漱石と「隣の客」番外

また、子規は大の落語好きとしても知られる。
寄席発祥の地、下谷神社には「寄席はねて上野の鐘の夜長哉」と彫られた一つの句碑が建つ。寄席に題を取った子規の句である。
漱石は子規と交情を結んだ昔日を懐古し次の様に書き記している。
『まあ子分のように人を扱うのだなあ。(中略)妙に気位の高かった男で、僕なども一緒に矢張り気位の高い仲間であった。ところが今から考えると、両方共それ程えらいものでも無かった。(中略)非常に好き嫌いのあった人で、滅多に人と交際などはしなかった。僕だけどういうものか交際した。(中略)彼と僕と交際し始めたも一つの原因は、二人で寄席の話をした時、先生も大に寄席通を以って任じて居る。ところが僕も寄席の事を知っていたので、話すに足るとでも思ったのであろう。それから大いに近よって来た。』(「正岡子規」筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10 筑摩書房)
漱石と子規の強い絆は夙に有名だが、二人は東大予備門で同窓となるも暫くはお互いに顔見知り程度の間柄であった。親分風を吹かす少々気難しいこの男と漱石が絆を深めていくこととなったのは、この子規の落語好きが縁であった。意外にもこの人の好き嫌いの激しい子規の側から珍しく興味を持って漱石に近付いて来たと云うことのようだ。
そしてそんな漱石もまた落語好きであった。
『落語はすきで、よく牛込の肴町(さかなまち)の和良店(わらだな)へ聞きにでかけたもんだ。僕はどちらかといえば子供の時分には講釈がすきで、東京中の講釈の寄席はたいてい聞きに回った。なにぶん兄らがそろって遊び好きだから、自然と僕も落語や講釈なんぞが好きになってしまったのだ。』(「僕の昔」より)

また、子規は随筆「筆まかせ」の中で「余は左に我朋友の一部を挙げんとす」としてその幅広い彼の人脈中から十九人の名を挙げている。曰く
『愛友 細井岩氏、良友 武市庫氏、好友 太田躬氏、敬友 竹村鍛氏、益友 三並良氏、旧友 安長知氏、厳友 菊池謙氏、畏友 夏目金氏、文友 柳原正氏、親友 大谷藤氏、酒友 佐ヽ田氏、温友 神谷豊氏、剛友 秋山真氏、賢友 山川信氏、郷友 勝田計氏、亡友 清水遠氏、高友 米山保氏、直友 新海行氏、少友 藤野潔氏』(「筆まか勢第一編 明治二十二年 交際」より)
「畏友 夏目金氏」としているのが夏目金之助――漱石である。
畏友――尊敬する友人として漱石を挙げている。

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