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絵を邪魔するメンタルを改善する

何故絵が完成しないのかとことん向き合った結果、どうやらバッドエンドへと向かうループが存在しているらしい事に気付いた。

前回の記事で、絵が完成しない原因として

結論からいうと、体力・気力・時間の浪費、そして『性格・考え方』の問題が絵を未完成にさせている。

絵が完成しない原因を突き止めて防止策を考える

とあげた。

今回は「問題となる『性格・考え方』」に焦点を当てる。


■邪魔するものの正体


・ダークプログラムの存在

続けて前回の記事より抜粋。

問題となる『性格・考え方』 
・気になる
・正しくなければ
何かすぐ気になる。気が散る、と言い換えてもいいかもしれない。やるべき事に集中できていない、もしくは本質を掴めてないから枝葉に目がいってしまうのかも。
『正しくなければ』は本当にやっかいで、これはまた別の機会に詳しく書きたいと思う。『正しくなければ』の中に『逃げる』『調べる』『練習』が潜んでる。
ただどちらも、短時間作業の時には顔をださない。
(中略)
まとめていく中で気付いたことだが、どうも潜在意識がまずいことになってる。

絵が完成しない原因を突き止めて防止策を考える

どうもバックグラウンド(潜在意識)で常に稼働し続けているプログラムがあるようなのだ。
何故絵が完成しないのか探っているうちにその存在に気付いた。
問題なのは『性格・考え方』ではなく、潜在意識をまずいことにしているそいつだった。

瀬在意識で稼働中と思われるプログラム
・正しくなければ
・そんなことよりこっちはどうなの?(気を散らす)
・自分で全部作ろう、全部自分で何とかしよう
・出来ない、足りない部分を見つけ次第、練習!練習!練習!
・思いつきはよくない、しっかり考えねば

こいつらは常にループを引き起こす。
何故なら、絶対的な正しさなど存在しないし、全部自分で何とかしようとしたらいくら時間があっても足りないし、人間は誰しも完璧な存在ではないのだから必ず出来ない・足りない部分は存在する、練習に終わりはない。などなど。
1度はまったら最後、出られないようになっている。

こんなプログラムが稼働し続けていたら、絵が完成しないのも当たり前だ。
日頃上手くなりたい上手くなりたいと口では言ってるが、潜在意識はそれを望んでいない。

そんなバカな。

『正しくなければ』の中に『逃げる』『調べる』『練習』が潜んでる。

絵が完成しない原因を突き止めて防止策を考える

正しく描けない、現実にそぐわないと、頭の中のイメージから『逃げる』。正しさを隠れ蓑にして、自分のイメージを形にしない理由にする。

知らないと描けない、と関連事項まで拾い上げどこまでも果てしなく『調べる』。いつまで経っても描く行為に結びつかない。

「正しく」描くためにも、「出来ない、足りない部分」を補うためにも、『練習』は必須!とすぐに練習モードになる。
実際に練習していればやっている気にもなるし、手を動かしているので満足感もある。練習に目を向けさせ、本来描きたいものから巧妙にそらす。

どんな状態にあるか多少ご理解頂けただろうか。
潜在意識は、賢明に巧妙に自分の内に存在する絵を描かせまいとしている。
頭の中に完成系がある絵のラフですら何故さっくり描けないかと不思議に思っていたが、プログラムのせいだったかと思うと納得できる。

これらのプログラムをダークプログラムと呼ぶことにした。
このダークプログラムは正気を失わせ、時間を奪い、足を引っ張り続ける。
ダークプログラムが稼働している限り、思うような絵は描けない。

・「自己肯定感の低さ」が温床

何故これらのダークプログラムが稼働し続けているのか。潜在意識は何故足を引っ張るのか。
考えてみた。
恐らく自己肯定感と深く結びついている。
自己肯定感の低さがダークプログラムを生み、稼働させている。
自己肯定感の低い人間は、分かりやすい「正しさ」や「練習の量」にすがる。自信の無さがそうさせる。そこへ逃げ込む。

何かを表現する人、作品を作る人は多かれ少なかれ躓いたり屈折している人が多いように思う。
絵を描く人も例外ではないが、ご両親や生まれた環境には恵まれた方が多いのではないだろうか。
絵を描く人は根本的に自己肯定感が高いと感じることが多いからだ。
そもそも高くないと描けない。
絵は他の創作物よりも正しさがプラスに働かず、むしろマイナスになりかねない。
そんな時に支えとして必要なのが自己肯定感ではないか。
誰がなんと言おうと自分にとっての正を信じる強さ。
多分信じるという概念すらない。当たり前過ぎて認識できない。

