Kazuhiro Usami

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最近の記事

福岡時代の彼女の話し

このネタは実は急に記憶が蘇ってきたネタで、話し始めるとなかなか長い。 ま、思い出したきっかけは博多華丸・大吉さんの街ブラ番組だったのだが、当時大学生だった私は予備校で知り合った優秀な女性とお付き合いしていて、その頃の待ち合わせ場所の喫茶店の話し。 使う頻度が多かったのは、福岡市の中央区の西通りにあったHebeというところ(あ、当時にはまたCafeという言い回しはなかった)。 40年以上前になるのだが、その店にはカフェ・オ・レカップで出してくれる習慣があり、なんか、こう、ぎ

    • Silverstone その4

      なんかタイトル画像のポジションを修正したら妙なことになっているが、このシリーズももう4話目になってしまっているのにまだSilverstoneには行き着いていなくて、タイトル写真はBlackley村の中心にある教会。 街並みも落ち着いていて静かで、とにかくしっとりした雰囲気。もちろん気候のおかげでもあるだろうが、7月の週末というのに朝晩は肌寒く、天気はどんより気味で、晴れたとしても太陽がサンサンではない。 そしていよいよ金曜日の昼前にはSilverstoneに向かう。アパー

      • Silverstone その3

        あちこちで道を間違えながらもなんとかBlackley村に着いて宿泊先に入ったのだが、その宿泊先である個人のアパートの主はHondaチームのエンジニアなのは前に書いた。 ということは、アパートの近くにHondaのファクトリーがあるんじゃない?ってことで散歩に出たらあるじゃないね! 歩いて数分のところに初めて見る、でめなんとなく雑誌なんかでは見たことある建物にHondaのロゴがしっかり。 2008年というとiPhoneは発売されてたがまだスマートフォンとしては普及してなくて、B

        • 飛行機での移動

        福岡時代の彼女の話し

          Silverstone その2

          というわけで、無事に仕事の数日を終えて、レンタカーのトヨタプリウス(当時は2代目だった)で何とか仕事先のBedfordから宿泊先のBlackley村までやって来た。 2008年当時は、まだGoogleのナビゲーションなんかもなかったはず、というか、まだスマートフォン前夜、くらいのタイミングだったんで、確かレンタカー屋さんからもらったミシュランのイギリス全土の地図を頼りにドライブ。 しかし、走り慣れないというか、初めての国の道路が分かりにくいのは当たり前で、道路上に表示して

          Silverstone その2

          Silver Stone

          F-1好きになったのは1981年に自分のクルマを手に入れてからで、ある意味聖地に行けたのは2008年だっから、相当な年月を経ていた。 そのチャンスが来たのは仕事絡みだった。 その数年前から自分ひとりで輸入のビジネスを始めていたのだが、独立する前に勤めていた会社から依頼されて、新たにイギリスの会社の製品を輸入して販売することに。 その会社はロンドンから北西方向にクルマで2時間ほどの距離で、代理店契約して製品トレーニングに行くのは7月初め。 ん? もしかして、それってイギリ

          社員食堂

          かなり以前のことになるが、サラリーマンをやっていた時のこと。 当時勤めていた会社は、品川駅の高輪口から港南口に移転して、移転当初は周りにランチ営業をするような飲食店がなかったため、移転と同時に社員食堂が作られていた。 品川駅の港南口に向かう人のラッシュは都内の働く人の象徴のようにニュースには出て来るが、もちろんまだ新幹線も停まらないし、港南口のオフィスビル群がまだ都営のテニスコートから生まれ変わるあたりの時代だった。 私が勤めていた会社はヨーロッパのグローバル企業で、社員は

          中洲大洋

          「そういえば」、なのだが、先日の3月31日に福岡の中洲のある意味のシンボルでもあった、古くからある映画館の中洲大洋が閉館したニュースを目にした。 昭和の時代に福岡市近郊で暮らしてた人は皆知ってる場所。人それぞれ、いろんな映画を観た思い出があると思うのだが、その映画館の閉館のことを妻と話した瞬間に思い出したのが、その昭和の時代に小学生だった私が母親に連れられて観た映画だった。 昭和の後半くらいからなのか知らないが、母親と子供が行く映画なんかは、だいたいアニメとか、女子向けの

          判官贔屓

          それにしても私は母親譲りの判官贔屓で自分でも笑う。 特に高校野球なんかで、次々といろんな地方のチームが出てくるケースなんかは、地元や特別に贔屓にしている地方のチーム以外は必ず負けてるチームを応援してしまう。 これはもう完全に母親譲りなもので、だからといってどうってこともない程度のものなのだ。

          初めてのフライト

          初めて航空機に乗って移動したのはもう40年近く前の学生時代のこと。就職のために面接を受けるために都内まで行かなければならなかった時のこと。 1980年代中頃の就職事情は、バブルに向かって企業景気が上向く中、特に理科系の学生に対する求人数は凄まじく、また、それまでは少なかったソフトウェア関連のエンジニアに対する求人需要が爆発的だったこともあって完全な売り手市場だった。 私の就職活動は極めてテキトーで、①外資の大企業、②日本支社が東京にあって、③電気電子関係のテクノロジー系の

          初めてのフライト

          航空機移動と「移動のミッション」

          単位時間当たりに最も遠くまで移動できる航空機移動の場合には、だいたいの場合にはそれなりのミッションが伴う。 仕事や旅行、人に会いに行くとか、場合によっては「逃げる」場合もあるだろう。隣り合う人達の多くがそれなりのミッションを抱えて乗ってるのだが、それをお互いに公開したりすることは無い。 目的地に着けば、グッとそのミッション遂行に近づくし、特に航空機の乗務員の人達などはミッションが終了して解放される。しかし、到着してからミッションに向かうために新たな気持ちに入れ替えたり、終

          航空機移動と「移動のミッション」