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情報のとらえ方

意識を拡大して現実世界を見てみると、
情報とはどんなものなのかが見えてきます。


一言で言うと、映画館のシアターような感じです。
見出し画像のように、映画館にはいくつかのシアタールームがありますね。

ムービックスやTOHOなどの大きな映画館だと、
10個くらいのシアターがあります。
それぞれ上映する映画が違って、上映する時間も違います。

1番シアターでアクション映画を見ている人もいれば
3番シアターで、アニメを見ている人もいるいし、
7番シアターで、ホラー映画を見ている人もいるわけです。


たとえば、1番シアターで大好きな俳優のアクションを楽しんでいる時に、
他のシアターの一部が流れてきた時に、どのような反応をしますか?


アニメで主人公がいじめられていたとして、
「これは大変だ、いじめを何とかしなくては」と
行動を起こしますか?

ホラー映画でたくさんの人が巻き込まれた事故が起きていたら、
事故を起こした人を糾弾したり、そんな人がいる世の中を嘆いたりするでしょうか?

だれもそんなことはしませんよね?
おそらく、何番シアターの人がどのシアターの映像を見ても
自分の見ているシアターの映画とは関係ないと分かっているから、
冷静な自分でじっとしていると思います。

実は、情報というのは、
この映画館のシアターと関係性が同じなのです。


実際に見ている映画は自分の目の前の現実。
他のシアターで流れている映画は情報だと考えてください。

これを踏まえて、普段の自分をイメージしてみてください。
情報を見て、不安に思ったり、世の中を嘆いたり、不平不満を言ったり
していませんか?
他のシアターと同じ関係だとするなら、意味がありませんね。

好きな映画なら、今見ているのが終わったら見に行く事もできます。
嫌いな映画なら、見に行かなければいい。

情報も同じなので、好きな情報ならその情報を好きに利用して、
嫌いな情報なら、その情報から離れればいいだけです。


離れないで不安に思ったり、世の中を嘆いたり、不平不満を言ったりすることは自分からその別のシアターに向かっていくのと同じ働きがあります。


でもみんな知らないので離れることをダメだと思っています。
だから、こちらが離れようとすると「離れちゃダメだよ」と
声がかかるのです。
  

視点を少し変えて見ていきます。

例えば目の前でにわか雨が降ってきた。
これ、情報ですか?
情報と言うより事実ですね。


違う場所に住んでいる人にとっては情報になり得ます。
「いま、急にどこどこで雨が降って来たらしいよ」
Twitterでみて、一緒にいる友達と話す。
これは情報ですね。

でも、目の前で雨が降っている本人にとって、
にわか雨は情報ではなく事実です。

事実と情報は
目の前で展開している出来事か、
目の前で展開していない出来事かの違いだということを、
きちんと頭に入れると、情報に振り回されることが激減します。


当たり前と思うかもしれませんが、
今は客観的に文章で読んでいるので余裕でそう思えます。
でも、普段の生活の中では意外とごっちゃになっていて、
情報に流されるパターンが多いのです。


これが腹の底から理解できると、もう情報には振り回されなくなります。
情報を手放す=どの情報も等しい目で見られる、ということです。
他の〇番シアターでやっているんだ、と俯瞰できるということです。


でも、周りを見ると
情報と現実をごっちゃにしている人がほとんどではないかと思います。
学校でも社会に出てからも習わないからです。


情報と現実を同じに考えるのは私たちの生まれた時のプログラムです。
情報は誰かにとっての現実なのでフィクションではない訳ですから、
つい事実だと思ってしまいますよね。
それが普通であり、苦しみ悲しみの素になっています。


もう一つ、そこから抜け出る障害物があります。
それは、みんながそうだという事です。

先ほども少し触れましたが、どういうことかと言うと、


例えば事件や事故のニュースがあった場合、
自分だけが「これは情報であって、現実ではないんだから、
気にしなくていいんだよ」と言ったとしましょう。

もしそのニュースの当事者に向けた言葉だったりすると、
「冷たい」「非常識だ」「人でなし」などの
非難を浴びるのは間違いないかと思います。

ちゃんと情報と現実の違いを理解しているひと同士なら
非難を浴びることはないですね。

ですので、話している相手が情報と現実の違いを分かっているか分かっていないかを見極めて言葉を選ぶ必要が出てきます。


分かってない相手の場合は
心で思って口には出さないのが良いのではないでしょうか。
何か言うとするなら使う言葉に注意して、
やんわりと優しい言葉や労いの言葉でお伝えすると良いと思います。

話を戻しますが、
情報と現実の違いを腑に落としていきましょう。

例えば海外の戦争やテロや自然災害や事件など。
国内なら政治や経済、病気や介護のニュースなど。
自分の目の前で起こっている現実以外は情報で、
プラスもマイナスもなく、
すべてニュートラルの状態に「寝かせておくもの」です。


寝かせておくことで、
発酵して情報の方向性が見えてきます。

発信されてすぐの情報は発信者のフィルターが強いので、
真実が見えない状態です。

本来なら情報はニュートラルで情報そのものには力はありません。
情報とは、今自分の目の前にない、という「証」なのです。
私たちが選択するかしないかを決めていいものなのです。

自分にとって必要なら、選択してください。
自分にとって必要じゃない、いい結果に繋がらない、
と思ったら選択しなくていいのです。

自分以外の人が全員選択したとしても、
それを選択しない自由が私たちにはあります。


世の中はYesNoで答えるには適していないことが多いのに
YesNoでの選択を迫る傾向があります。
それに惑わされずに、しっかりと、YesとNoの間にある自分だけの
答えを出すことに意識的になってください。

それを繰り返すと、情報に振り回されない自分が確立されてきます。


自分がどの情報を選択してどのように解釈するかで
無限の未来が生まれます。

情報を握りしめると、一つの解釈にとらわれてしまいますので、
手放してニュートラルの位置に寝かして時間をおいて、
自分と情報の間に感情や思い込みが無くなったころに、
改めて向き合うと、情報の方から何かしら語りかけてきます。

ニュートラルに情報に接することができるようになると、
情報に力は無いんだと観えるようになってきます。

いつでも、自分に選択権があって、
情報はあくまでも情報なんだと思えるようになると、
情報だらけの世の中をスイスイと渡っていけますね。


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