自己肯定感がないと絵は難しいと以前から感じてはいたが、そういう仕組みだったか、と合点がいく。

・潜在意識と潜在意識の喧嘩

特にあてもないのに、何でもかんでも描けるようになりたくなってしまう病に時々罹る。
何か支配したい感覚なのかと思っていたが、最近とある考えに至った。
これは、自分で自分に「こんなに描けるんだよ~~!!!」と見せつけたいがための衝動ではないだろうか?
潜在意識が潜在意識に、自分は絵が描けると証明し、絵を描くことを納得させるために、何でもかんでも描ける自分になりたいのかもしれない。
なんて不毛な…!
どんなにすごい人でも何でもかんでも描けるわけでもないし、そもそも描きたくないものまで描けるようにならなくたっていい。
そういう意味で、ここにも不毛なスパイラルが存在している。
いわば自信の無さの裏返しといえば話は早いかもしれない。

今のままでは自分と自分が喧嘩している。協力し合っていい絵を描くという目標に向かって力を合わせたい。

■どうやって改善していくか


自己肯定感の低さが温床となっているのなら、自己肯定感を高めれば?
と思うのは当然だが、話はそう簡単でもない。

「自己肯定感を高めてから絵を描こう」なんてのはまさに愚の骨頂で、いつになるか分からないし、そもそもそんな日は来ないかもしれない。

長年培われた習慣やマインドはそうそう変わるものではない。
これでは絵を描かせまいとする潜在意識の罠にすっぽりはまっている。

勿論、抜本的な改善策は自己肯定感を高めることだが、それは一生涯をかけて改善していくくらい気の長い問題として捉えた方がいいと思う。

とにかくダークプログラムの稼働をできるだけ抑えること。
対処療法的な考え方だが、何だかんだ言って最善策ではないかと思う。

では具体的にどうすればいいのか?

・時間を区切る

“「気になる」も「正しくなければ」も短時間作業の時には顔をださない(意訳)”
という記述があったことを思い出して頂きたい。
時間が短いとダークプログラムは動かない。
もしくは頭の容量を目一杯使っている時は、ダークプログラムを作動させる余地がないのかも。
どちらにせよ、その特性を上手く利用するのだ。
できるだけ、時間を短く設定する。
全体として長くかかりそうだな、と思う時でも、下描き何分、下塗り何分、のように細かく設定すればよいかと思う。

・パッチを当てる

ダークプログラムが稼働し続けてるのなら、違うプログラムを流し続けて上書きしてしまえばいい。
このようなプログラムを常に稼働させるイメージで日々絵に取り組むのはどうだろうか?

・今それ必要か?
・ラクする方法はないのか?

犯罪や一般的な倫理観に反する事以外なら、何したっていい。
良い絵さえ描ければいい。
という自分本位なマインドを出来るだけ保つ。

基本的に自己肯定感の低い人間は余計な荷物をどんどん背負いこむ癖があるので、そのくらいで丁度よいと思う。
「一般的な倫理観」とあえてしたのは、自分の倫理観にしてしまうとどんどん厳しくしてしまう傾向があるからだ。

特に「練習」「正しさ」というキーワードが出てきた時は注意する。
本当に必要なのかを厳しく問う事。自分のイメージや行きたい方向を必ず優先する事。

・良いスパイラルを作る

ダークプログラムを稼働させなければ、自然と潜在意識も解放されやすくなると思う。
自分で何とかしなきゃ!と躍起になって自己肯定感を高めようとするよりも、その状態からやんわりやんわり良いスパイラルを作っていってあげた方が労力も時間も最小限で済むのではないだろうか。
そもそもそうやって頑張りすぎるのが自己肯定感の低い人の特徴かなと思う。

あまり気張りすぎずに、いい気分を保ちつつ絵を描きたい。

■おまけ


自己肯定感を自分で育てる為には、自己啓発系の本はそこそこ有効かなと思います。読んだことなければ。

あと、こちらの記事もいいなあと思いました。

「何故」を5回繰り返せ!は何処かでも聞いたことがある。
絵の屋台骨を作っていく時にも活用できていいと思う。
何かを強くするためには必須かも。


今回は短めの記事になるかと思いきやそんな事なく…何故いつも長くなるのか。これでも短くまとめようとしています。

本当は前回の記事に入れたかったのですが、既にかなりの長さだったのと、かなり個人的な話になるので割愛しましたが、自分の為・そして恐らく少数派の同士の為にももし参考になればと、記事としてまとめてみた次第です。

最後までお読みいただき、有難うございました。


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