も進んで接触を持ち、時には仲間扱いする。あとで何かに役立てようと思っているからだ。だが、崩壊しつつある回教徒にわざわざ言葉をかけるものはいない。ぐちをこぼしたり、家で何を食べていたか話すのがおちだからだ。友だちになってもまったくむだだ。収容所に抜きん出た知りあいがいるわけではないし、配給以外のものは食べていないし、有利なコマンドーで働いているわけでもないし、組織化する秘密の方法を知っているわけでもない。それに通り過ぎてゆくだけで、何週間かしたら近くの収容所で一握りの灰になってしまい、記録簿に印つきの登録番号しか残らないのが分かっているからだ。彼らは無数にいる同類の群れに入れられ、休みなく引きずり回される。彼らは、だれにもうかがい知れない孤独をかかえながら、体をひきずり、苦しみ、孤独のうちに死ぬか姿を消し、だれの記憶にも跡を残さない。

この自然に行われる非情な選別過程の結果は、ラーゲルの統計資料に読み取ることができる。たとえば、アウシュヴィッツで、一九四四年の一年間をとってみると、古参のユダヤ人囚人で、十五万以下の「小番号」の囚人からは、わずか百人ほどしか生き残りが出なかったことが分かる(ユダヤ人以外の囚人については、ここでは述べない。条件が違っているからだ)。この中で、普通のコマンドーで働き、普通の配給を受けていた普通の囚人は、一人もいなかった。医師、仕立て屋、靴直し、楽士、コック、収容所当局者の友人、同郷者、こうしたものたちだけが生き残った。さもなくばとりわけ残忍で精力的で非人間的で、カポーや棟長などの任務を引き受けたものたち(SSの任命による。SSはこうした選択に際しては、悪魔のように人間を知っていることを示した)、あるいは特別な任務にこそついてはいないが、狡猾さと行動力からいつも組織化に成功し、物質的優位と名声の外に、収容所の権力者から高い評価とお目こぼしを得たものたちなどだ。組織者、結合者、名士(こうした言葉は何と雄弁なことか!)になれないものは、結局すぐに回教徒になってしまう。人生には第三の道がある。それがきまりでもある。だが強制収容所にはそんなものはない。

打ち負かされるのは一番簡単なことだ。与えられる命令をすべて実行し、配給だけ食べ、収容所の規則、労働規律を守るだけでいい。経験の示すところでは、こうすると、良い場合でも三ヶ月以上はもたない。ガス室行きの回教徒はみな同じ歴史を持っている。いや、もっと正確に言えば、歴史がないのだ。川が海に注ぐように、彼らは坂を下まで自然にころげ落ちる。収容所に入って来ると、生まれつき無能なためか、運が悪かったか、あるいは何かつまらない事故のためか、彼らは適応できる前に打ち負かされてしまう。彼らは即座に叩きのめされてしまうので、ドイツ語を学んだり、規則や禁制の地獄のようなもつれあいに糸口を見つけたりすることもできないうちに、すでに体は崩壊し、何をもってしても選別や衰弱死から救い出せなくなっている。彼らの生は短いが、その数は限りない。彼らこそが溺れたもの、回教徒であり、収容所の中核だ。名もない、非人間のかたまりで、次々に更新されるが、中身はいつも同じで、ただ黙々と行進し、働く。心の中の聖なる閃きはもう消えていて、本当に苦しむには心がからっぽすぎる。彼らを生者と呼ぶのはためらわれる。彼らの死を死と呼ぶのもためらわれる。死を理解するにはあまりにも疲れきっていて、死を目の前にしても恐れることがないからだ。

顔のない彼らが私の記憶に満ちあふれている。もし現代の悪をすべて一つのイメージに押しこめるとしたら、私はなじみ深いこの姿を選ぶだろう。頭を垂れ、肩をすぼめ、顔にも目にも思考の影さえ読み取れない、やせこけた男。

