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所属欲求と居場所探しの果てに

何かに所属していたい

幼少期からずっと何かに所属したい、安心感が欲しいと思ってきた。

一方で自分はどこか人と違って、自分の普通はみんなの普通ではないとも気づいていた。自分に似ている感性の人もいなかった。

不良でも、イケイケでも、オタクでもない、

なんのラベリングもない自分がどこに所属できるかもわからなかった。

自分だけフワフワと浮いていて、不安で不安で仕方なかった。

人に合わせて所属しようとした

人と違うことで所属の安心感を手に入らないなら、自分を無くさないといけないと思った。

そして気づいたら人に合わせるような性格になっていた。

人の目をとても気にするようになったし、少しでもズレたことをするのが怖くなった。もちろん自分の意見なんて言わなかった。

色々なカテゴリーの人と話すことはできるようになったけど、何かに所属できているとも思えず、安心感を得ることはできなかった。

自分をなくしてまで所属したかったが、それでも所属できなかった。

能力をつけて貢献して所属しようとした

自分をなくしてもダメなら、次は能力を身につけようと思った。

所属できている人にはスキルや知識があって、それで所属先に貢献できているから一員でいられるのだと思った。

だから仕事でいい成績を出そうと頑張った。誰よりも組織貢献するために土日も仕事に心血を注いだ。

それによって一時的には成績も出て認められた。
「貢献心が素晴らしい」「仕事ができる」「尊敬する」そんな自分が欲しかった言葉をかけてもらえた。

「きっとこれで組織に所属でき、安心感を手に入れられる!」
「この貢献こそ自分の生き方だ!」
「人や組織に貢献することで自分の安心感を手に入れられるのだ!」
と思った。

けどそれも長くは続かなかった。
自分より後輩の方が仕事ができるようになってくるし、一度安心してしまうと貢献するために頑張ることができなくなった。

Giveのお返しはGive、依存や所属ではない。

「自分が与えれば、自分も与えられる」

この言葉を信じて、貢献し続ければいつか所属先になってくれると思ってきた。貢献することが自分が安心できる唯一の手段だと。

Giveをすれば相手がGiveをくれる、その法則に間違いはない。実際に助けてもらったことはいっぱいあった。

けど助けてもらえることは、"依存、所属していい相手"、ということではない。

特に会社は結果が出なければいつでも切られる。

貢献することで自分の所属欲求を満たしてくれるはずだと思っていたから、貢献が意味のないように感じた。

結局、能力向上や貢献から自分の所属欲求が満たされることはなかった。

残りカスから見つけた自分

所属の欲求が満たされず転職を繰り返し、入社3ヶ月で適応障害になり、無職になった。

どこにも所属できず孤独。毎日毎日泣いていた。

そんな終わった状況になって、今まで自分が依存先を求めていたことにやっと気づいた。

今まではよく分からない不快な感情から逃げるように動いていたから、気づかなかった。

そして居場所を求めて彷徨うよりも、
依存心からの脱却を図った方が健全だと思い始めた。無理に貢献することもやめた。

今まで貢献したいと思ってきた相手がどうでもよくなった。その人にどう思われるかでビクビクしていたのが嘘のように、どう思ってくれようが構わない、距離を置きたいと思うようになった。

自分の形を保っていたものがなくなり、楽になったのと同時に無力感にも襲われた。

「なんて自分は薄情なやつなんだろう」
「今までの貢献心は嘘だったのか」
「自分には何も残っていない、今まで何をしてきたのか」
そう思って、自分がまたよく分からなくなった。

そんな時に友達にコーヒーをいれる機会があった。
(僕はコーヒーが大好きで家にコーヒー器具が山のようにある。)

その友達はとても疲れていて、何かホッとしてもらいたくてコーヒーをいれた。
そこに相手を思いやる気持ちはあっても、依存したいという打算は一切なかった。

そのコーヒーに友達はとても喜んでくれた。
それがとてもとても嬉しかった。嬉しくて涙が溢れてきた。

依存心を抜いても貢献から喜びを感じる心が残っていた。それが本当に嬉しかった。

残りカスになった自分にも貢献心があった。
今まで依存心が邪魔をしていてうまく活用できていなかったと気づいた。

居場所探しの果てに

居場所探しの果てに居場所はなかった。

けどその過程で自分の良いところや、自分が何に喜びを感じるのかが分かるようになった。

きっとこの世界には自分にぴったり合う居場所なんてない。

それは自分だけじゃなくてみんなそうだと思う。
突き詰めていけばみんな違うし、みんな孤独だ。

ずっと所属しているように見えても、1ヶ月後にはバラバラになっていたりする。

そんな幻想の居場所を探すより、もっと確かな自分の幸せの感覚を突き詰めていけばいいのだと思った。

昔から自分の幸せの感覚は意外と変わらない。
所属できていない渇きがあった時も幸せを感じることができた。

その感覚と向き合い続ければいいのだ。
自分は所属していなくなったて幸せになれる。

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