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【経済のモノサシ】ドラッカー「ポスト資本主義社会」(1992)

要約

 誰もが何かの専門家である社会(知識社会)になりつつある。知識をサービスに変換する仕組みとして組織は相変わらず重要だ。しかし、株式会社である必要はない。非営利組織が存在感を増すだろう。マネジメントも相変わらず重要だ。しかし、企業の管理職である必要はない。非営利組織のマネジメントが重要になる。学校はますます重要になる。しかし、今のままの大学である必要はない。万人を専門家に育成する新しい学校が必要になる。

おもな論点

  • ポスト資本主義の具体的姿は見えていない。だが、特徴を予想することは可能だ。

  • 社会主義社会ではなく、どちらかというと資本主義の延長上にあって、構成要素のあるものは重要になり、あるものはあまり意味がなくなるという変化として現れるだろう。

  • その中でも知識が重大な役割を果たすはずだ。現代でいう「知識」とは「仕事のやり方」のことだ。古代、知識とは教養のことであり、職人は奴隷のする仕事だった。しかし、西欧封建時代に職人が市民となり、ルネサンスで科学技術の推進役となった。中世に職人が尊重された社会は西欧と日本ぐらいしかない。知識は教養(知っていること)から、生産手段(やれること)となった。

  • 経済学は生産手段(資本、土地、労働)を売買可能なものとして体系化した。しかし、知識という生産手段はこの前提を満たさない。知識とは「仕事のやり方」として各人ごとに身体化されるものなので、売買できない。教えたり学んだりすることだけができる。知識の成果物としてのサービスは売買できるが生産手段としての知識そのものは売買できない。

  • 知識を教えたり学んだりできるようにすること、つまり体系化が重要になる。近年はイノベーションすらも体系化され、誰もが学び実行できる知識になりつつある。体系化された知識は情報となる。インターネット社会の情報は複製配布が各段に安価になる。高い価値があるのに希少価値がないという情報財が登場する。

  • 資本主義の構成要素のうち、重要なものとそうでないものに分かれていく。たとえば、ほとんどの知識労働者にとって、知識をサービスに変換する仕組みとしての組織は必須だ。しかし株式会社である必要はない。営利組織である必要すらない。非営利組織の存在感が高まるだろう。

  • 知識を教育、学習、改善する場としての学校が必須だ。しかし、今のような大学である必要はない。効率的な専門家育成の仕組みはいくらでも考えつくはずだ。

  • 専門家にとって組織が必須だという前提が成り立つならば、専門家を組織化する専門家(マネジャー)も必須だ。しかし企業の管理職である必要はない。非営利組織のマネジメントが重要なテーマになるだろう。

  • 懸念があるとすれば、知識労働者と肉体労働者が階級化してしまうことだ。しかし、知識社会では肉体労働の比率が低下するだけでなく、肉体労働にも専門性(=知識)が必要となるだろう。したがって、どのような労働にも専門性と生産性向上が求められる社会を目指すべきだ。

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