溺れたものに歴史がなく、ただ破滅への道が一本大きく開かれているだけだとしたら、助かる道は多様で、厳しく、想像も及ばない。

本道は、前にも述べたように、名士になることだ。収容所の職員を「名士」と呼ぶ。それは囚人長から、カポー、コック、看護人、夜衛、バラックの掃除人、便所係り、シャワー監督までさまざまだ。ここで特に興味をひくのは、ユダヤ人の名士だ。というのは、他のものたちは人種的に優越しているおかげで、収容所に入る時、自動的に任務を与えられるのに、ユダヤ人は地位を得るため、陰謀をめぐらし、激しく闘わねばならないからだ。

ユダヤ人の名士という存在は悲しむべき人間現象なのだが、注目に値する。彼らは現在と過去の苦しみ、祖先の苦難、そして外国人を敵視する伝統と教育を一身に体現して、社会性を欠いた、人間味のひとかけらもない怪物になっている。

彼らはドイツのラーゲル体制が生み出した典型的な産物だ。つまり、奴隷状態にある何人かに、仲間との自然な連帯関係を裏切れば、ある特権的地位、ある種の快適さ、生き残れる可能性を与えてやると持ちかけたら、必ずそれを受け入れるものがいる、ということなのだ。こうした裏切り者は普通の法の適用外に出るから、手の届かない存在になる。だから、意地悪になり、嫌われれば嫌われるほど、大きな権力を与えられることになる。この男が不運な人間の群れの指揮権を握り、生殺与奪権を持ったら、残忍な暴君になることだろう。なぜなら十分すぎるほど残忍にならなかったら、もっと適任とみなされたものが、自分の地位を奪うことが分かっているからだ。それに加えて、抑圧者のもとでは吐け口のなかった彼自身の憎悪が、不条理にも、被抑圧者に向けられることになる。そして上から受けた侮辱を下のものに吐き出す時、快感をおぼえるのだ。

こうしたことはすべて、普通考えられている図式からかけ離れていることが分かる。つまり被抑圧者同士は、抵抗するまではいかなくとも、少なくとも耐え忍ぶことではお互いに団結する、という図式だ。これは抑圧がある限界を越えない時、あるいは抑圧者の側に経験がないか、寛大であるために、団結を見すごしたり、奨励したりする時に見られることだ。だが今日、外国人が侵略者として踏み込んできた国ではどこでも、従属民の間に、同じような反目と憎悪が見られたことは確かだ。そして他のさまざまな人間的出来事もそうだったが、これも、ラーゲルでは、特に残酷なほどはっきりと起こりえたのだ。

非ユダヤ系の名士については、数ははるかに多かったが、語れることは少ない(「アーリア」系の囚人は、ささいなものであっても、任務をもたないものはない)。彼らの大部分は一般犯罪人で、しかもユダヤ人収容所の監督として、あらかじめドイツの監獄で選抜されてきたことを考えてみれば、無知で粗暴なのはあたりまえだ。それにこの選抜は注意深く行われたようだ。というのは、仕事ぶりを見せられたあの卑屈な人間たちが普通のドイツ人はおろか、特殊な犯罪人の平均的な見本だとも信じられないからだ。だがアウシュヴィッツで、ドイツ、ポーランド、ロシアの政治犯の名士たちが、一般犯罪人と残忍さを競いあったことは説明が難しい。しかし、ドイツでは、闇取り引き、ユダヤ人との密通、党の職員に損害を与える窃盗なども、政治犯罪として扱われていたことは知られている。そして「本当の」政治犯は、いまでは悲しいまでに有名になった別の種類の収容所に入れられ、悪名高い苛酷な条件のもとで生き、死んでいったのだ。だがその収容所生活はここで述べられている生活とは違っていた。

