見出し画像

平和について考えること

ロシアのウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ情勢と、わずか2年の間に世界を取り巻く情勢は大きく変化し、これまで享受してきた平和がいかに大切なものであったのか、自然に保たれるものではなく、意識して努力して協力していく中で保たれるものであることを認識させられた。

 そんな中、新宿住友ビルにある平和祈念展示資料館を訪れた。総務省委託の資料館で、シベリア抑留に関する記録が展示されていた。戦争終結後も60万人近い日本人がシベリアをはじめとする地において、乏しい食糧と劣悪な生活環境の中で過酷な強制労働に従事させられ、寒さや食糧不足により6万人近くが亡くなった。

 一昨年12月公開の映画『ラーゲリより愛を込めて』(二宮和也、北川景子出演)も、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)で抑留された実在の日本人捕虜の体験に基づいた作品で、いかに厳しい環境だったのかがわかった。
私が幼い頃、父がシベリアに抑留されていたと家族から聞かされたことがあった。飢えの中、ヘビでも食べたと母から聞いた。しかし直接聞くことはなく、抑留から何年後に日本に帰還できたのかも知らないまま、私が20歳の年にがんで亡くなった。

付き添いで病院に寝泊まりしていたとき、ベッドの父は「ええとこへ行けよ~」と言っていた。就職のことかと思っていたが、私と同じ年齢の頃、父はまさにシベリア抑留中だった。生きて帰れるのかどうかわからない中、ほぼ同じ年齢になった私に対して、シベリアのようなところには行くなよと言いたかったのかもしれない。

父の死の翌年には祖父も亡くなった。シベリアからの引揚船を舞鶴に迎えに行ったそうだ。今から思うと、なぜもっと当時の話を聞こうとしなかったのかと残念に思う。しかし、多くの死や哀しみに立ち会ってきただろうことを想像すると、時間の経過だけで癒されるものではないだろう。ただひとつ言えることは、父がシベリアで生き抜いたことが、今の自分の生命につながっているということである。

 一方、私の妻の両親は、二人とも幼くして父親を戦争で亡くした。ニューギニアでの戦死だった。妻は、生まれてから一度も祖父の存在を知らずに育ってきた。妻との会話の中に「おじいちゃん」が登場することはなかった。記憶にも思い出の中にも祖父の姿はなかった。

戦争がもたらす悲劇は戦争そのものの悲惨さもさることながら、時間を超えてその後の世代に大きな負の影響を残していくものではないだろうか。

 かつてマザー・テレサは、「世界平和の実現のために何が必要か」と尋ねられ、「家に帰って家族を愛しなさい」と答えたそうである。まさに身近な存在である家族や周りの人たちに対して、言葉や態度においてどのように接しているのか、一人ひとりに問うている。平和を唱える前に、まず目の前にいるひとりの人を愛することができるかどうか。自らが愛を形に変えていく起点となることができれば、小さな行為の積み重ねは、たとえわずか1滴だったとしても、やがて大河となっていくものだろう。平和の礎を築くのは一人ひとりの思いが形となったものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?