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ネガティブに飽きた

ネガティブに飽きたんだと思う。不安になる自分に飽きたんだと思う。
物事の良い面が見れなくなって、半年。ついついネガティブに考えてしまうことが増えたというのに、それに気が付かないで、なんでツイテナインダロウって思ってしまう自分がいたのだけれど、最近ブログを書くとどうしてもネガティブが多くて、あれ?あれ?私こんなにポジティブなことを書けないんだっけ?と嫌になってきた。そうだ、ポジティブなことを書こう、そう書いたブログもある。でもすぐにグチグチに戻ってしまったのは、そう書こうとしている時点でネガティブになっていたからではと考える。私は他人に対していい顔をするのが得意で、いつも元気ね、とかいつもポジティブね、とか言われるけれど、家族の前ではそんなことはない。起こりっぱなしな時もあるし、今何もしたくないと、どんよりしていたり、なんで私ばっかりとイライラしていることも多い。そんなぷりぷりしているはずなのに、第三者に会った途端に切り替わる。そんな自分に、なんか違う、というのをつくづく感じるようになったのだ。まずは家族にこそニコニコしていたい。そう10年前から思っていたはずだ。なんで他人にいい顔して、家族に疲れた顔をしている?もちろん本音で話せない家族なておかしいけれど、周りにいい顔ばかりしているのはどうなのか、と。というか、それも直せないのなら、考え方を改めよう。当たり前になっていた不満に感じることを少しでもいいからポジティブに捉えよう、そう強く思うようになってきた。そのためにすることは、そう。自分で自分の機嫌を取る、だ。ずいぶん時間がかかった。
実は先週から予定という予定が全部流れて、本を読む時間が持てた。朝も焦らないで済んだ。一人で考える時間ができた。バイトも入れてなかったから、ぽっかり時間が空いてむしろどうしようと思う自分がいて、ぼーっとすることもできた。二日続くと、あ、出かけようと思えたし、カフェで仕事のことや将来のことを考えたり、美術館に行こうかフィットネスに行こうかと迷えたり。面白いもので日中気持ちよく過ごしていたからか、旦那が鼻歌歌いながら帰ってきた。こんなこと昔にもあったなと久しぶりに感じた。そう、日中楽しく過ごしていると、だんなも機嫌良く帰ってくるのだ。こういう時、夫婦って繋がってるんだなと思う。バイトをして、カツカツに予定を組んで、充実してる〜つもりで手が回らなくなって、不満だらけになっていた自分に気がつく。余裕が欲しい。そうも思っていた。でも経済的にどうなの、とそこがネックだったのだけれど、ここで入力の仕事とかに切り替えてもいいんじゃないか。というか、気になるものがあればやってみればいいんじゃないかと。どうにかして生活できる自信は昔からある。今の仕事に固執する必要もないし、どうしたってその時々で生活スタイルは変化するのだから、私も変化していけばいい。
昨日の小学校の件も、どうにかなる気がしてきた。不安になっていても仕方がない。転勤のこともそうだ。転勤は家族にとってデメリットしかない、という記事を目にしてしまい、果たしてそうなのかと悶々としていたのだけれど、転勤族でなければこんなにいろんなところに住むこともないだろうし、私はいろんなところに住みたいと昔から常々思っていたので、確かに利便の悪いところにはまだ住んだことが無いからかもしれないが、悪いことだと思っていない。確かに子どもたちのタイミングもあるとは思う。中学生途中の転勤は正直否定的だ。中学でいろんなことを乗り越えた友情は大人になっても続いていくと思っているし、実際今でも連絡を取り合っている仲間がいる。出張でそっち行くよ、と連絡が来ると、浮かれる。別れる時は涙も出る。でも近くに住んでいてしょっちゅう会うのかと聞かれれば、コロナの時だってそう、会わなかったではないか。友達でいたいと思えば、縁は繋がっていられると思う。子どもたちの気持ちが最優先だけれど、それも人生、楽しんだもの勝ちだよと見せてあげたい。
そんな気持ちがあったことを思い出せてよかった。どこに置いてきてたんだろう。どこにこぼしてきたんだろう。まあ、そんな時期もあるよね。

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