ところが本来の意味での職員のほかに、大きな範疇として、初めは運にめぐまれなかったが、自分の力だけを頼りに生存競争を戦い抜いた囚人たちがいる。彼らは流れにさからわねばならない。毎日、毎時間、疲労、飢え、寒さ、そしてそれに伴う無力感と戦わねばならない。敵とはりあい、競争相手を容赦なく落とし、知恵を働かせ、忍耐心を固め、意志を貫かねばならない。あるいは品位を殺し、意識の光を消し、他の野獣に対抗すべく、野獣となって戦場に降り、原始時代に種や個人を支えていた、闇にひそむ思いがけない力に導かれるままになる。生きのびるために考え出された方法は無数にある。個々人の性格と同じくらいだ。だがどれも、自分以外の全員に対する消耗戦を伴い、多くは、少なからぬ道徳放棄とごまかしを必要とする。自分の信念を何一つ捨てずに生きのびることは、よほどの強運に恵まれない限りは、聖人や殉教者になれるわずかの優れた人物にしか許されていなかった。

どんな方法をとれば生きのびられるかは、シェプシェル、アルフレッド・L、エリアス、アンリの例を語ることで示してみよう。

シェプシェルはラーゲルに四年住んでいる。彼はガリチアの村からポグロムで追われたのを皮切りにして、自分のまわりで何万というユダヤ人が死んでゆくのを見てきた。妻と、五人の子供を持ち、馬具店を営んで成功していたが、いまではもう自分のことを、定期的に満たすべき胃袋としか考えていない。彼はきわだって頑健でも、勇敢でも、意地悪でもない。とりわけ狡猾でもないし、少しは食べ物が得られるような方法を見つけたわけでもない。だが断続的に小さな便宜の道に走る。つまりここで言う「結合」のことだ。

彼は時々ブナでほうきを盗んで棟長に売りつける。資本となるパンを少し貯えられると、同郷人のプロックの靴直しから道具を借りて、一人で一生懸命働く。電線を組みあわせて、ズボンつりを作れるのだ。昼休みに彼がスロヴァキア人労働者の小屋の前で歌って踊り、時にはスープの余りにありつくのを見たことがある、とジーギが言っていた。

こんな風に語ると、シェプシェルは、もはやただ生きたいというつつましい意志しか持っていない哀れな人間で、打ち負かされないため小さな戦いを勇敢に戦っているだけだと思えて、同情を感じてしまうかもしれない。だがシェプシェルも例外ではない。機会が訪れた時、ためらいもせずにモイシュルを告発したのだ。そのため厨房の盗みの共犯だったモイシュルは鞭打ちを受けた。それも、結局は見込み違いだったのだが、棟長のおぼえを良くして、大鍋の作業員の候補にしてもらいたい、と期待してのことなのだ。


アルフレッド・L技師の話は、とりわけ、人間が生まれながら平等だという神話がいかにむなしいものか、教えてくれる。Lは故国で非常に重要度の高い化学工場を経営しており、その名は全ヨーロッパの工業界に知られていた(いまでもそうだ)。彼は五十歳ぐらいの頑健そうな男だった。どんなふうに逮捕されたかは知らないが、収容所にはみなと同じように、裸で、知りあいもなく、独りぼっちで入ってきた。私が彼を知った時は、ひどくやつれていた。が、顔の輪郭を見ると、訓練を積んだ、抑制のきいた活力がまだ残っていることが分かった。その頃、彼の特権といったら、ポーランド人労働者の大鍋を毎日洗うことだけだった。どうやって独占できたのか分からないが、この仕事から一日に飯盒半分のスープを得ていた。

もちろん飢えを満たすには十分でなかった。だが彼がぐちをこぼすのを聞いたものはいない。むしろ、時々もれる言葉からは、秘密の供給源を握っていること、確実で実りの多い「組織化」をしていることがうかがえた。

それは彼の容貌からも確認できた。Lは「体の線」を保っていた。顔や手はいつも完全にきれいだったし、二ヶ月ごとの交換を待たずに、ほとんどいつも、二週間ごとにシャツを洗っていた(ここで注意してもらいたい。シャツを洗うとは、石けんがあり、時間もあり、ごった返す洗面所で場所を見つけ出すことを意味する。そして目を一瞬たりともそらさずに濡れたシャツを監視し、灯が消える睡眠時間には、もちろん濡れたまま着ることを意味する)。彼はシャワーに行くためのサンダルを持っており、縞の上着は新しく清潔で、不思議にも体にぴたりとあっていた。Lはそうなる前に実質的に名士の外貌を手に入れていた。というのは、ずっとあとになってから、私はいろいろのことを知ったからだ。Lは信じ難いほどの粘り強さで、こうした豊かさを誇示していた。自分の配給を割いてまで、物や仕事に支払いをし、自らを余分な窮乏体制に追いこんでいたのだ。

彼の計画は息の長いもので、刹那的な考え方が支配する環境で練り上げられたものとしては、注目に値する。Lは精神に厳しい規律を科すことで、それを果たした。自分自身はもとより、もっともなことだが、道をふさぐ仲間にも、一切あわれみを見せなかった。強者として尊敬されることと実際にそうなることとの間にはわずかの距離しかないこと、そして、どんなところでも、とりわけみなが同じ水準に落ちるラーゲルのようなところでは、尊敬に値する外貌が最もよく実際の尊敬を集めることを、彼は知っていた。彼は群れの仲間と間違われないように、あらゆる注意を払っていた。そして熱心に働いているように見せかけ、時にはなだめすかすようにしてなまけものの仲間をはげました。毎日、配給の列に並ぶ時は、良い場所を得ようと争うのは止めて、水っぽいので悪名高い最初のスープを受け取るようにし、規律を守ることで棟長の注意を引こうとした。仲間との距離を完全なものにしようとして、仲間と接する時は、自分の完璧なエゴイズムに匹敵するような、ばかていねいな態度を見せた。

あとで述べるが、化学コマンドーが結成された時、Lは自分の時が来たのを悟った。だらしなく汚れた仲間たちの中で、これこそ正真正銘の救われたものだ、隠れた名士だ、とカポーや労役部を即座に納得させるには、清潔な服と、やせてはいるがひげのあたってある顔だけで十分だった。これゆえに(持っているものには与えよ、だ)、彼はすぐに「特殊技能者」に昇進し、コマンドーの技術長に任命された。またブナの管理部は彼にスチレン部実験室の分析家の職を与えた。それに続いて彼は、化学コマンドーの新入者一人一人の職業能力を判定する試験をまかせられた。彼はこれをいつも非常に厳格に行った。将来の競争相手になりそうな者には特に厳しかった。

彼がその後どうなったか、私は知らない。だが死を逃れて、何の喜びもない、意志堅固な支配者として、冷えきった生活をしている可能性は十分にあると思う。


一四一五六五番のエリアス・リンジンは、ある日、何の理由もなしに、突如化学コマンドーに入ってきた。彼は小人で、一メートル半もなかったが、あれほどの筋肉の持ち主は見たことがない。裸になると筋肉の一本一本が、皮膚の下で、別の命を持った生き物のように、力強く自在に動くのがはっきり見えるのだ。比率を変えずに体だけ大きくし、頭を取ってしまったら、ヘラクレスのいいモデルになることだろう。

彼は毛の濃い頭を持ち、そこからは、頭蓋の縫合線が異常に突き出ているのがはっきり見えた。頭はどっしりと大きく、金属や石でできているかのように重そうだ。そして眉毛からわずか指一本分ほど上には、もう黒い髪の剃り跡がある。鼻、顎、額、頬骨は固く引き締まっていて、顔全体は、羊の頭、物を叩く道具のように見える。体全体からは野獣の活力があふれ出ている。エリアスの働きぶりを見ると、めんくらってしまう。ポーランド人やドイツ人の監督たちも時々立ち止まって、エリアスの働きぶりを感心しながら眺めている。彼には不可能なことは何一つないように見える。私たちだったら、セメント一袋がやっとなのに、エリアスは二つ、三つ、四つと持ち、どうするのか、うまく平均をとって、ずんぐりした短い足でとことこと歩き、重さに顔をしかめながらも、笑い、ののしり、叫び、息もつかずに歌う。まるで青銅の肺を持っているようだ。また木の靴をはいているのに、猫のように足場によじ登って、空中につき出た横板の上をあぶなげなく走る。煉瓦は六つ、頭にのせて、うまくつりあいをとって選ぶ。鉄板のきれはしでスプーンを、鉄くずでナイフを作れる。どんなところでも乾いた紙や木や石炭を見つけ出し、雨が降っていてもすぐに火がつけられる。仕立て屋、大工靴直し、床屋の職をはたせる。信じられないほど遠くまで唾を飛ばせる。なかなか良いバスの声で、聞いたこともない、ポーランド語やイディッシュ語の歌を歌う。6リットル、8リットル、いや10リットルのスープを飲んでも、吐いたり、下痢したりせずに、すぐに仕事に取りかかれる。肩甲骨の間に大きなこぶを出し、体を曲げて猿のまねをし、訳の分からないことをわめき散らしながらパラック中を回って、収容所の権力者たちを楽しませる。私は彼が頭一つ背の高いポーランド人と喧嘩したのを見たことがある。頭突きを胃に見舞って、一撃で倒してしまったのだ。力強く、正確で、カタパルトのようだった。彼が休んだり、じっと静かにしているのは見たことがない。病気になったり、怪我したりしたのも知らない。

彼の外での生活については、何も分かっていない。それに、エリアスの囚人以外の服装を想像するには、空想力と推理力をしぼらねばならない。彼はポーランド語と、ワルシャワなまりの、どなるような調子の、崩れたイディッシュ語しか話せない。だが彼にきちんとした話をさせるのは不可能なことだ。彼は二十歳にも、四十歳にも見える。自分では、いつも、三十歳で、子供が十七人いる、と言っている。これはあながち嘘とは思えない。彼はいろいろなことを、脈絡なしに、ひたすらしゃべる。狂人のように激しいしぐさをまじえ、演説で大声を轟かす。いつもぎっしり詰まった聴衆を前にして話しているかのようだ。そしてもちろん聴衆に欠くことはない。言葉の分かるものは笑いころげながら、彼の熱弁を呑みこみ、熱狂して固い肩を叩く。彼のほうは、眉根を寄せて獰猛な顔をつくり、聴衆の輪の中を野獣のように歩き回って、だれかれとなく問いつめる。そして不意に猛禽類の爪のような手で、ある男の胸ぐらをつかんだかと思うと、身動きできないように引きつけ、おびえたその顔に訳の分からないおどし文句を吐き出し、枯れ枝のように後ろにほうり出す。そして喝采と笑い声が湧き上がる中で、予言を告げる小さな怪物のように、腕を天に伸ばし、狂ったような激しい調子の演説を続ける。

彼が稀に見る働き手だという評判はすぐに広まり、ばかげたラーゲルの法によって、その時から実質的に働くのを止めた。彼は監督のじきじきの要請により、特殊な技能や力が要求される作業にだけ従事することになった。こうして借り出されるほかは、私たちの毎日の平板な労働を横暴な態度で監督するのが仕事になった。そして、どんな冒険をしてくるのやら、ひんぱんに姿をくらませては、どこかの作業場の隠れ家にもぐりこみ、ポケットを一杯にしたり、胃を大きくふくらませて戻ってくるのだった。エリアスは罪の意識のない、生まれながらの泥棒である。盗みにかけては、野獣の持つ本能的な狡猾さを発揮する。彼は決して現場をおさえられることがない。確実な機会が来るまで盗まないからだ。だがそれが到来するやいなや、投げ出された石が確実に落下するように、予想にたがわず、絶対に盗みを働く。現場をおさえるのが難しいことを別にしても、彼を盗みの罪で罰しても、何の役にもたたない。盗みは彼にとって、息をしたり眠ったりするのと同じように、何か命にかかわる行為なのだ。さて、いまではもう問いかけられる、このエリアスという男は何ものなのか、と。たまたまラーゲルに入ってきた、理解の及ばない、非人間的な気違いなのだろうか。現代世界にはあわないが、収容所の原始的な条件にはぴったりの、先祖返りなのだろうか。あるいは、もしかして私たちが収容所で死なず、収容所もなくならないとしたら、みながなってしまう、収容所有の産物なのだろうか?

三つの仮定にはそれぞれ正しいところがある。エリアスは肉体的な破滅をまぬがれた。肉体的には破壊できなかったからだ。心を破壊されることにも耐えた。狂っていたからだ。だからまず第一に生き残るのだ。彼は最も適応した人間収容所の生き方にぴたりとあう、見本のような存在だ。

もしエリアスが自由を得たら、牢獄か、精神病院か、いずれにせよ人間社会の外縁に押しこまれることだろう。だがこのラーゲルには犯罪者も気違いもない。違反すべき道がないから犯罪者はいないし、足かせがあって、ある時ある場所でとれる行動は、ただ一つしかないから、気違いもいないのだ。

ラーゲルにいる限り、エリアスは栄え、勝利を得る。彼はよい働き手であり、よい組織者で、この二重の理由から、選別の恐れはなくなり、上長や仲間から尊敬される。確固たる精神力のないもの、自分の意志で人生の土台を築けないものは、唯一の救いの道として、エリアスのやり方を選ぶ。正気を捨て、人を欺く性を身につけることだ。他のどんな道にも出口はない。たぶんこの話から日常生活に役立つ結論を引き出そう、ものさしを作ろう、と考えるものが出てくることだろう。おそらく周囲に、多かれ少なかれエリアスに似たものがいるだろうからだ。生きる目的もなく、良心や自制心をまったく持たない人間がいるだろうからだ。彼らはこうした欠落にもかかわらず、生きているのではなく、エリアスと同じように、まさにその欠落のおかげで生きているのだ。

この問題は重大だ。だがまたあとで論じられるわけではない。というのは、ここではラーゲルの話に限りたいし、外の世界の人間については、多くのことがすでに書かれているからだ。だがもう一つだけつけ加えておきたい。エリアスは外から見る限りでは、そしてこの言葉が意味を持つ限りでは、幸せそうに見えた。


アンリは、逆に、非常に教養の高い、知的な人間で、ラーゲルで生きのびる方法を系統立てて完璧理論化していた。まだ二十二歳なのだが、知性にあふれ、仏、独、英語を話し、最上の古典と科学の素養を身につけていた。

彼の兄は去年の冬にブナで死んだ。そしてその日からアンリはあらゆる愛情の絆を断ち切った。彼は自分の殻に閉じこもり、回転の素早いと洗練された教養から引き出せる財産をすべて使って、わきめもふらずに生き残る戦いを進めている。アンリの理論によると、人の名にふさわしい状態にいて抹殺を逃れるには、使える方法が三つある。組織を作り、同情をかきたて、盗みをすることだ。

彼自身はこれを三つとも使っている。イギリス人の戦争捕虜を龍落する時(彼は「耕す」と言っている)、彼ほど素晴らしい戦略家はいない。イギリス人たちは、彼の手の中で、本物の金の卵を生む鶏になる。イギリスの巻きたばこ一本と交換するだけで、ラーゲルでは一日の飢えがしのげることを考えてほしい。アンリはいつだか本物のゆで卵を食べているのを見つかったことがある。

イギリス人から来る物品の取り引きはアンリの独占だ。ここまでは組織を作ることだ。だが彼がイギリス人に食いこむ手段は同情なのだ。アンリの体つきや顔だちは繊細で、ソドマの描いた聖セバスティアーノのように、かすかに倒錯的なところがある。瞳は黒くうるみ、まだひげはなく、動作には生来のしどけない優雅さがある(それでも必要な時には猫のように駆け、飛ぶことができる。彼の胃の消化力はエリアスにわずかに及ばないほどのものだ)。こうした自然のたまものをアンリは十分にこころえていて、実験装置を操る科学者のように、冷たい手つきで利用する。その結果たるや驚くべきものだ。実質的には一つの発見だ。同情とは反省を経ない本能的な感情だから、うまく吹きこめば、私たちに命令を下す野獣たちの未開な心にも根づく、ということをアンリは発見した。何の理由もないのに私たちを遠慮会釈なく殴り、倒れたら踏みつけるようなあの連中の心にも根づくのだ。彼はこの発見が実際にもたらす大きな利益を見逃さずに、その上に個人的産業を築き上げた。

狩人蜂が、攻撃可能な唯一の場所である神経節を刺して、大きな毛虫を麻痺させるように、アンリは対象を「どんなタイプか」一日で値ぶみする。そしてそれぞれにあった言葉で話しかければ、少し話すだけで、その「タイプ」は征服される。彼らは話を聞きながら同情を深めてゆき、不幸な若者の運命に心を動かす。物をくれ始めるまでにたいした時間はかからない。本気になったら、アンリが好印象を与えられないような硬い心の持ち主はいない。ラーゲルでもプナでも、彼の保護者は教えきれないほどいる。イギリス軍の兵士たち、フランスの民間人労働者たち、ウクライナ人、ポーランド人。ドイツの「政治犯」。少なくとも棟長が四人、コックが一人、SSまで一人。だが彼のお気に入りの職場はカー・ベーだ。アンリはカー・ベーに自由に出入りできるし、シトロン博士とヴァイス博士は保護者というより友達で、望みの時に、望みの診断でかくまってくれる。これはとりわけ選別が間近な時や、仕事が厳しい時期に用いられる。「冬ごもりさ」とアンリは言っている。こうした素晴らしい友人たちがいるので、アンリがめったに第三の道に、つまり盗みに走らないのも当然のことだ。それに盗みの話を進んで打ち明けないのは、お分かりだろう。

休憩時間にアンリと話すのはとても楽しいことだ。それに役にも立つ。収容所のことで彼の知らないことはないし、理路整然とした緻密な話し方で、論じないことはないからだ。自分の成功については、価値のない成果だとして、節度を持って、礼儀正しく語る。だが話の筋を離れて、ハンスの時は前線にいる息子のことを尋ねた、逆にオットーの場合は脛にある傷を見せた、と接近する時にどんな計算をするのか、喜んで披露してくれる。

アンリと話すのは役に立つし楽しい。時には強い親しみをおぼえて、互いに理解し、愛情を持てる、と思ったりする。自分が普通とは違うのを自覚して苦しんでいる、その心の底を見たような気になるのだ。だが次の瞬間にはその悲しげなほほえみはこわばり、鏡で練習したような冷たいしかめ面に変わる。「することがあるから(Je quelque chose à faire)」、「会わなければならない人がいるから(Je quelqu’un a voire)」と言ってていねいに非礼をわびると、不意にまた獲物を狩りに戦場に出て行く。そうなると、かたくなで、よそよそしい、鎧を着こんだ万人の敵になる。創世記の蛇のように、人知を越えた狡猾さを持つ、理解し難い存在になる。

アンリと話したあとはいつも、心の底から話した時でさえも、私は軽い敗北感を味わった。何かまったく分からないやり方で、私も、人間ではなく、手中の道具として扱われたのではないか、という獏とした疑いが湧いてくるからだ。いま、アンリが生きていることは知っている。彼の自由人としての生活ぶりを知るためだったら、多くを費やしてもいいと思っている。だが、もう一度会いたいとは思わない。

(『アウシュヴィッツは終わらない』朝日選書 103-120頁)

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